「Magic Architect ~ フレデリック・キースラー」

  by 香月 真大  Tags :  

(Frederick J. Kiesler: Endless Spaceから引用)

新国立競技場が話題になっているが100年前に「マジック・アーキテクト」と呼ばれたザハ・ハディドや欧米の現代建築に見られる有機的造形を扱う先駆的な建築家がいた。

1.生い立ちとウィーン

フレデリック・キースラーは1890年にオーストリアのオーストリア・ハンガリー帝国のチェルノヴィッツで生まれ、そして1965年にニューヨークで死去した。ウィーンと言えば近代建築のパイオニアでもあるオットー・ワーグナーや「装飾と罪悪」で有名なアドルフ・ロースやリチャード・ノイトラ等の著名な建築家を生み出した町で、そして何よりも音楽と芸術の都であった。特に音楽家で言えば神童モーツアルトが有名である。その頃はロースやワーグナーも存命であり、ちょうど近代建築運動が花開く直前の時代にキースラーは生まれた。

ミース・ファン・デル・ローエはキースラーとは非常に仲が良かったらしい。ミースは1886年にドイツのアーヘンで生まれ、そしてル・コルビジェも1887年にフランスのラ・ショー・ド・フォンに生まれた。

時代背景で言うとちょうどアドルフ・ロースとワーグナーの最も優れた弟子であったヨゼフ・ホフマンがライバルとして対立しあっていた。アドルフ・ロースは建築において不要なものと考えていたので、建築を芸術と考えるホフマンは自分の考えを否定されているようで許せなかったようである。日本で言うと大正時代において「建築非芸術論」を提唱した野田俊彦による機能主義理論と「科学的芸術論」を提唱した建築は芸術とする中村鎮がこのロースとホフマンのような関係であると言える。キースラーは法律家である父にシェイクスピア劇を読んでもらうのが好きだった。キースラーはウィーンの工科大学に進んで建築を勉強し、次にグラフィックを学ぶために美術アカデミーに入学してそこで勉学にはげんだ。この頃はオットー・ワーグナーやアドルフ・ロースの影響が大きかったと言え、少なからずこの二人の偉大なる建築家はこのまだ若者であったキースラーに影響を及ぼしている。特にロースの機能主義の考えはキースラーにとって多大な影響を与えたと言えるだろう。キースラーは短期間であるが、アドルフ・ロースと共に働いていた。このロースの作風は装飾を全く排除するものであり、彼の論文である「装飾と罪悪」はロースに続くバウハウス系列のモダニズム運動に多大な影響を及ぼしている。特に近代建築の生みの親とも言えるル・コルビジェは雑誌エスプリ・ヌーボでも共著したこともあってか(たぶん前から尊敬したであろうと思われる)ロースを尊敬し、独学で建築を学んだル・コルビジェにとって師匠とも言える存在であった。キースラーはロースの思想に強く影響を受けた。そして装飾の無意味さをキースラーは学んだ。キースラーが主に手がけていた仕事は劇場建築である。これは当時のウィーンという町並みを強く反映した結果なのかも知れない。

2.背景としてのウィーン

モーツァルトやベートーヴェンで有名な、音楽の街ウィーンは、昔からドナウ河を交通の手段とした交通の要であった。すでにローマ帝国が、殖民都市をヨーロッパ各地に建設していた時から、ここは軍隊と、商人の為の拠点であり、国際都市としての性格を与えられた。そうした理由からヨーロッパの中でも比較的早くから、異質の文化の狡猾に慣れ、また自然環境に恵まれるという条件もあって、非常に開放的な都市として発展していった。ハプスブルグ家の支配した帝国の首都として、政治・経済の中心であったが、同時にこの町は、文化的な環境の場としても中心的な機能を果たしていた。ヨーロッパ近代音楽の有名な作曲家で、この「ウィーンで作品を発表しなかった人の名前を思い浮かべるのが難しいぐらいである。ウィーンの町で音楽が盛んであった理由は、王宮や貴族などの上流階級の庇護があったという理由以外に、庶民的な音楽愛好の風習から来るものであった。今日で言うポピュラーミュージックに近いものが、ウィーン市内のカフェで演奏されていた。このカフェが、ウィーン市民にとって重要な社交の場となったのは、1683年以降であり、上級階級の組織するサロンよりももっと気楽で、自由な情報交換の場として利用されていた。同じような現象は、ロンドンでは1650年以降に現れ、酒房の経営者の反対にも関わらず、ロンドン中にコーヒー・ハウスが生まれてきた。ここでも、自由な情報センターとしての機能によって利用され、イギリス市民文化の発生をうながした場といわれている。コーヒーハウス・あるいはカフェの発生は、ヨーロッパの主要都市に、都市市民階級(ブルジョワジー)という新しい階層が現れてきたことと関連し、同時にこの階級によって都市の中に、新しい文化状況が形成されてきたことを裏付けている。ロンドンのコーヒー・ハウスから、今日の新聞が生まれてきたことは、コーヒー・ハウスが、大衆社会の新しいメディアを作ったともいえるのである。この市民階級が、それ以前の文化の担い手である上流階級の保持していた劇場、美術館、音楽堂などの文化空間を占拠していく。ウィーンでもまた、モーツァルトのオペラ「魔笛」上演で有名な、劇場支配人シカネーダなどが、市民階級の趣向に合った上演企画で活躍する。ウィーンは音楽と劇を結んだ。ウィーンの劇場には、伝統的にルネッサンスの演劇の中心的な見せ場であるからくり仕掛け、スペクタクル好みがあったのである。それは主たる演劇であるコメディアの筋を追う観客をあきさせないための、余興であるインテルメッツィの方に人気が集中し、主体を食ってしまうほどになった。ウィーンの演劇好きに関して、ウィーン生まれの小説家シュテファン・ツヴァイクは、その回想記「昨日の世界」で、ウィーン市民にとって、朝の新聞で、第一に目を通す記事は、政治でも経済でもなく、演劇界に起こるニュースであると述べている。いずれにせよ、近代都市ウィーンの市民社会のコミュニケーションの場は、カフェや劇場が大きな役割をもっていたのである。       
 (環境芸術家キースラー、山口勝弘から引用)

かの有名なフリップ・ジョンソンは「キースラーほど建築を建てないで有名な建築家はいない」と言わせるぐらいであったオーストリア出身のフレデリック・キースラーはモダニズム全盛の時代において「建築の空間を作る際に柱や梁に左右されることなくもっと自由な形態を構築できるのではないか?」という疑問点を元にエンドレスハウスを提唱し、これに対して死ぬまでに40年もの歳月をエンドレスハウスに費やしている。この時代、ウィーンでは特に存命であったロースの作品シュタイナー邸やワーグナーの郵便貯金局が有名であった。

アンチモダニズムとしてモダニズムの近代建築運動に対して死ぬまで闘い続けることをやめなかったキースラーはどのようにして戦ったのか?その作品を通じて理解していただきたいと思う。当時で考えればものすごいことである。1900年初頭に芸術運動が各地で起こり、その中でモダニズムの近代建築運動は最も盛んな運動として世界中に知れ渡った。そのモダニズム建築最盛の時代に面と向かって叩こうとする不屈の闘志がキースラーからは感じられる。

バウハウスに代表される建築を立方体の牢獄と呼び、あえてエンドレスハウスに生涯をかけた、キースラーとは何者なのか?劇場建築家から出発し、舞台デザイナー、商業建築家、ディスプレイデザイナー、工業デザイナー、環境彫刻家、さらに画家であり詩人であり理論家であった。

