中村倫也インタビュー「勝手に観られている感じが理想になっている」 主演映画『人数の町』公開に寄せて

  by ときたたかし  Tags :  

衣食住が保証され、快楽をむさぼることができる謎の町を舞台に描くディストピア・ミステリー『人数の町』が、9月4日より公開となりました。監督・脚本は、松本人志さん出演による「タウンワーク」のCMやMVなどを多数手がけ、本作が初長編監督作品となる荒木伸二さんが務め、その主演をもはやメディアで見ない日はない中村倫也さんが熱演します。

ガジェット通信では、中村さん演じる主人公・蒼山に「町」のルールを教える謎の美女役として存在感を発揮した、女優・モデルとして活躍する立花恵理さんへのインタビューに続いて、中村倫也さんにもインタビュー。映画出演の感想など作品についてお話を伺いました。

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●蒼山という主人公は、どう演じていたのですか?というのもCGなどではなく、俳優の肉体で非日常的なディストピアを表現していて、目を奪われるものがありました。

難しいですね。それは今回の取材で何回か聞かれたんですよ。撮影の最初の頃は自分でもよく思い出せないのですが、今回に関して言えば人物像を意識しないことを意識していたような、そういう感覚です。蒼山という男は流されるまま町に来るわけですが、そこで起こることを受け入れているのか反発しているのか、そのどっちでもない。どうしたいのか何がしたいのか、特にない奴なんですよね。

町にいたほかの人たちは、その町の象徴でもあるわけですよね。この人は欲望の象徴みたいな。そういう人たちは、いろいろ考えていたと思いますが、僕はそれをただ見て、口開けながら「ああ」とセリフを言って、トコトコついて行くだけみたいな。そういうところが物語の冒頭に特に多かったので、やはり意識はしなかったですかね。

●そのアプローチは、これまでの経験から導き出されたものでしょうか?

どうでしょう。好みかも知れません(笑)。それは生きてきて培った感性なのか経験なのかわからないですけど、今回はそれがいいなと思ったからですよね。説明が難しいです。あと「並び」は考えました。あの町にはいろいろなタイプの人がいるので、蒼山は受け身で「ああ」って言っているほうが、観ている人が、僕以外に視線を送るだろうとは思いました。

●町の住人のようにモノを考えないと全部同じになってしまうというか、考えなくていいことはラクなのですが、そういう場合の妄信的な恐怖はすごくありましたよね。

「人は考える葦である」という言葉もありますが、考えなければ葦なんですよね。僕の中でも考えるということは生きていく上でもけっこう重要なことで、仕事がなくてヒマしていた若い頃などは仕事がない分、何をしているのかと言うと物事をよく考えた。いろいろなレッスンはもちろん受けましたが、いろいろと考えましたよね。仕事がない=才能がないだなと思って生きていた。だから時間はあったので、人よりも考えましたよね。

●そうしないと、人数の町の住人のようになりそうです。

学生時代とは違う、社会に出てから考えることの必要性は実感していたんですよね。だから、それがクセになっているところもあり、逆に考えすぎだなって自分で思うこともありますよ。もっと流されれば楽なのにと思うこともありますが、それがどうにもできない習性が身についているところもあります。いいのか悪いのかもわからないんですけど、それがないと<個>が持てないですよね。アウトプットは社会性、協調性でみんなに合わせればいいだけですが、<個>は持っていたほうがいいと思う。考えることは大事だと思いますね。

●お芝居はどうでしょうか。考えるほう?それとも直感で?

両方ありますよ。もちろん考えますが、撮影現場に入ったら一度、考えたことを全部捨てないといけないんです。その上で、そこに残った自分の嗅覚や経験値、感覚や理論など、いろいろなものを総動員して、いつも現場にいるような感じですかね。

●それは歳を重ねると変化するものですか?

