学生のとき、暇な授業中に教科書のすみに「らくがき」した、なんて思い出は誰にでもありますよね。「らくがき」って、なんだかいけないことのようなイメージですが、なんと日本を代表する大学、東京大学の先生で、この「らくがき」を読書に生かす方法を提案している先生がいるんです!
提案者は、阿部公彦さん。Twitterで日本の名作小説の冒頭に「らくがき」した画像をアップしていたところ、それが出版社の目に留まり、このたび『名作をいじる 「らくがき式」で読む最初の1ページ』(立東舎)という、小説に「らくがき」をする読書法についての本を出しました。そんな阿部さんに、お話を伺いました。
ーーー「小説の冒頭に「らくがき」をしよう!」、なんて本、なかなかないですよね。この「らくがき式」とは、どのような読書法なんでしょう?
阿部 本を読むというのは、けっこう複雑というか、頭の中でほんとうは何が起きているのかわかからないところがあります。情報がすっと頭にすべりこむわけではけっしてない。むしろ途中で抵抗があったり、脱線があったり、よくわからなかったり、あるいは「え、そうじゃないでしょ?」みたいな出所不明の声が聞こえたりするのがふつう。それも含めての読書体験なのだと思うし、そういうノイズの部分がなかったら「体験」とはならないのです。
「らくがき」式は、この「ノイズ」の部分を積極的に意識し、かつ楽しんじゃえ!という発想の読書法です。なので、この方式をすすめていくと、自分の頭の中で起きていることが整理されるかもしれないし、自分が読書を通して何をわかったり、何を知ったりしているかも、明確にできます。かつ、それを他の人とシェアすれば、自分の読書の参考にしたり、さらにはこれまでになかったような読書の「体験」の境地にも至ることができるかもしれないのです。
ーーーページをめくると、阿部先生の手書きのらくがきがインパクト大です。たとえば、31ページでは夏目漱石の『明暗』に落書きしています。こちらを少し解説していただけますか。
阿部 いやあ。『明暗』はほんとにあざとい小説ですよ。漱石は一時期、天敵の正宗白鳥に「無駄におもしろがらせようとしてる。つまらん」みたいな批判をされたこともあって、そのあと、妙に取り澄ました作品を書いた時期もありました。「読んでも読まなくてもどうぞ。ご自由に」なんて。でも、『明暗』になると、そういう構えがだんだんと中和されてきて、かつて『吾輩は猫である』で全開にされたはしゃぎっぷりが戻って来た感があります。もちろん『猫』のようなどたばただらけの脱線につぐ脱線というわけではありません。『明暗』はかなりきちんと近代小説の作法を守っています。でも、漱石が本来的にもっていた「むふふ」と興味をひきたくなってしまう癖はかなりよく出ている。変態的なほどです。
そういう漱石の「むふふ」な感じが、読んでいる方にとってはどんな心地を引き起こすかを「らくがき」を通して表現してみました。
ーーーそもそも、どうしてこの「らくがき式」を思いついたのですか?
阿部 私にとっては本を読むのも仕事の一部なのですが、読むのが早いわけではなく、正直言って同業者にくらべてそれほど読書量が多いとは思いません。読むのがあまりうまくないとさえ言えます。その原因は、読んでいるとすごくいろんなことが起きて、気になって仕方がなくなる。それこそ「声」が聞こえてきたり、気が散ったり、眠くなったり、実際眠りに落ちてしまったり。
つまり、読書という行為は私にとってはとても不安定なものなのです。だから、その行為の居場所を自分の中で整え、「自分はたしかに読んだのだ」とお墨付きを与えるために、聞こえてきた「声」に答えたり、気が散った行き先を記録したり、もっと進むと感想や思いついたことを書きつけるということをするようになった。読書とは、最後までページをめくって「さあ、終わった」と爽やかにおさらばできる行為ではなく、もっとぐちゃぐちゃと自分の中にわりこんでくるややこしい体験なのです。
ーーー「らくがき式」をするのにおすすめの小説を教えてください。
阿部 難易度の高いものからあげるなら、小島信夫のたとえば『抱擁家族』あたりでしょうか。最近のひとでいえば、読んでいる間中、実際に書かれていることとは別のことがわあわあ聞こえてくるような気にさせるのは多和田葉子さんの一連の作品ですね。『容疑者の夜行列車』なんて最高です。
あとは漱石。この人の文章には、あちこち隙間があって、ツッコミ所満載です。『明暗』以外では、『門』とか『行人』とか、『道草』もいいですね。
ーーー「らくがき式」は、大人が楽しむのはもちろん、読書感想文を書かなければいけない高校生や、大学生のレポート執筆の強い味方になりそうですね。最後に、「らくがき式」をやってみようかな、と思っている人たちにメッセージをお願いします。
阿部 やや大袈裟な言い方になるかもしれませんが、ことばについてことばを発するという行為は、人間の知の第一歩だと思います。そこから「批判」とか「翻訳」とか「説明」といった、私たちの文化の根本を形作る知的活動が生まれてくる。なので、その先、いろんなつながりがある勉強法だと思って、いろんなやり方をためしてみてください。
それから、頭をつかうときに、頭だけでやろうとするとけっこうたいへんです。ちょうど数を数えるときに指を折ったりするのと同じように、ことばについてことばを発するときに、どんどん手をつかって文字を書くというのは、頭の負担を減らすという意味でもとても有効だと思います。手を使い、足をぶらぶらさせ、場合によっては目をぱちくりさせてもいいかもしれません。読むという行為も、行為である以上、どこかで身体的なのです。もちろん、人によってやり方はちがうかとは思いますが、読むことで自分の身体がどう反応するか、あるいは身体を使うことで、どう読むことが変わるか、なんて観察してみてもいいでしょう。歩きながら小説を読むと、どう気分が変わるかなんて、理科の実験としてもおもしろいかもしれませんね。
いかがでしたか? 「なかなか小説は読まなくて……」という方も、阿部先生の提案する「らくがき」で「いじる」ことなら、なんとなくできそうな気がしてきませんか? 読書の秋に、ぜひチャレンジしてみてください。
『名作をいじる 「らくがき式」で読む最初の1ページ』(立東舎)
著者:阿部公彦
定価:(本体1,800円+税)PROFILE
阿部 公彦(あべ・まさひこ)
1966年横浜市生まれ。現在、東京大学文学部准教授。英米文学研究。文芸評論。著書は『英詩のわかり方』(研究社)、『文学を〈凝視する〉』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)、『幼さという戦略』(朝日選書)など。マラマッド『魔法の樽 他十二編』(岩波文庫)などの翻訳もある。