3.ここではフレデリック・キースラーが書いた建築書を紹介する。これは建築書というよりも建築における短編集的なものである。ここにはキースラーの思想について興味深いことが書かれている。

魔術的建築宣言 1947

19世紀は黄昏を眺めた。そして20世紀始めの25年間は、建築―絵画―彫刻の統合の解体を眺めた。ルネッサンスは、この統合の上に栄えた。人々の信仰が、翼のついた未来の幸せを運んだのである。

われわれの新しい時代は(1947年)は、社会的良心を再発見しようとしている。新しい統一への直覚的な要求が、ふたたび生まれようとしている。この統一への望みは、来世に求められるのではない、ここに、今、求められている。

造形芸術の新しい現実は我々の五感の許容力の他に、精神の必要にも答えられるような、具体的事実のコルリエーションによって明かされる。

建築における「近代機能主義」は死んだ。人間の肉体の宿る身体の王国について、名にひとつの検証なしに、「機能」が唯一の生存者である限り、それは痛手を受け、神秘衛生+審美主義の中で滅亡するであろう。(バウハウス、ル・コルビジェのシステム等)

「迷信の間」は、われわれの時代の表現方法を使いながら、連続建築―絵画―彫刻を目指した最初の貢献を示している。問題は二重であり、一つは、統一の創造であり、二つは、それにより絵画―彫刻―建築の構成要素が、お互いの中へ変更してゆくであろう。

私は、空間的構成をデザインした。私は画家のデュシャン、エルンスト、マッタ、ミロ、タンギーを、また彫刻家のヘアとマリアを招いて、私のプランを実現するように頼んだ。みんな熱心に協力した。私は、それぞれの作家にとって、形態においても内容においても、全体のすべての部分が彼らのためのものであるように計画した。そこには、一つの誤解も生じなかった。もし総体がうまく活動しなかったとしたら、それはすべて、私の失敗に帰するのである。というのは、彼らは私のコルリエーションのプランを、強く信じていたからである。

ある専門領域の芸術家たちの集まりではなく、一組の建築家、-画家―彫刻家に、テーマを司る詩人が加わって創造されたこの共同制作は、たとえ不成功に終わったとしても、我々の造形芸術の発展に、もっとも強い希望をもたらすものとなるであろう。

私は、衛生の神秘主義に反対する。それは「機能主義的建築の迷信に過ぎない
魔術的建築の現実性は、人間自体の総体性に深く根ざしている。そして、それは人間の祝福される部分や、呪われる部分に根ざしているのではない。
(Frederick Kiesler ,Magical Architectureで発表されたものである。)
         
(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)

コルリエーションとは生と死の循環を表すものである。

誕生と破壊の繰り返しのことを指す。

キースラーの建築はガウディの建築形態に似ている。

そして自然と建築の融合というものを自らのエンドレスハウスによって表した。

4.キースラーの殻体構造

キースラーは自分の今までの作品はエンドレスハウスへの過程にすぎないということを述べていた。そのエンドレスハウスの構想に至るまで、キースラーはエンドレスハウスの軌跡となるような作品をいくつか残している。ここではそれらについて述べてゆきたいと思う。

Cave of Meditation
瞑想の洞窟

キースラーの作品には、自然界にある火、水、空気、大地を万物の中心、すなわち宇宙の中心とする考えが根本である。彼の最も晩年に作られた作品「瞑想の洞窟」はインディアナ州、ニューハーモニーの中西部のコミュニティにつくられる予定だったもので、これは貝殻のような部分と、そこに横たわるイルカのオブジェから成っていて、全体が池の上におかれている。貝殻型の空間は強化コンクリートの薄い殻体構造の洞窟で、洗礼を受ける水と火が用意されていて、そこを訪れる人が深い「瞑想状態」に入ることができるように構成されていた。キースラーいわくこの瞑想の洞窟は「私は、人間における関係とは、ただ人間だけに結びついているのではなく、動物の世界にも、植物の世界にも、水にも火にも、つまり限りない全宇宙(全ての物は一つであるということ)に結びつくものであることを示したかったのである。実際のサイズはそれほど大きくは無いが、瞑想の洞窟は瞑想に入る人に、意識の集中の機会を用意し、彼の感性を拡大し、宇宙との一体感をもつことを意図したものである」。この建築は空間自体に人間の潜在的な意識を持たせることにより瞑想状態に入ることができるようになるという物であった。
(建築のアポカリプス もうひとつの20世紀精神史 飯島洋一 青士社から引用)

この瞑想の洞窟はキースラーの考えを体現している作品であるといえるだろう。キースラーによれば建築の構造体はバウハウスなどの四角い、そして立方体の形態を体現するのではなく、真の建築の構造体は常に連続する構造体であるべきと説いた。また、キースラーは私の全ての作品はエンドレスに基づいているという様に、エンドレスハウスの考えがこの瞑想の洞窟にも現れている。なおこの瞑想の洞窟を見る際にもエンドレスハウスを見ていただくと分かりやすくなると思う。

(Frederick kiesler whitney Museum・Nortonから引用)

5.エンドレスハウス「終わりのない家」

エンドレスハウスの空間の意義
空間をより純粋に考えた建築は他にあるだろうか?あまりにたくさん作られている建築は機能や経済を考えすぎてる。より人間の潜在的な思考をも含みうる建築を作ることができたらどんなによいだろうか・・・
エンドレスハウス(雑誌 ENDLESS SPACE より引用)

終わりの無い家

1934年にパリで発表され、長さ1フィート、幅8、9インチ、高さ7、8インチのスケールで、楕円形の卵形のデザインであった。この模型は羊歯の葉を背景に演出され、そのため一層原初的、宇宙的なイメージがただようことになった。
1960年にニューヨーク近代美術館の企画展「創造的建築展」で、より発展した形で示された。

これは実物大の約半分の縮尺で作られたもので、前回の卵型が「砕かれ」、さらにそれが複雑に錯綜しながら組み合わされ、再生(蘇り)、メビウスの輪のような、文字通り始まりも終わりもないもの、宇宙の全一性(すべての物体は繋がっているということ)が表されているようで、キースラー自身も「それは、間の肉体のように無限である。始まりも終わりもないのだ」と言うのである。

 キースラーは、最終案では人工池の上に浮かぶ卵型としてイメージし、しかも家の内部にも大きな池をつくり、中央に暖炉(焔)を用意した。
 
キースラーは砕かれた卵のような混沌とした「終わりのない家」によって、宇宙の新しい始まりをモデル化したといえる。新しい生は混沌を通過することによって、つまり破壊を通しして生み出されるはずだからである。(ミルチャ・エリアーデ 録)

フレデリック・キースラーとエンドレスハウス(上図)
(http://www.classic.archined.nl/news/9611/kiesler_eng.htmlから引用)

キースラーのエンドレスハウスの時間による変化

1. 宇宙の意味を持つ卵型の家をまず作る。
2. 卵を壊すことによって建築空間の永遠性を表す。
3. 壊れた卵にあらたな湖(生)を作ることによって生は混沌によって生まれるということを表している。
(瞑想の洞窟と終わりの無い家の詳細 参照著書―建築のアポカリプス)  

※ 補足するがキースラーは建築において、モダニズムや今までの建築のように人工物と自然を別のものとして考えるのではなく、元は共通の物体であるということをこの建築によって表したかったのだと言いたい。
 
