大内宿の半夏祭り

  by 九尾信貴  Tags :  

7月2日
大内宿の半夏祭りが行われた。

夏の日差しが強く、青天の良い天気でした。山に囲まれた盆地になっているためか、標高がある山の中にもかかわらず、気温は平地よりも高い。
だが、深い山間にある集落は、日陰に入ると心地よい涼風が吹き抜けていた。

大内宿は、会津西街道にある宿場。今でも昔の宿場の名残を色濃く残している。

会津西街道とは、栃木日光市今市を結ぶ下野街道のことである。

そう、どれくらいあったのだろう。
旧街道沿いの両脇には、茅葺屋根の家屋が三十戸はあったように思う。
白川郷の合掌造りほどの深い屋根ではないが、どの家屋も見事な茅葺だ。建具も年季が入っている。

宿場は、今では土産や地場物の店になって、観光地として生まれ変わっている。
宿場に入る手前の駐車場には、観光バスや車が数多く止まっていた。

前に来たときは、なにもイベントがない、普段日常の日で観光客はまばらだったが、今日は人が多い。


皆、顔に笑みがある。
1年に1回の祭りを楽しみにしている地元民と観光客が入り混じっているのが分かる。

360度、山に囲まれた小さな集落だが、茅葺屋根の家屋は見事に風景にとけ込んでいた。とにかく、山がすぐ近くまで迫っているのだ。新緑に染まった山が手を伸ばすと届きそうなところにある。
日本の原風景のようだ。思わず、口元がほころぶ。

街道を歩いていくと、中ほどに鳥居がある。
高倉神社とある。
その鳥居を覗くと、あっ、となる。

鳥居の向こうに、ずぅーと、まっすぐに畦道が続いているのだ。それは、山まで続いている。
よく見ると、遠く山の麓には、真新しい木の鳥居があって、神社の社殿に続く階段が、鬱蒼とした暗い木の間から見えるのである。
あんなところに、神社があるのか。

その長い畦道には、両側に人が立って、神社の方を見ていた。
なにか、期待をしている顔だ。望遠カメラを手に構える男性、日傘を差して談笑する婦人、半被をきた子供たち。TVカメラも入っていた。

小生はこの祭りは初めてである。なにも知らない。
だが、この氏神で高倉神社の祭りであろうことは、容易に分かるので、この畦道に並ぶ人達には何か理由があるのだろう。

家屋と家屋の間の路地を抜け、裏手に回ってみることにした。
ちょうど、長い畦道を横から見ることができるところだった。あまりの日差しの強さに木陰に入る。
時間はちょうど、12時半を過ぎたところだった。

裏手には、分校があった。もう廃校になっているように見える。小さなプールや体育館もあった。
畦道は、分校の運動場と反対側にある寄合の集会所との間を走っていた。

さきほど、街道にいたとき、誰かが、「12時半からだってさ」というのを小耳に挟んでいた。
12時45分頃、遠く神社の階段を降りてくる行列が目に入った。
先頭を白装束に身を包んだ一団が降りてきた。その後からも続々と人が降りてきた。

思わず、畦道まで歩み寄っていた。
行列はすぐに目の前を通った。白装束のあとには、獅子舞を被った者が歩き、そのあとに高下駄を履いた天狗の面を被った二人が続く。小さな神輿もあり、その後、おそらく、御神体であろう小さなガラスケースに入った像が二体、差し掲げらていた。

その像は一見して、公家というよりも武家のように思った。鎌倉時代の源頼朝の肖像画を思い出す。そのような出で立ちだ。
なにか、源氏の謂れがあるのか、それとも、会津であれば、古くは蘆名家が治めていたので、何か関係あるのかしれない。調べれば分かることだが、あえてしない。(笑)

祭り自体は、ごく細やかな小さなものだが、なにかほのぼのするものだった。
それは風景とマッチして、雪深い山間の短い夏を謳歌する人々の姿があった。

遊神と危道の探求を信条に。ただ迷想も間々あり。 あらゆる分野のリーディングカンパニーでSEとして従事という特異な経歴を持つ。旅・歴史探訪・テーブルゲームをこよなく愛し、古き良き日本を探すことに生甲斐を覚える。

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