日米最初のキャッチボールは?

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日本に野球が伝わったのはMLB発足前だった

「日本野球発祥の地」碑が東京都千代田区神田錦町の学士会館にある。

この地は、東京大学の前身、開成学校が創設された場所でもある。同校のアメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが1872年(明治5年)頃、学生に野球を教えたと言われている。翌1873年(明治6年)には、大きな運動場ができて、試合ができたようだ。

日本での野球発祥はこの説が一般的だが、他にも北大説、熊本洋学校説がある。

北大の前身、札幌農学校となる前に、東京・芝の増上寺に開拓史仮学校が置かれた。外国人教師、ベイツが1873年(明治6年)頃に生徒に野球を教えて試合をした、との記録がある。
また、1871年(明治4年)頃に開校された熊本洋学校で、ジョーンズ教師が教えた、との説もある。

アメリカで野球が発祥したとされるのは、現代に近いルールが確立された1846年のこととなる。メジャーリーグが発足したのは1876年だ。

実に日本に伝わったのは、メジャーが発足する前となる。インテリ揃いの外国人教師達が教えるほどなので、アメリカでの野球は急速に人気が高まったと思われる。

さて、この時代のアメリカと日本には、こんな記録もある。
・1845年 アメリカ捕鯨船が浦賀に来航。日本人漂流民を送還した。
・1846年 アメリカ東インド艦隊司令官ビッドルが、浦賀に来航。通商条約締結を要求したが、幕府は拒絶。
・1849年 アメリカ軍艦プレブル号が、アメリカ人漂流民救出のため長崎に来航。
・1851年 ジョン万次郎、アメリカ船で帰国。
・1853年 ペリー、浦賀に寄港。
・1854年 日米和親条約締結。
・1858年 日米修好通商条約締結。

当時のアメリカは、照明用油を採取するため、最大の捕鯨国だった。東海岸のマサチューセッツ州のニューベッドフォードが捕鯨基地で、この地を出発した捕鯨船は喜望峰を回ってインド洋で捕鯨をしていた。
資源が枯渇してきた1850年代には、さらに北太平洋の漁場を目指し、日本近海に現れた。そのため、アメリカの捕鯨船の水、薪の補給基地を求めて、日本に開港を迫った経緯があった。

アメリカの捕鯨産業は19世紀末には衰退するが、アメリカの野球人気が高まる時期と、捕鯨船が日本近海に現れる時期がクロスする。

日本史に残るアメリカ船の寄港記録は、地方の藩などが幕府に報告した件のみが残る。
また、捕鯨基地ベッドフォードのあるマサチューセッツ州には、メジャーリーグが始まった際から球団がある、ボストンがあり野球人気も高かった。

古い革のグラブがどこかの日本の浜に眠っている?

1850年代や1860年代、野球に興味があったアメリカ人水夫が、グラブとボールを持って、捕鯨船に乗り込んだとしたら・・・

日本の浜で、アメリカ捕鯨船が幕府とは内緒で水や薪を求めたことは、十分考えられる。例えば、北海道の道東で、日本海側の小さな村で・・・

その際、グラブを持った水夫が、地元の民とキャッチボールをしなかっただろうか・・・どこかの浜の蔵の中に、ボロボロの革のグラブや、革製のボールが眠っていないか。
日本初のキャッチボールが、日米の漁師同士だったら面白い。

スポーツ新聞で、記者、デスク、部長を17年。 高校野球、サッカーJリーグ、スキー・ジャンプ、アルペンなど冬季種目も担当。

Twitter: @mayfly878238