エンドレスハウス 図面 山口勝弘 「環境芸術家キースラー」

終わりのない家の平面計画

1.グループ・リヴィング

2.食堂と台所

3.子供の遊び場と工房

4.書斎

5.個人のレクリエーションと寝室

特にこの平面計画で顕著にあらわれていることはこの建築家が機能についてしっかりとした考えを持っていたことにある。最初私はこのキースラーという人は芸術家であって真たる建築家ではないと考えていたが、しかしキースラーの考えの中に調べていくうちに機能を大前提とした、機能主義的な考えを持っていることが判明した。これはやはりキースラーが自分に最も影響を与えた本はアドルフ・ロースの「装飾と罪悪」と言っているように合理主義的な考えがキースラーの根本にはあると言える。そしてこの平面計画は機能主義の概念に従っている。アドルフ・ロースは機能を考えるときに、機能とは必要なものだけで十分であって、余分なものは必要がないと装飾と罪悪で論じた。この意見には筆者も賛成であるが、やはり機能は必要なものだけで十分であり、余分なものは人間の身体で言う脂肪なのである。伊東忠太も建築を人間と例えて論じているが、人間に例えてみると、この機能における余分な部分はやはりいらないものであると感じる。しかし本当に人間と建築を同じものと考えるのならば、もしも寒さや災害に見舞われたときにやはり脂肪はあったほうがよいのではないかというのが疑問に出てくる。ここで機能における必要性というものは難しいものとなってくる。またキースラーのエンドレスハウスのプラン(1950年)に見られることは、休息の場と防音の書斎、居間と食堂そして子供の遊び場と工房に洗面所やトイレなどの従来の住居に見られるプランの配置になっているが、この平面計画を見るとどうやらキースラーは空間の繋がりを意識してかドアによって壁をしきることをしていないようである。しかしそこから生まれる音洩れといった点は特に子供部屋からである音に対抗するために防音の為の書斎を用意している。

機能としての建築

ここで分かる点はキースラーが単に芸術としてこの建築物を建てたのではなく、本当に住まう住居としてこの建築、エンドレスハウスを提案したのである。最初、筆者の見識では建築と芸術、そして自然形態との融合を考えた建築であり、異様なものと見ていたが、キースラーの考えを深く知ることにより、この建築は住まう住居としても機能的な考えがなされている作品であったことを痛感した。
キースラーの建築における空間構成

キースラーは建築における定義というものは機能から建築は作られるのではなくて構造から作られ、そして順番に構造→機能→形態という道を辿るというものであった。これは「機能は形態に従う」モダニズムを否定する意味でも使われたが、キースラーが言いたかったのはそれだけではない。ただの四角い箱や、統制された建築こそが本当の建築なのだろうか?そして原始において建築とは有機的な、洞窟や洞穴であったであったということも、キースラーはエンドレスハウスを作るにいたって、考えているのかもしれない。最近の建築ではキースラーのエンドレスの空間と同じものが最近建築思潮として出てきている。最近の伊藤豊雄のベルギー市庁舎に見られる作品にはキースラーと同じような空間、一般にはクリストファー・アレクザンダー等が言う「有機」、「生態的」、「犠牲物的」などと言われる建築があるが、キースラーの求めた建築形態は50年以上の歳月を経て、近代建築の主流の建築になりつつある。

6.キースラーが及ぼした功績

建築において新たな建築を生み出す際に最も必要なことは、まず社会と戦わなければならないということ。人間は心理学においてもそうだが、通常の人間というのは集団行動において一人が違うことをしているとその人物に対して違和感を覚える。例にして言うと「芸術において四角が基本とされる」という教えの中でみんなが四角い芸術作品を生み出しているのに、ひとりだけ不規則な形態を生み出したらどう思うだろうか?「変わっている」、「おかしい」、「きちがい」、「あの人は自分とは違う」等と思うだろう。その中傷や批判の中で新たな建築を生み出すというのは並大抵な精神力ではたえられないことだろう。新古典主義におけるジャン・クロード・ルドゥーやルイス・サリヴァン、両者はゴシックやルネサンスの中世の建築に回帰すると基本的に謳われた新古典主義においてモダニズム建築の先駆けとなったようなパイオニア的存在である。今で言うモダニズム後期の時代に闘ったリベスキンドやゲーリーなどからもみて分かる様にキースラーのように「機能は形態に従う」モダニズム建築を真っ向から批判するというのはものすごいことである。そしてゲーリーのグッゲンハイム・ビルバオなどに置ける形態はキースラーの影響を受けていないといえば嘘になる。

7.エンドレスハウスの空間分析

エンドレスハウスの空間構成を知る為に模型作りを行った。

・ エンドレスハウス スタディ模型 1/100
・ エンドレスハウス 1/100

エンドレスハウス スタディ模型1/100

エンドレスハウスの模型を創作するにあたって、最初、この殻体構造はどのようにしたらできるのか大変興味深かった。そしてまずはスタディ模型から入ったが、やはり際立つのは形態である。このスタディを取り掛かったのがまだ論文を書き始めて最初だったこともありキースラーのエンドレスハウスに対して理解しきれていない部分があり、自分の最初の印象は正直「なんだこれは!!」というのが最初の印象であった。それは形態が他の建築と違って際立つためであろうと考えられる。スタディといっても、まだ構造体をどのように作るかといった点で悩んでいたこともあったが、大体の外観を知る上でこのスタディ模型は役に立った。やはり四角を基調とするモダニズム建築と比べるとやはり、有機体と人工物の関係、いやこのキースラーの形態も人工物であるが、どことなく自然的なものを感じさせる形態である。

(Frederick J. Kiesler: Endless Spaceから引用)

模型作りではキースラーが行った方法をそのまま取り入れた。

キースラーはこの殻体構造を作るためにメッシュ上の鉄で構造体を形成し、そこからコンクリート
で厚さ2.5インチのコンクリートを吹き付けることによりできると言った。

この方法をもとにして模型は作製した。

一番苦労した点はこの構造材を作りそこからコンクリートを吹き付ける時であった。

やはり従来の四角で規格化された鉄筋コンクリート作りのものとは違い、型枠の中にコンクリートを流すといったことが出来なかったので、手作業だったので苦労した。

またキースラーはこの手間を、コンクリートか、鉄筋の入ったプラスチック材を、型の中に押し込んで作ることを考えていた。こうすれば量産することもできるといったのである。この場合基壇の部分は1フィートで、天辺では加重が加わるので2.5インチでよいとキースラーは言った。

キースラーはこのようにしてこのエンドレスハウスが実現できるものとして、そして技術的裏付けを持つものとして提起していたのである。
この殻体構造は普及するかどうか?

しかし、一方で実際にこの建築物を量産するとなるともちろんのこと型枠が必要になるが、従来の方枠は直角が基本となるので、やはりこの形態を普及させるとなるとなにかしらの歴史的な事件が起きるとか、モダニズムが花開く原因と考えられる、世界大戦が2度起きるとか、世界恐慌になるなど、またナポレオンが行ったパリの都市計画などの様に国家権力でもってして強制的に行わせるとかしない限りやはり難しいものとなる。また日本で言うならば1923年の関東大震災が再び起きるとかしない限り(震災前は木造であったが、これを期に火に強いレンガ造りが多くなった。)、この工法が普及するということは現実の世ではやはり難しいだろう。現実の主要な建築はやはり四角なのである。

最近の建築思潮で自然の形態をそのまま建築として利用するものがある。キースラーの求め続けたものが技術的にできるようになったからであろう。そしてまさにキースラーは現代建築の伊東豊雄が言う「新しいリアル」においての先駆者であるということを私は言いたい。

(伊東豊雄 ゲント市庁舎コンペ案 都市と建築から引用)

8.キースラーの建築理論

キースラーをより理解していただくために、次にキースラーが書いた論文を書きたいと思う。キースラーが書いた論文を見ることによってフレデリック・キースラーについて理解していただけたら本望である。