バランスは変わっていますね。ただそれは、たとえばふたつが対極にあるもの同士だとすると、そのバランスよりもその中の選択肢が経験とともに広がるので、そこで何をチョイスするのかという話になる。それがその場で起こったことが確かであれば、自分で信じてあげなくちゃ、とも思う。バランスというよりも悩むことが増えましたね。

●しかし、出演作が途切れないですね。気を付けていることはありますか?

作品を観るみなさんと同じ視点でいようとは思っていますね。自分もこの2~3年で環境がずいぶんと変わって、それによって自分の生活が変わっていることを実感しているんです。それまではそうじゃなかったので、今の受け止められ方や立場になる前の感覚の方が、僕にとっては大事なんです。だから見逃しちゃいけないことがある。こういう仕事をしていると特に神輿に担ぎ上げられていることが多くて、それは、そこの上にいないとほかの人も仕事にならないので僕は乗りますけど、糸の切れた凧になってしまうと自分も知らないうちに恥ずかしい人間になってしまう。それは嫌ですね。

●そういうの、嫌ですよね(笑)

こういうシチュエーションでタバコを吸いながら「この映画はねえ…」なんて語ってもダサいじゃないですか(笑)。僕はそういう人間にはならないとは思いますけど、ものづくりをする時に地面に立っている感覚がないとコアがつかめないと思うので、そういう意味でズレは怖いですね。

●どうやって自分を客観視しているのですか?すごく普通でいようと意識しているのか、それとも元々そういう性格なのか。

自分でも不思議なんですよね。異性として意識されている記事を見ると、自分でも不思議な感覚になります。このアンケート、本当?みたいなこと、よくあるんですけど、そのギャップは埋まらないですね。でも、さっきの神輿の話じゃないですけど、たとえばイベントに呼ばれて「キャー!」ってなっているところで「え…」ってなっていてもしょうがない。それは仕事として受け入れ、自分も慣れていかないといけない変化でもありますし、でもそれが普通になってしまうと、居心地が悪いというか。それは僕の普通ではなくなっていく。

●そのポジションにいる人ならではの景色ですよね。今、どうですか?

ちょうどいい感じ、ですかね。自分の感覚、イメージ、やれることできないこと、それの受け入れ方とか、ちょうどいいと感じています。ギリ過大評価されているけれど、まあ大丈夫かな、くらいかな。これ以上評価されると困っちゃいますが、いいところでかみあっている感じがあって、今は楽しいですよ。それが楽しくて仕事をしているところもあります。

●今回の映画は新たな評価も加わると思いますが、俳優としてどういう作品になったでしょうか?

基本的には、何にも気にしないですね。それってたぶん、外側から見たものさしの感覚だと思うんですよね。だから僕の中には、ほぼないもの。自分の中の作品、役、一期一会みたいなこと、こういうことをやったら面白いとか、試して実験しながら、その中で一番面白いことを探していくわけです。それぞれの作品ごとにそれぞれの楽しみ方、テーマはあると思いますが、でもそれを観た人にどう思われたいかとかはまったくないんですよね。あいや、昔はあったかな(笑)。目立ちたい、ほめられたいみたいな。今って、どんどん観てほしいではなく、言い方難しいけれど勝手に観られている感じが理想になっているんですよね。自分自身でも芝居を観てもらうよりも、穴から覗かれている感覚が強くなっている。カメラの前で構えていますけど、そこの意識もほぼなくなっていますし。特に今回の作品は、勝手に撮られて勝手に覗き見て勝手に楽しんでもらえたらそれが理想みたいな作品になっていると思います。

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ときたたかし

映画とディズニー・パークスが専門のフリーライター。「映画生活(現:ぴあ映画生活)」の初代編集長を経て、現在は年間延べ250人ほどの俳優・監督へのインタビューと、世界のディズニーリゾートを追いかける日々。主な出演作として故・水野晴郎氏がライフワークとしていた反戦娯楽作『シベリア超特急5』(05)(本人役、“大滝功”名義でクレジット)、『トランスフォーマー/リベンジ』(09)(特典映像「ベイさんとの1日」)など。instagram→@takashi.tokita_tokyo