『まりもの星』立東舎刊
2017年、マンガ業界が激震した事件があったのをご存知ですか? 1960~70年代に活躍し、当時の少女たちから大人気だったものの、今まで一度も単行本化されなかった幻のマンガ家・谷ゆき子の作品が復刻されたのです。その名も『バレエ星』(立東舎刊)は、美しすぎる絵と超展開すぎるストーリーで瞬く間に話題となり即重版となったのです。
そんな谷ゆき子の復刻としては第2弾となる長編『まりもの星』が発売されました。谷ゆき子再評価のキーパーソンである、「図書の家」の小西優里さんにお話を伺いました。
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ーーー『バレエ星』に続いて『まりもの星』と、続々と谷ゆき子作品が復刻されていますね。時代を超えて今ふたたび愛されている谷ゆき子さんは、どんなマンガ家なのでしょう?
谷ゆき子先生はとにかく絵がうまい、昭和時代に活躍したマンガ家さんです。
今回の『まりもの星』のカバーの表紙と裏表紙は同じ絵を反転したものなんですが、お気づきでしたか? まったく自然なので違和感がありません。絵の復刻作業では雑誌の状態が悪くて絵が破損している場合、違う箇所から線を持って来てつなげることもあるのですが、例えば左右対称な形でも普通はちょっと癖が出たりしませんか。しかし、その描線が自然に繋がるのです。
谷マンガには、ほぼゆがみが無いのです。ゆき子先生、おそろしい子……。
そんな谷先生ですが、最初から「バレエ星」や「まりもの星」のような超展開スタイルのマンガを描いていたわけではなかったんです。
ーーーえっ、そうなのですか?
ちょっと長くなりますが、さかのぼって順にお話ししますね。
谷先生は昭和10年に兵庫県尼崎市で生まれました。絵を描くことが好きで、テレビ局の美術部門で書き割りなどのアルバイトをしながら、貸本屋さん向けのマンガ単行本をいきなりまるごと1冊描いてデビューします。23歳頃ですね。
谷先生は最初からとても絵が上手でファッションセンスも抜群だったので、マンガのほかに貸本短編集の表紙イラストもたくさん描いて、イラストレーターとしても売れっ子になりました。この頃同じ版元でマンガを描いていて仲良しだったのが楳図かずお先生や花村えい子先生でした。
1960年代に入るとマンガが貸本から雑誌中心となったため、上京して講談社の『少女フレンド』の仕事を始めますが、親しくしていた高橋真琴先生から小学館の編集者の井川浩さんを紹介されます。井川さんはこの後に藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」を立ち上げたことでも有名な名物編集者ですが、当時『小学二年生』の編集長になり女の子向けに強い作品を描ける人を探していたところで、「優しくて品がある絵柄」の谷ゆき子を見つけて声をかけたのです。
ーーーそして小学館で、小学生に向けてのお仕事が始まったのですね。
もともと物語を作るより絵に力をそそぎたいという谷先生だったので、学年誌の連載ではお話は井川さんや担当編集の二瓶さん、そして谷先生と一緒に暮らしてお世話をしていたお姉さんもお手伝いに加わって、谷先生は絵を描くというチームが組まれました。
谷先生は指示すれば何でも描けたそうですし、井川さんによれば連載では次回への引きを作るために最後のコマからお話を作っていたとのこと。「星シリーズ」の突飛とも思える数々の場面や尋常ではない引きの強さは、そういう風に生まれたものだったのですね。
そして70年代半ばまでの10年ほどは学年誌で女の子マンガの代表といえば谷ゆき子という時代が続き、谷先生のイラストを使った付録やグッズ、文房具も大量に生まれました。この頃に手塚治虫先生が『小二』の誌面で絵が一番うまいのは谷と言ったという逸話も残っています。
ここから作っていたという「最後のコマ」。
こちらも「最後のコマ」。続きが気になります。
ーーー『まりもの星』は、どんなお話ですか?
「まりもの星」は北海道のまりもが生息する湖の近くに住む少女・なでしこちゃんが主人公です。祖父母と妹のれんげちゃんと暮らしていますが、ある日、行方不明だったお母さんがテレビに出演、それがきっかけで家族と再会しますが、お母さんは記憶喪失になっていました。
その後はもちろん「星シリーズ」ならではの、いろんな展開が生まれますが、なでしこちゃんが苦労をしながらも立派なバレリーナになるまでを描いています。
苦労しているなでしこちゃん。うずにのまれそうになったり……。
ーーー『まりもの星』の注目ポイントを教えてください。谷ゆき子さんの代名詞といえば「超展開」ですが、どんな超展開があるのでしょう?
この作品の見どころはアートのような美しさのあるビジュアルだと個人的には思っています。他の「星」にはちょっと見られない、とんでもないシーンがあるんですね。
切り立った断崖絶壁の「すずらんおか」の上でバレエを踊る母と娘や、二人が特訓している「回転アラベスク」、まりもの湖の大きなうずの中から突然現れる巨大なチュチュ姿のお母さんなど、お話的にはなぜこのシーンが描かれたのかの必然性が実はよくわからないです(笑)。
でも本当に一度見たら忘れられない美しさがあるんです。また、なんだかアオリ文句もパースを付けたりしてデザイン処理も凝っているし。もしかするとこれらはなにか美術作品とか、写真などから着想を得ているのかもしれないですね。
こんな大ピンチのときに、アオリにパースがつきます。先ほどのうずのシーンも!