コルレアリスムと生技術について  

―新たなデザイン手法の定義と試みー

この論文の目的は以下の事実を示すことにある。建築の歴史にとって耐えざる危機とは、人間を、集まった力の核として扱おうとする基本法則をもった科学が、長い間欠落していたことに原因がある。私たちにとって、この科学を、建築のデザインの分野の為に発展させ、またその中に適用されるものになるまで、建築デザインは、個々ばらばらの、過度に専門化し、不均等に配分される製品としてありつづけるだろう。そして、多分この科学だけが、建築が、芸術と技術と経済の中に、いい加減な分割物となっている状態を改めてくれるに違いない。そして、建築は人々の日常生活のなかで、社会的な面で構成力をもつものとなるだろう。

今日、私達は、無数に専門分化した科学の根底にあるそれぞれの基礎をつなぐ一般法則を形跡学上の観点ではなく、働きーエネルギーの観点から公式化する課題に直面している。また建築デザインに関する一般法則を公式化する、特定の課題も行わなければならない。しかしこの2つは、密接なつながりがあって、われわれの建築分野でも、物理学、化学、生物学など個々の科学の基礎の理解なしでは、この特別の問題の解決は不可能である。そこで、われわれは近代科学のいくつかの概念を要約し、われわれの特定の課題についての有用性を検討することが、今や避けられない必要事となっているのである。

諸科学の概念と建築のデザイナー

人間は生は遺伝的な諸傾向の進化に起因する。人間は力の核であり、その力は人間に働きかけるとともに、人間もまたその力に働きかける。力とはエネルギーである。エネルギーは、現代科学によれば、電磁気的性質を持っていると考えられている。有機物と無機物の相互関係は、統合と崩壊という2つの性質をもつエネルギーが互いに及ぼしあう衝突である。
重力作用によって、電気エネルギーは目に見える固体の中に発生する。これが統合である。一方磁力と放射とによって、電気エネルギーは希薄化した不可視物質に変わる。これが崩壊である。
 この同化エネルギーと異化エネルギーの一般原理が、存在の唯一の原理であるとするならば、世界は静止し、変化しないものとなるであろう。しかしながら、これら(生と負の)2つの力が心理化学的反応を通じて交替し、常に一方が他方に対して優越しようとする。こうして、定常的にヴァリエーションが生み出される。そして、この製造過程において、新たな核概念と新たな環境とが連続的に形成される。

現実と形式

有機体同士の生物学的相互依存とは、つきつめた分析によれば、あらゆる生物にとっての第一次的要求である。適正な餌、居住、再生産、有害な力からの防衛といったものの結果である。生命とは、これらの第一次的必要性をうるための、個体同士の、また種と種の間の協力、排除、そして闘争の表現である。
 これらの活動的な力が、眼に見える形となったものを、一般的に「物質」と呼び、普通、現実と解釈されているものを構成している。現実が、このように表層的に解釈される理由は、宇宙に働く力の関連について、人間の感覚に限界があるためである。物質とは、現実そのものではなく、「現実」の一表現でしかない。仮に、物質だけが現実であったとしたら、生命は静的なものであろう。
 われわれが「形式」と呼んでいるものは、自然なものであれ、人工のものであれ、緩慢な速度で力同士が、統合と崩壊を繰り返している可視的な場にすぎない。現実は、可視的な形態と、非可視的な形態として、絶え間なく作用しあっている力の2つのカテゴリーからできている。この相互関係による力の交換を、私は「コ・リアリティ」(co-reality)と呼ぶ。そして相互関連性の法則についての科学が、<コルレアリズム>である。<コルリアリズム>という言葉は、人間と彼らの自然環境、技術環境の間に働く、連続的な相互作用のダイナミズムを表している。

自然的、社会的および技術的遺伝

生物学では、力の二つのカテゴリーを、「遺伝」と「環境」の2つに分けた。人間は彼らの上に及ぶ、抗いがたい力の影響を取り扱うための方法を進化させなければならなかった。この目的のために、人間は技術的環境を創造し、種としての人間に与えられた、短い寿命の内だけでも、肉体的生存を維持しようとしたのである。しかし人間は、生物学的にみて、子供のために経験を伝えるのに向いていないので、このことはより一層の困難となった。子供たちは皆、自然への適合を、いつも新しくやり直さなければならなかった。簡単にいえば、一般に信じられているのに反して、両親が習得した特性や習慣は、生殖を通じて子供に与えられる身体細胞の形成として、変形させられることはないのである。「自然」は、安定した遺伝子を、胚珠細胞内に与えることによって、いかなる目的であるにせよ、その目的に根本的に干渉しようとする人間から自分を防禦してきた。この胚珠細胞に「密封された命令」には、自然の意思が収められ、人間は自分の命の範囲内でのみ影響を及ぼすが、その限度を超えて影響を及ぼすことが出来ない。したがって、技術的環境を「デザイン」する人間には、重大な責任が課せられるのである。何故なら、技術的環境が適用されるのは、人間の一代限りという制限があるために、それは人間の防禦メカニズムの部分としてより一層の要求となるのである。こうして、子供が受け継ぐことの出来る唯一の人間としての経験は、訓練と教育による慣習と習慣である。したがって「社会的遺伝」が、人間が頼れるただひとつの道具となるのである。すべての生体が、長い世代の連鎖を経て、自己の種から発生してくるように、イデオロギーとか人間の造りだした物は、古いイデオロギーとか、類似した機能を持つ物の長い系譜から発生する。現代の椅子もまた、疲れた身体を休めるために、人間が持ったほかの道具の長い世代から生み出されたものである。これが、教育を通じて伝承される技術の遺伝というものである。

技術的環境とは何か

生物学者が環境と言う場合、それは常に、地理的なそして動物的な環境を指している。この定義はおそらく、人間を除く全ての生物にとって妥当する。ただ人間だけが、第3の環境、すなわち技術的環境を発達させた。それはまさに始めから、人間にとって親切な仲間であった。この技術的環境は、(シャツから避難所にいたるまで)人間の全環境の中で、構成部分のひとつとなってしまった。かくて、環境の分類は、図1に示してあるように、2分類ではなく3分類になる。すなわち、
 
 1.自然環境
 2.人間環境
 3.技術環境

今、われわれに最も関係が深いのは、上の第3の技術環境の要因である。なぜなら、建築家が活動するのはこの領域においてであるからである。人工の、技術的な道具類は、すでに、氷河期から存在していたのである。

しかしこれまでのいかなる学問分野も、技術環境が人間に及ぼす直接的なまた間接的な、そして自発的なまた受動的な効果を調査し、分析し、図化し、測定しようと試みたことはなかった。また、いかなる学問分野も技術の発達を支配する法則を図化し公式化したものはなかった。これまでにも、技術史に関する数え切れない報告があったが、技術の成長の需要形態論の研究はなかった。
生物学の歴史を研究すれば分かるように、自然現象の観察と体系化が欠如していることに気づいて驚く。ギリシア時代の後も20世紀もの間、ラマルクとダーウィンの出現まで自然科学の新理論は現れなかった。科学的な進化論は、実際には僅か100年の産物である。

