スマホ依存症という言葉が近年メディアを匂わすようになった。インターネット依存症として扱われることが多く、本質的には同じである。
インターネット依存症は家にいることが多い傾向があり、家族も気が付きやすいが、スマホ依存症になると、外出していてもスマホは使用可能であるため、発見しづらい現状があるようだ。
何かに依存したいという気持ちは、現代に始まったわけではない。宗教への信仰なども、ある種の依存とも捉えることができるだろう。
どれほど、科学技術が発展しても人間の心は弱い存在である。そうした中、人間の弱さを救う役割をスマホやネットが果たしているのだろう。もちろん、それらのものは便利なものであり、適切に使用すれば問題ない。
近年、問題になっているIS(イスラム国)へ世界中の若者が共感しているという話を聞く。かつてニーチェが「神は死んだ」と唱えた。しかし現代社会においても、人類は絶対的な何かに依存しなければ生きていけないのかもしれない。依存症やISの問題は決して他人事ではなく、我々はもう一度、それらについて見つめ直す必要があるのではないだろうか
※画像は
Fujitsu ARROWS-V F-04E. / MIKI Yoshihito (´・ω・)より引用