言論自殺を防ぐには

  by ぶらっくまぐろ  Tags :  

とある国会議員が糾弾されている。
彼女は雑誌への寄稿で「LGBTに生産性はない」と述べた。

LGBT=「性的マイノリティ」とする。
いやそれが性的かそうでないかは置いておいて、世の中にマイノリティと呼ばれるカテゴリの方々は多数存在する。
マイノリティの方々が多数、という表現に若干の違和感はあるかもしれないが。

人は皆、マジョリティ(多数派)にもマイノリティ(少数派)にも属しているのだ。
右派左派、あるいは信仰する宗教、趣味嗜好に至るまで“それ”は確実に存在する。

ここ数年の急激なSNS等の発達により、マイノリティの人々は以前よりも用意にマイノリティのコミュニティを築く事に成功した。
一部のカテゴリのみにおいてマイノリティである彼らは、同時に多くのカテゴリにおいてのマジョリティでもある。
つまりマイノリティの意見をマジョリティに拡散することが容易になっているのだ。

ここ数年、週刊誌のようなペースで「炎上事件」が発生している。
その多くは“不用意な発言”=今回で言うところの「LGBTに生産性はない」、が招いたものであることは皆さんも知る通り。

ではその“不用意な発言”は近年、配慮に欠ける人間が増えたことによって増加したのだろうか。
それは違う。
昭和の時代から過激な発言は一定数どころかむしろ今より多く存在していた。
居酒屋で年配者が数々の差別的発言を大声で発しているのを聞いたことがある人は少なくないだろう。
それがトラブルになることもあるため、「飲み会の場で政治と宗教と野球の話はするな」と教えられた人も少なくないだろう。
たまたま居酒屋の隣に座った者同士が阪神と巨人のファンであれば、どちらかの文句を発端にトラブルが起こるのは目に見えているからだ。

つまり、どんな言葉も「言ってはいけない場所」がある。
相反する考えを持つ者がいる場所で、自分の考えを一方的に主張するのでは敵を作って当たり前なのだ。

今ほどインターネットが発展していない時代は、マイノリティとマジョリティはさほど交わることがなかった。
それはお互いが違う考えを持っていると認識していたから、あえて近づこうとはしなかったのである。
僕は阪神ファンだが、わざわざ巨人のユニフォームを着ている人の隣に居酒屋で座ったりはしないだろう。
隣の隣の席には座るかもしれないが。

ところがインターネットは発展し、まるで全ての細胞を繋ぐように“隣の隣の席の会話”が瞬間的に聞こえるようになってしまった。
仮に今僕がここでブラジルの文句を言ったら、次の瞬間にブラジルでは閲覧可能となる。
オフィスでどんな大声で「ブラジルのみなさん聞こえますかー?」と叫んでもせいぜい同僚が変な顔をするくらいなのに。

つまり「言ってはいけない場所」が増えすぎたのだ。
まるで管のたくさん繋がった入院患者のように、少し脈拍が乱れただけで機械が大騒ぎしアラートを鳴らしてしまうように。

現代日本は入院患者である。

少しの乱れも逃さず検知し、皆に知らせる。本当は知らせなくてもいいような事を。
患者は管に繋がれ、安定した数値を求められ、やがてゆっくりと死んでいくのだ。

「言ってはいけない場所」が増えすぎたばかりに本質に気付いていない。
このままいけば「言葉狩り」あるいは「言論封殺」というフェーズを経て何も問題を見つけ出せないままただ弱っていく「言論自殺」へと向かっていくだろう。

近所のスナックで繰り広げられるような下衆な会話が溢れる世界を求めているのではない。
ただ、起こった事象に対してすぐ対処するのではなく、まずは議論するという世界になればいいと思うのは、僕だけだろうか。

関西生まれ。 テレビとかCMとか馬とか食とか好きなので、そういう記事が多くなるかもしれないです。 執筆記事、超募集中。

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