同様の状況が技術の分野においても存在する。デザイン現象についての新しい理論が生まれなかったことに驚いてはならない。中世の科学者が、馬がスズメバチを生み、ロバはスズメバチの変種を生み、チーズは鼠を生んだと思っていたのと同様に、現代人は産業が、技術環境を生み出したと思っている。現実には、技術環境は人間の要求、それも絶対的な要求と模倣的な要求とによって生まれたのである。
 ところで、この技術環境は何によって構成されているだろうか。端的にいって、それは人間が、自然をよりよく制御するために開発した道具の全体系からなっている。私は敢えて、道具と言う言葉を用いている。普通、道具と機械の相違は、それらを操作する力が、人力か人間の環境にある力、例えば自然の(水)か、合成の(電気)かのいずれかによって区別される。しかし、個々ばらばらの技術分野の相違よりも、技術的発明全体を理解する方向へ向くべきである。そこで、道具を次のように定義したい。すなわち、自然の制御を増大させるために、人間が創造した全ての手段であると。道具という言葉は、機会という言葉よりも好ましい。そのわけは、道具は、われわれを機械の始まりへと連れ戻し、より高い生産性の段階へ人間を到達させるという、究極の目的へと連れ戻してくれることにある。この意味で、人間にとって生存競争の為に必要とする全てのもの、すなわち人工の技術環境の一部、シャツから避難所まで、大砲から詩まで、電話から絵画までが、道具となるのである。いかなる道具も孤立して存在しない。すべての技術的発案は(co-real)である。それは、人間の全環境に対する関係の中から生じる闘争によって、条件付けられた存在なのである。その存在は、人間の競争のほとばしりによって、従って人間の環境全体に対するそれの関係によって条件付けられる。
 技術環境の持続性は、我々の家や、工場や、輸送用シェルターなどの製造を通して具現化されている、転換された力の、間接的ながら持続的な浸透によって示されている。自然環境に対する人工環境の比率は、人間の生活形態に従って変化する。今日、都市の人間は生活時間の88%近くを屋内で過ごす。郊外部では70%、農村部では43%の割合である。

道具の質的分類

だが、技術環境は人間の発展に影響を与え、その技術自体は自らの発展において遺伝の法則に従う、ということを心にとどめておくべきである。我々は、遺伝の原理が技術の中でも働くことを見る必要がある。従って、どんな道具でも(例えば、ナイフ、工場、家)その斬新的発達は、植物や動物の種と同じように、一直線に展開されることはない。逆に、産業時代の道具の生産は、3つの特性曲線に沿って展開してゆくと思われる。

すなわち標準タイプ(絶対的要求によって展開される)
変種タイプ(補助的目的のため、標準タイプから進化する)
模倣タイプ(前期のいずれかのタイプから直線的、または間接的に発生する。

この第3のタイプは、最大のグループであるが、材料使用効率の欠如とデザイン上、材料上のわずかなへんこうによって、標準タイプと変種タイプと異なる)

これらの3タイプはそれぞれ、発展するための土壌を持っている。標準タイプはそれぞれ、発展するための土壌を持っている。標準タイプは、科学的知識から生成する。変種タイプは、別種の条件への標準タイプの自然的適応として生じ、そこに正当性がある。模倣品は、その偶然的な生存とともに、社会環境内の無知の結果として生み出される。
 模倣タイプはもっとも広く供給され、単位間に消え、もっとも急速に入れ替わる。その結果、エネルギーの分散化が起こり、最初の標準タイプの出現の時期とか、それのより高い効率化レベルへの到達を遅らせたりするなど破壊的効果を生む。
人間の基礎的要求を調整するうえで、模倣タイプの除去と、変種タイプのコントロールが行わなければならない。工業社会の再調整は、模倣タイプを造り出している(人力及び機械力を含む)諸力が、標準タイプと変種タイプの領域に吸収され、その結果、生産性が増強されることである。

要求の進化:欠乏から効率へ

自然の意思が変化する連続性への指向として表されているのだとすれば、人間の目的もまた、生命を維持し延長することにあるように思われる。だが、人間は、そのために彼が受け継いだ肉体装置をもってしては、不可能であることを、経験によって学び取った。それゆえ、人間は、環境に働く力に合わせて彼の自然装置の力を拡張せざるをえなかったのである。人間は、自然に備わったもの(装置)に、防禦と攻撃の人工的な装置を付け加えなければならなかった、道具の製作が始まる。高生産に対する人間の先天性欲望が、その物質的表現を見出し始めるのである。
 こうして、人間は道具を構築する。やがてこの構築された道具から、われわれが技術環境と呼んでいる人間の造りだした関連性をもつ複合体が生まれてくる。しかし、技術環境がもっている多くの明らかな非整合性を訂正するために、次のような問いが必要である。
 その起源から見た本性とは何か。その要求は何か。要求はどのようにして起こるのか。その要求は自然のものか、人工のものか。その要求は静的なのか。進化しているか。要求についての定義は、今日の技術環境のデザイナーにとって最も重要なものとなった。この難関の考察は、建築の研究ではなく、人間の研究に基づいて行わなければナらない。従って、我々の任務は、要求の再定義を行い、この基礎に立脚して技術環境を再統合することであろう。技術的要求の進化を示す図4は、この問題を明確にする手助けになるだろう。
 全ての科学は、人間のいろいろな欠乏に応じて枝分かれしてきたことを忘れないようにしよう。

人間の創造性は、つねに欠乏から効率へと向かっている。この循環的な発展の主要な段階は、一つの生活基準から次の生活基準としてしめされる。社会学者は生活水準の向上と低下について語るが、われわれは、コルレアリズム上の水準についてのみ語ればいい。なぜなら、向上と低下の概念は相対的なものであるにすぎないから。要求は静的ではない。それは進化する。要求の進化における諸段階は図4に示す通り、次の順序で展開すると思われる:

1 現在の基準
2 基準が吸収される
3 吸収は無効力を生む
4 無効力は観察へと導く
5 観察は発見へ導く
6 発見は発明へ導く
7 発明は抵抗に出会う
8 抵抗は「計画的な要求」へ導く
9 計画的な要求は小規模生産へ導く
10 小規模生産は促進を生む
11 促進は量生産へ導く
12 量生産は要求を生み出す
13 絶対的要求は新しい基準となる

図4は一般に考えられているのと異なって、現在の要求は、技術的及び社会経済的変化にとっての直接的動因ではないことを示している。要求は進化する。そしてこの進化は、人間の構造と、その環境の核的性質に基づいている。

健康は人間の究極的要求である

人間を保護するための人工の道具の欠損は、肉体的抵抗の減衰を招く。人間の健康がアンバランスになる。道具の持つ力によって非活性化した人間の身体が、再び活性化しないならば、人間の健康は、疲労を経て死への途をたどる。したがって、あらゆる技術環境の有効性を計る共通分母は、人間の健康である。厳密で、しかも包括的な基準を、健康によって測定するならば、技術は、人間のエネルギーを維持するためのもっとも力強い要因となる。
 健康とは、生命活動を維持する各種の物質と過程とが、均衡的に機能する身体的状態であると思われる。
 個体の抵抗力とは、この均衡が環境からのインパクトに耐えられるか、あるいはそれを九州することができるかの限度のことである。外的要因は自然環境の緊急事態に帰する。内的要因は精神生理学的なものであり、個体に本来的に備わっている。
 健康は、もともと環境への有機的適用によって維持されてきた。これらの適応のあるものは本質的に機能的(消化、体温、血圧、等)であり、あるいは構造的(色素形成、姿勢等)である。社会経済的関係(国家形態、産業、貿易、結婚、等)に示されるように、人間環境への適応も存在する。
 健康の概念は、疲労を連続的過程の一部分として認識する。疲労は、通常、精神生理学的活動(随意的なものおよび不随意的なもの)に付随するエネルギー消費によって生み出される。この消費されたエネルギーは、普通の状況においては、物理化学的過程によって体内で置換される。消費と置換が適正均衡状態にある時、最適効率と言う。この状態が満たされないとき、非効率あるいはエネルギー消費が生じる。すなわち、非活性化である。

