一連の長谷川豊氏騒動に思う、日本人が抱える心の闇。

  by ぶらっくまぐろ  Tags :  


「透析患者を殺せ!」とミスリードし、最後はレギュラー番組全降板と言う形で幕引きを見せた一連の騒動。
フリーアナウンサー長谷川豊氏のブログには「ありがとう」というタイトルで事の顛末が綴られている。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48598715.html

筆者はそもそも長谷川豊氏が書くブログのファンであったので、最初の「殺せ」ブログを拝見した時に「あーあ、やっちゃったな」と思った。
なぜならこのタイトルは、天敵である「ノイジーマイノリティ」が攻撃するのに格好の燃料だと感じたからである。

“炎上”とはよくできた比喩だなと思う。
燃料を投下する人、それに火をつける人、着いた火を煽って大きくする人。これらのどれもいないと成立しない。
インターネットが許してきた“個人の匿名化”“顔のない広告人”の存在は、一人の人間に複数の人格を与えることに成功した。
総理大臣でもサラリーマンでも主婦でもニートでも引きこもりでも、発信する言葉の価値は匿名である限り変わらないのだ。

インターネットが日本人に与えたもの、それは「個人への攻撃性」である。
巷で売れているゲームタイトル一つとってもお分かりのように、ただただ殴り飛ばせばいい、こちらは傷まずにずっと攻撃できるというシステムは日本人にとって相性がよかった。憎らしいほどに。
もし自分が攻撃されたらアカウントを削除すればいい。だってそれは数ある人格のうちの一つでしかないのだから。

現実社会でストレスを抱え、自己主張の出来ない人間は、その鬱憤をモニタの向こうにぶつけようとする。
誰からも傷つけられないという安心感がその攻撃性を増幅させながら。

そうやってモニタの向こうで形成されていく現代日本人の社会性と人間性に物悲しさを覚えるとともに、ノイジーマイノリティの声に怯えて“一発レッド”を出し引きずりおろす。そんな息苦しさを感じて過ごす今日この頃である。

関西生まれ。 テレビとかCMとか馬とか食とか好きなので、そういう記事が多くなるかもしれないです。 執筆記事、超募集中。

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