ーーー何十年も前の作品なのに、どうして今また谷ゆき子さんのファンが増えているのでしょうか?
この2年ずっと、私たち復刻プロジェクトチームも驚いています。こんな昔の作品が、なぜ新しい読者をどんどん獲得できているのでしょうか。
思えば最初にファンになってくれたのは、版元の立東舎の皆さんでした。谷ゆき子のバレエマンガを紹介する特集本を出しませんかと「バレエ星」や「さよなら星」の連載回の一部を添えて企画を出したら、すぐ通ってしまったんです。本当にびっくりしました。
そして最初の『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』(2016年)が出た時に、たくさんの方が目にとめてSNSなどで話題にしてくださった。それでとんとん拍子に『バレエ星』(2017年)の企画が進みました。
まさか原画が1枚もない700ページもの作品を雑誌からの補正で出版するなんて、復刻したいと希望している自分たちでも自らのとんでもない熱意とかけた手間と時間に驚きましたが、そこまでさせるのはやはり谷ゆき子の絵の魅力に尽きるのではないでしょうか。この美しい絵をなんとか元の綺麗さで再び世に出したいという思いがありました。
この美しくて超展開な場面も、レタッチして雑誌から復刻しています。
ーーーすごい熱意ですね。
また、この連載作品を当時作っていた井川さんを中心とする編集部の熱意も半端ではなかったと思うのです。今回の復刻は原画が失われているために掲載誌を元にしているわけですが、だからこそコマの横にある編集者のアオリの文や、読者のおたよりや似顔絵なども含めて復刻することができました。
その結果、当時の学年誌の作り手から読者までが真摯にこの作品に向かっていることを追体験できるのですね。初めて読む皆さんも、そこを含めて重層的に楽しんでくださっていると思っています。
当時のおたよりもしっかり収録しました。
そしてこの「星シリーズ」を「超展開バレエマンガ」と名付けてくれたのが、京都国際マンガミュージアムの研究員である倉持佳代子さんです。2013年に同館で「バレエ・マンガ 〜永遠なる美しさ〜」という展覧会が開催された時に、その企画の準備段階で手伝っていた私たち図書の家が「忘れられている谷ゆき子というマンガ家がいる」と「バレエ星」などをお見せしたところ、展示で丁寧に紹介してくださったのが再評価の始まりでした。
その時に、バレエの専門家が見ても谷の描くバレエのポーズが正確であることや、「バレエ星」で描かれた滝修行のシーンも実際にバレエ団が行っていた精神修行のひとつであったことなどもわかったのです。
そんな風に、この作品は描かれていることそれぞれにきちんと取材の裏打ちがあるからこそ、今でもエンタテイメントとして楽しめるのではとも思います。それは当時多くの小学生が読んでいた「学年誌」という媒体に掲載されていた作品ならではの担保かもしれません。
とはいえ、通して読むと本当に超展開なんですよね。しかしそれは、そもそもこんな風にすべてを続けて読むことは想定されていなかったかもしれないので、それだけは天国におられる井川さんと谷先生におわびしないといけないかもしれません。
この見開きだけでもかなりの超展開!
ーーー今後の谷ゆき子作品の展開は、どんな事を予定されていますか?
もう既に発表されていますが、今年の秋の11月に『さよなら星』の完全復刻が刊行予定で準備に入っています。この作品は最初から話題になっていた「家で虎を飼っているおばあさん」が出てくる作品ですね。ぜひ『バレエ星』『まりもの星』に続けて『さよなら星』もお読みください。電子書籍も出ています。よろしくお願いします。
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いかがでしたか? 谷ゆき子マンガ、一度ハマったらもう止まらないような気がします。こういう、世の中から一度は忘れ去られたけれど、実はものすごいものが再発見されるのは素敵ですね。紹介しました単行本『まりもの星』には他にも、まつざきあけみ先生、田亀源五郎先生始め16人もの応援者による「谷先生に届け! 50年目のおたよりコーナー」や、一部奇跡的に原画が残っていた「まぼろしの少女シリーズ」も収録されています。
みなさんもぜひ『まりもの星』を読んで、その超展開ぶりを体験してみてください。
『まりもの星』
著者:谷ゆき子
定価:本体1,980円+税
立東舎発行/リットーミュージック発売PROFILE
谷ゆき子(たにゆきこ)
1935年、兵庫県生まれ。本名・谷垣悠紀子。58年頃、大阪の金龍出版社より単行本『夕映の詩集』にてデビュー。画力に定評があり同社発行の短編誌『虹』『すみれ』では作品の他、表紙画を多数担当した。64年、活躍の場を東京に移す。66年より小学館の学年誌で約10年にわたり母恋ものをベースにしたバレエマンガを連載し、絶大な人気を誇る。99年病没。2016年、特集本『谷ゆき子の世界』が話題を呼び、2017年に雑誌から復刻した『バレエ星』の初単行本化で新たな読者をつかみ再評価されている。別名に谷悠紀子、谷ゆきこ、谷幸子など。