環境のコントロールと健康の維持

身体の効率を損なう要因は何か。言うまでもなくそれは、身体が内的、外的環境のある部分に不整合をきたしているのである。技術環境の死活問題は、この不整合を、疲労からの保護(予防)と、疲労の除去(治療)とによって解決する点にかかっている。
 不幸なことに、歴史的にみて、この技術環境は必ずしも、人間の環境に貢献したとはいえない。むしろ逆である。そこで、技術環境を、どの方向に発展させるかという、第二の要求が注目される。工業のための工業の発展は、芸術のための芸術より悪い。ここで、技術的生産の方向のコントロールが、是非とも必要になってくる。環境的なコントロールとは何か。もしコントロールの手段が、環境の一部だとしたら、環境による環境のコントロールという意味になってしまう。しかし、前にも述べたように、環境が、自然、人間、技術の三重構造であるならば、その意味はもっと明確になる。つまり、環境のコントロールとは、技術環境を通して、自然と人間の環境をコントロールすることである。だが、何に関してのコントロールなのか。コルレアリストの観点からすれば、答えは一つである。即ち、人間の健康に関してのコントロールである。従って、環境のコントロールは健康のコントロールになる。それは環境の健康のコントロールでなく、人間と社会の健康を、環境によってコントロールすることである。結局のところ、環境の技術的コントロール、もしくは技術による環境的コントロールという言葉になる。
 技術環境の維持、あるいは適正な‘管理‘は唯一の目的をもつ。つまり、技術環境における適正な健康の維持も唯一の目的をもつ。人間にとっての健康の均衡の維持である。

健康すなわち建築デザインの基準

これまで建築は4つの観点から評価されてきた。(1)美(2)耐久性(3)実用性(4)低コスト、の4つである。しかし、これら4つの要因は、単一の作品に同時に盛り込まれることはなかった。ある建築物が美しくない場合、低価格であるという理由で受容される。低価格でない場合は、耐久性であることで理由付けされる。実用性がない場合は、おそらくその建築物は美しさをもつ。かくして、この長年の矛盾を解く唯一の方法は、すべての場合に妥当する一つの基準を見つけることであると思えわれる。この基準こそ健康であると私は思う。他の基準は、本質的基準を損なわない限りに置いて、消費者と製作者との個人的特性に委ねられてもよいだろう。
 従って、将来、建築がもっぱらリズムの美、材料の並列、現代的スタイル、等々によって評価されるということはなくなるだろう。建築は、人間の心身の安らぎを維持し強化する能力によってのみ評価される。即ち、建築は人間の健康の非活性と再活性をコントロールする道具となる。

‘形式は機能に従う‘-時代遅れのデザイン公式

20世紀初め、機能的デザインについてのいい加減な議論が再び行われた。しかし、この時期に建てられた建築や、この時期に描かれた図面を検討してみると、新しい作り出された機能は全くないことがわかる。
この時期に起きたことは、旧来の装飾を批判し新たな工夫を付け加えることによって、因襲的生活様式に新たな形式がかぶせられただけである。機能とは何か、誰にも定義できなかった。更に悪いことには、環境秩序の新しい理念にふさわしい新しい建築原理は、ただの一つも考えられていなかった。 
 問題はスコラ学派風に提示された。すなわち、機能が形式に従うべきか、あるいは形式が機能に従うべきか、と。ここで建築は、鶏が先か卵が先かという昔からの謎の言い換えに他ならぬ問題を抱え込んだのである。そして、問題のまさに本質が看過された。その問題の本質とは、形式および機能の構造との相関、並びに発生的にこれら3つは思考の原形質に内包されているという事実である。
 もしわれわれがスコラ的アプローチを捨て去るならば、現代のデザイナーは鶏と卵とから貴重な教訓を学ぶことができる。1912年ロックフェラー医学研究所において、孵化過程にある卵があけられた。成長途上のひなが取り出され、その心臓の小片が切除された。そしてこの生きた組織小片は試験管内の溶液の中に移された。溶液中で、細菌、毒物、熱および寒さから保護され、絶えず酸素、砂糖およびその他の栄養物の供給を受けて、その組織小片は、生きているひなの心臓細胞よりはるかに活発に生き続けた。
 
この実験は、生命は生命体からしか発生しないが、それはまたおかれた技術環境にも依存しているという見識の確認である。物理的環境を変化させることによって、生命活動を促進したり遅らせたり、あるいは破壊したりすることができるかもしれない。
 ロックフェラー研究所での生命組織小片を使っての実験は、動物の個体を対象として行った場合には未だに成功していない。だが、計画的に用意された科学的環境は他の動物にとってと同じように、人間にとっても有益であることを実験は示している。同じように人間にとって重要なのは、適切に計画された技術環境なのである。
 ひなの心臓をめぐって考察された疑問とは、初期物質はどの限界点から、いかなる手段を経て、生命をもつに至るかということである。‘自然と人間の間を結ぶあの橋を見出すことが科学の大テーマとなった‘。同様に、人間と人間が造り上げた人工の技術環境との間の橋を見出すことが、未来の建築デザインの大テーマとならなければならない。

機能の新たな定義

 機能が何を意味してきたか、そして機能はデザイナーにかかわる場合、将来何を意味するようになるかを検討しなければならない。機能を静的なものと考えることはできない。さもなければ成長は停止するだろう。環境と人間の相互関係、およびこの相互関係の新たな可能性への展開は、環境の直接の結果ではない。それは、むしろ、生体内に生理学的に既に内在していたか何かが環境によって発達することである。
 機能は、自然環境の上だけでなく人工環境にも依存する。機能的デザインが人間の現状に依存するならば、それは決して発達することはないだろう。機能的デザインは人間の伝統的諸相にのみ留意することになるだろう。だが、人間の進化は、人間の可能性が環境の変化によって増大したり減少したりする事実を立証している。環境に働く力の複合体の一部分を占めている技術環境は、人間の内在的な可能性をより高度の秩序へ向かって抽出し、さらに発展させることに寄与するという自覚に立脚したものでなければならない。人間の内在的可能性は、それを想像し実現ずるデザイナー能力に依存している。
いかなる形態も、それ自体においては不完全である。形態はそれが見えるものであろうと、見えないものであろうと、自発性であろうと、非自発性であろうと、拡散してゆくものとして確認される。従って、新しいデザイナーは、機能を行動への特別の核として定義する。形式は機能にしたがうと想定するのはあやまりである。この概念は、(1)構造、(2)機能、(3)形式、という固有の進行として置き換えなければならない。すべての機能とすべての形式は、構造に内包される。

