秘宝伝説-埋蔵金と風水-

  by 九尾信貴  Tags :  

秘宝というと、なにを思い浮かべるだろうか。
埋蔵金か?!随分前に、TVで徳川埋蔵金の発掘を放映していた。赤城山を掘りまくった。大型ショベルやボーリングで深さ50m以上も。昔の人がそんなに地中深くに埋めるのか?と正直疑いたくなる。
結局、発見には至らなかったが、TV番組は高視聴率を維持していた。最後の方は、もう茶番だったことも事実である。
埋蔵金。やはり、そこには浪漫があるのだ。歴史の片鱗に触れ、期待に胸を膨らませ、まさに、血湧き肉躍るということになるのだろう。

日本の埋蔵金伝説は、全国に山ほどある。
全部とは言わなくても、半分でも見つかれば、それこそ、どえらいことになる。可能性は希薄だが。
今抱えている、日本の借金もだいぶ減らすことができるのじゃないか。国債ばかり発行して、膨らむ一方のこのご時世。

改めて言うまでもなく、ここで言う埋蔵金とは、一時騒がれた政府がいう隠された余剰金、いわゆる「霞が関埋蔵金」のことではない。企業の内部留保の金のことでもない。
歴史のなかに埋もれた、財宝のことである。古銭や小判のたぐい。
少ないながら、過去に発見されたことがある。建設予定地の掘削作業や、お寺の境内などで。

埋蔵金は法律上「遺失物」として扱われ、落し物と同じ扱いになる。
その後6ヵ月以内に所有者が見つからない場合、発見者の物となるが、それは条件付である。発見した土地が自分の土地であれば問題ないのだが、他人の土地なら、発見者と土地所有者で折半。
もし、埋蔵金所有者が特定された場合は所有者に返還となり、発見者には最低5%~最高20%の「報労金」が支払われる。

文化財保護法の壁もある。発見された埋蔵金を、文化庁が「文化財である」と認定した場合は、国の財産となり、発見者には報労金のみとなる。国有地で発見されることも想定される。色々ハードルがあるわけだ。従って、生涯を費やして浪漫を追いかけても、見返りは思ったほどということもあるだろう。
しかし、歴史に名を残すことはできる。

埋蔵金伝説の浪漫とは・・・
歴史に触れ、その当時の生きた人々を偲び、古文書や暗号の謎解きにあるのだろう。
いつの世も、金銭欲は最も強い欲のひとつで、まさに煩悩である。
歴史研究において、文書を読み解き、考古学のアプローチをするのが定石だ。
まさに埋蔵金発掘は、その縮図である。

ずばり、宝の地図でも見つかれば、何も苦労することはない。しかし、そんなことはまずない。
ある特別な場所にあるのではと想像してしまう。
四神相応という言葉がある。東西南北が風水学に合致するところは、パワースポットになるというものだ。
北は玄武。山
東は青龍。川
南は朱雀。湖や池
西は白虎。道

古くは京都の平安京は、四神相応で都が置かれたといわれている。
北は、船岡山
東は、鴨川
南は、巨椋池
西は、山陰道
ということだ。

これを例えば、NHKの大河ドラマ「八重の桜」で話題の会津で考えてみる。
会津といえば、磐梯山に猪苗代湖だ。”会津磐梯山は宝の山よ”と謡われるように、何かしらの埋蔵金を示唆しているのかもしれない。


北は、磐梯山
東は、長瀬川(猪苗代湖に注ぐ)
南は、猪苗代湖
西は、会津街道や会津西街道
となる。
ここでいう、会津街道とは、新潟新発田を結ぶ越後街道のこと。会津西街道とは、栃木日光市今市を結ぶ下野街道のことである。

ただ残念なことに、会津若松市の中心は、猪苗代湖より西岸にあり、四神相応のエリア外となる。
会津松平家の初代領主、保科正之公の墓は、磐梯山の麓、エリア内にある。保科正之とは、徳川二代将軍秀忠の三男で、三代将軍家光の腹違いの兄弟である。

ということで、四神相応は日本全国に探せば色々あるだろうと思う。
そこは偶然なのか、歴史伝承があるのか、探ってみるのも面白いのではないか。

遊神と危道の探求を信条に。ただ迷想も間々あり。 あらゆる分野のリーディングカンパニーでSEとして従事という特異な経歴を持つ。旅・歴史探訪・テーブルゲームをこよなく愛し、古き良き日本を探すことに生甲斐を覚える。

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