デザインと生技術の定義

電気の場合と同じように、分極は関連性の核を生み出す。これらの関連性は、より上位への発展のための潜在的可能性である。この点で、人間のあらゆる可能性必要は常時存在しているが、特定の必要は、特別の環境的刺激の要求によってのみ前面に押し出される。
 従って、‘形式は機能にしたがう‘という公式が不適当であるだけでなく、‘機能的デザイン‘がこの公式に立脚するということも同様に不適当であるように思われる。‘デザイン‘という言葉は定義し直さなければならない。建築デザイナーは、物ではなく力を扱うのであるから、私の定義によるデザインとは、団体をめぐって限定されるのではなく、種としての人間の目的に向けて慎重に、自然のもつ力に極性を与えることが出来る。
 このデザインの科学を、私は<生技術>と呼ぶ。それは、生命を望ましい方向へ導くために、人間が開発しなければならない固有の技能であるからである。パトリック・ゲデス卿が用いた生体工学という言葉は、自然界の建築手段を意味するに留まり、人間界の建築手段を意味するものではない。これら2つの手段の間に互換性はない。なぜなら、自然と人間は、2つの異なる原理に基づいて建築する。すなわち、自然は連続性の目的のために、細胞分裂することによって構築する。一方の人間は、連続性のない特別の構造の中に、さまざまな部分を接合することによってのみ構築することができる。にもかかわらず、人間の造りあげた接合体は、究極的に人間ではなく、自然によってコントロールされている。自然の力を受ける接合体には、出来上がった瞬間から、崩壊過程が切迫してくる。それゆえに、建築デザインは、より高い抵抗性、より高い剛性、より安易な維持、より低いコストによる接合の削減を目指さなければならない。こうした熟慮によって、わたしは<連続構造体>の開発をおこなったのである。
 人間が‘一生の間 ‘に可能な建築の限界を認識すればするほど、その構造はより妥当なものとなる。生物学者がいったように、‘百の部分に分離すると即、百の完全なエンジン化するようなエンジンを考えうるかは疑わしい。しかし、池の睡蓮に付着しているあの優美な淡水ポリプを取り出して分断してみよう。翌日には、分断された各断片が一個の完全なポリプとなっているだろう。‘
 新しいデザイナーは、自然がその目的に合わせて建築している方法を理解するようになるだろう(生技術)。しかし、彼は自然の方法を模倣するわけではない。彼は、ロンドンのクリスタルパレスを見舞った災害から必要な結論を引き出すだろう。
 生技術的アプローチは、人間の生理機能のあらゆる核に含まれている特定の活動の可能性を展開させようと試みるものである。(この事実と図2の概念との一致に着目せよ)。これらの可能性は当初は見出されないままでいる。時間の経過を待って始めてそれらは個々にもしくは集合的に展開され、ついには意識的に求められるようになる。その結果として‘人間の本性‘と考えられていた古い枠組みの内部に全く新しい機能が生じる。それは創意発明によって支えられているものだ。

目的:最小生技術基準

生技術的アプローチと機能的アプローチは、異なる源から展開し、異なる結果に至る。一方で、機能的デザインはすべての道具の伝統的な働きに起因する。一方、生技術的デザインは人間の進化の可能性に起因する。機能的デザインは、物体を発展させる。生技術的デザインは、人間を発展させる。機能的デザインは振動的である。生技術的デザインは創作的である。機能的なデザインは不活動的である。生技術的な物体は反応的である。
 生技術者は、疲労要素のコントロールと、再活性の力のコントロールを通して、より高い生活基準を求め社会を進化させてゆく場合の重要な要因として現れる。これは、人体のいかなる部分も単一機能ではないという発見に導き、各微細部分もまた複数の系機能から成る核に他ならないということである。
 そうした発展は生技術者によって促進され、彼は、生技術的最小基準を公式化し、その実現に寄与する。この生技術的最小基準はコルレアリズムに基づくものであって、低所得者層を、巨大なヴィラの委小化された複製に住まわせようとする単なる建築的派生物に基づくべきではない。生技術的最小基準とは、人間の健康の最適要求をみたすような家、職場およびそのコロラリーから成る技術環境のことである。
 必要をみたすすべての物は生きている。それは、必要を満たすことを停止した時、あるいは必要自体が消失した時はじめて死滅する。必要を満足させる自然の創造物はすべて生きている有機体である。同様に、人間の技術の創造物も、丸薬入れであろうと、家であろうと、モーターであろうと、すべてが生きている有機体である。生命の基準とは活動性にあるから、すでに活動性を失った人間は死んでいるものと推定される。その類推から、物が目に見える活動としての自己表現を停止した時、その物は死んでいると推定する。

建築:人間エネルギーの発生器そして非発生器として

 人間の歩く床、人間の座る椅子、人間の横たわるベッド、保護のための壁、風雨を防ぐ屋根、およびその他のあらゆる人工環境のユニットは、それ自身で意味を持つ。だがまた、それらは核の複合力をもつ。一般にそれらは、生命のない物と考えられている。現にそれらは物同士の間と、物と自然の間で働く力の相互関係を表している。それらは、それら自身の内での同化作用力と異化作用力との不断の交換に他ならず、人間との調整、および人間を通しての自己調整において、高ポテンシャルのエネルギーの中心を構成する。
 現代の物理学者は、地球に絶えずすりそそぐ目に見えない宇宙船、放射線および放射性元素について語る。それらは、知覚されないが、長い時間の中にあらゆる生命体に対して何らかの影響を及ぼす。このことは、家や町や都市の‘星間的な‘組織についても言える。但し、この場合の作動する力は生命物質と非生命物質のみではなく、技術的人工体によっても構成される。

活性力としての生技術

技術体(家であれ、機械であれ、その他のいかなる道具であれ)の活動の軌道、領域および機会は、未来の生技術者にとっての対象物である。未来の生技術者は、彼が築き上げた構造はどれも、その活性力に比例しただけの価値があることを知るだろう。
 健康を生み出す技術的道具に対する緊急の要求にもかかわらず、旧式の製造業は、いたずらに市場を騒がすだけである。建築デザイナーに関する限り、そうした反社会的生産を阻止するための彼の貢献は、生技術的アプローチを絶えず用いることであろう。
 生技術的アプローチは進化的デザイン手法へと導いた。この手法は、広くゆきわたっている
日常品から離反してむしろ、物理的技術の研究に従事する。これにより、生技術者は現象の単なる物語的観察に終始することを回避し、発展するプロセスの発生学的説明に依拠して、必要な施設を作り出すことが可能となる。次のページの<動く家庭用の本棚>は生技術デザインの妥当性を示す試みである。家庭用の本の貯蔵が、最初の実験室のテストの対象として選ばれた。その理由は、(1)それがすべての家庭での要求であること、そして(2)それが‘本棚‘というあまりにも標準化されすぎたため、その再デザイン化は当初無駄な企てと思われたこと、である。従って、<動く家庭用の本棚>は、次のような一般表明の傍証となる:機能主義は緊張を道具から人間へと移すが、生技術は人間から道具へと緊張を移す。デザイン・コルリエーション研究所は、1937年秋、ニューヨーク市のコロンビア大学建築学部の一部として、ディーン・レオポルド・アーノルドを長として設立された。その主要目的は、建築デザインへの新しいアプローチ手法を開発し、実際の建設行為によって、生技術の有効性をテストすることであった。その研究は‘専門デザイナー‘のみではなく、学部外の者で自分の専門知識を他の科学分野に生かしたいと望むものをも参加させることによって、促進された。‘生技術的な再居住化‘の最初のテストは、(a)毎日の生活のなじみ深い部分で、(b)確かな満足感を持って受け入られるものでなければならない、という了解の下で行われた。そして研究対象プロセスとして書蔵が選定された。
 残念ながら、この短いスペースで、1年半の研究と実験のあらゆる成果を説明し尽くすことは不可能である。この説明は、とう研究所として、近い将来に発表するつもりである。帰納的意味づけの方法を採用することにより、統合化が可能となる前に、全く新しい‘アプローチ手法‘が展開されなければならないことが明らかになったと言っておこう。なぜなら、本棚に現在用いられている全てのデザインの原理を要約すると一つの結論が出てくる。すなわち、道具にではなく、もっぱら利用者に緊張の負担が置かれている。

 西欧文化における書蔵の歴史を願みて気がついたことは、(本を読むかあるいは貯蔵している人)と、この目的のための特別の道具(この場合、いわゆる‘本棚‘)との間に見つけた唯一の一般に受け入れられていた用語はdwarf shelves という言葉である。すなわち、これは、中世図書館における本棚で、窓敷居まで達するか、もしくは約4フィート6インチの自立した方式である。我々は人間と本棚との生理学的関係を図にし、その結果を図12のような一覧表にした。
 帰納的な方法により、蔵書には4つの主要分類に分けられることが発見された:

(1)一時的所蔵 
(2)積極的所蔵
(3)消極的所蔵
(4)死蔵

これは発見であった。そして、この発見は家庭での蔵書のための新しい生技術的道具の最後の展開に大きな関連を持っていた。なぜなら、これらの4つの段階は、物理的、目的論的および経済的な廃港と密接に結びついているから。それはまた、新聞、雑誌、参考雑誌、小説、ノンフィクション、参考書といった各種の印刷物の供給にも大きな関連を持っていた。それらの要因は、家族構成員の年齢の変化によって影響された。現実の価格とサービス有効性に関する経済的局面が、最後(最小ではない)であった。これは明らかに、家庭の所得水準とその維持しうる居住設備とによって、影響を受けるだろう。
生産技術的には問題は6つの主な局面に還元された:
(1)空間技術 10インチから12インチの普通の寸法を、15インチの深さに増して、本の収容力を増加した。
(2)柔軟性 組み立て部分も、各部分ユニットも360度回転する(図13参照)。組み立てはいずれにしても容易に、ある位置から別の位置に移動することが出来る。各ユニットの取り付け、取り外しにより、収容量が増減できる。
(3)建設システム 利用可能な製造設備と、現在の価格水準が、デザインの中に認識されている。
(4)防禦コントロール 普通考えられている以上に、本は、人間と同じような外気条件のなかで最適寿命を保つ。扉を外すことにより、いつも換気が行われる。埃は、透明な遮断板によって防止される。
(5) 内容分類 この本棚のユニットは、本のサイズが違っても、内容に従った分類可能なデザインである。
(6) 疲労の軽減 人間の身体的限界を考えて、各ユニット及び組み立て部全体がデザインされているので、利用者のストレスは最小限に抑えられている。

我々はいくつかの基本的デザインを開発したが、これらはその1つである。それは新循環タイプと命名されており、これから社会経済の特別な要求にあった多くのヴァリエーションが開発された。<動く家庭用の本棚>は図3に示されている原理をもっている。それは、ヴァリエーション(特定の要求に合致するため)と改良(究極的に、新しい基準によって乗り越えられるため)とを受け入れる。更に重要なのは、本自身も同様の発展法則に従い、究極的にはより新しい‘コミュニケーションの道具‘すなわちマイクロフィルム、テレビジョン、光学判読、等によって置き換えられるかもしれないということが、認識されている点である。この要因は図9に詳細に示されており、そこでは移動式家庭用本棚は技術進歩と時間の中に正しく位置づけられている。

コルレアリスムとは環境における誕生と崩壊のサイクルのことを指す。

(環境芸術家キースラー 山口勝弘から引用)

9.キースラーの建築論について

このキースラーの論文から分かることは何であろう?キースラーの建築論は原始の時代で生活の場として行われていた洞窟の回帰ということが考えられている。これはマジック・アーキテクトと呼ばれるキースラーが書いた建築論にも書かれているが、このキースラーのエンドレスハウスは原始への回帰というものが考えられる。

建築を考えたとき、四角、円、角、楕円というものが浮かんでくる。このエンドレスハウスを考えたとき楕円というような形だと感じる。

キースラーの建築に対する考えは間違えなくモダニズムの否定を表している。事実キースラーもモダニズムの四角い建築を非常に嫌っていた。そこからキースラーの建築論は始まると考えられる。

エンドレスハウスには円や楕円といった生物的な形態が謙虚に現れる。この生物的な形態はキースラーだけではなくガウディやアーキグラムのリビングポッドや近年ではジョン・ヨハンセンの建築の新種、伊東豊雄の展示会「新しいリアル」などでも取りだたされているし、黒川記章の新建築の建築思潮についてのコラムでも機械の建築から生物の建築へと言うコラムなど、近代の建築思潮でエンドレスハウスに見られる形態は建築のメディア等でとり立たされている。

そしてエンドレスハウスはキースラーの集大成とも言えるものである。これは2度の建設が試みられたが実際には作られることはなかった。

エンドレスの形態は建築の本質、というものが関係しているのかも知れない。ヴェルフリン著の「抽象芸術と感情」では抽象芸術というものは人間の本質的な感情を表したものであるとされている。そして建築にもこの抽象的とも言える円や楕円形態を利用するべきだということを私は推測する。だからこそキースラーしかり、またガウディしかり自然にあるような、ある意味で自然主義といっていい形態を建築に起こしたのではないかと推測する

エンドレスハウスに見られる構造、キースラーは殻体構造と呼んでいるがこの構造のメリットは

(1)照明の点で有利である。

これは四角いモダニズム建築と比較すると、殻体構造は途切れることがないため、光の反射が永遠に続くことから、照明において非常に効率がいいということを言っている。

(2)音響の点でも有利である。

これもまた照明と同じようにまんべんなくいくことから有利であるということを言っている。

(3)人工の宇宙卵である。

と言う点にあるそしてエンドレスハウスにはキースラーの建築理論が込められているのであるが、どうも科学的に不可解なことをキースラーは言っている。「この建築は人間が作り出す人工の宇宙であり、そしてこの宇宙は人間や生き物が最初に生まれ育った卵から始まる」とされている。これは科学的なものでは解明できづらいものである。そしてこの建築は洞窟をイメージして作られている。それは人間が最初に生活してきたのは洞窟といった自然形態そのままのものであり、この建築は人間の生活においてあるべき場所に帰るためにものであるとしている。そしてこの建築のリビングルームには宇宙の中心性を現すという火と水で構成された蜀台で出来ている。これは円でできている。

(4)空間の連続性

空間の連続性というのはバウハウスを代表するようなモダニズム建築と比べて述べている。四角は空間の意味で途切れるが、エンドレスハウスの殻体構造は途切れることがない。そして全てのものは繋がっていなくてはならないというのがこの建築家の理論でもある。

(5)時間の連続性

近代建築は50年持てばいいと言われている。これはモダニズムの建築家でもあるエゴン・アイアーマンも語っている。確かにコンクリート建築は50年もてばいい方である。このキースラーの言っている時間の連続性とはまず建築が施工される。そのあとに竣工されてから生活空間として建築を利用したあと、次に建築が生活空間として利用できなくなったあとに、芸術としてモニュメントとして利用し、風化するまで利用するというものである。それにより、時間の連続性、終わりなき、永遠性がもたらされる建築になるのだとした。エンドレスには建築において3つの主要な段階があるのである。

(1)生活空間として

(2)芸術

(3)土に返る

そしてこれを繰り返す。それにより建築に永遠性が持たされるのだという。

エンドレスハウスでキースラーが最もいいたいことは、
この建築は「構造」「機能」「形態」の順に従って生まれたということである。

そして機能、芸術、破壊という終わりの無いサイクルを
エンドレスハウス通して提起した。

(Frederick kiesler:endless house 1947-1961から引用)

10.おわりに

キースラーのデザインは現代におけるザハ・ハディドに見られる新国立競技場などにみられる有機的造形に類似している。特にAAスクールやコロンビア大学院の建築学科などの造形の先駆的存在だったといえよう。

香月真大建築設計事務所/SIA (second international architecture) 主催/一級建築士 Curatorial Architect Second International Architecture SIA一級建築士事務所 済証無・図面無・旧耐震の既存ストック活用の実践をしています。

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