前2回に引き続き、今月末で著作権保護期間を満了し、生前の著作が“自由化”される先人たちを分野ごとに紹介して行きます。
今月末で著作権保護期間が満了する先人たち‥2014・その1【日本文学編】
http://getnews.jp/archives/711260 [リンク]
今月末で著作権保護期間が満了する先人たち‥2014・その2【海外文学編】
http://getnews.jp/archives/712251 [リンク]
今回は美術および建築分野の先人たちです。
小杉放庵(1881-1964、画家)
1881年(明治14年)、栃木県に生まれる。はじめ洋画を描き、日露戦争に際しては従軍記者として前線を視察し戦闘画や漫画を描いて好評を博した。帰国後は水墨画を描くようになり、日本芸術院・二科会などの団体に属していたがいずれも大正中期に脱退して新たに春陽会を立ち上げる。
太平洋戦争中は新潟県の新赤倉(現在の妙高市)に疎開し、戦後も新赤倉に留まって精力的に水墨画を描き続けた。代表作に『水郷』『炎帝神農採薬図』や1927年(昭和2年)の第1回から1973年(1973年)の第44回まで使用された都市対抗野球の初代優勝旗(黒獅子旗)、著書に1930年(昭和5年)刊の『放庵画論』など。出身地の栃木県日光市に記念美術館がある。
『青空文庫』には、春陽会の創設に携わった画家の1人でエッセイストとしても知られる木村荘八(1893-1958)が遺した人物評『小杉放庵』が登録されている。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001312/files/47644_34106.html [リンク]
朝倉文男(1883-1964、彫刻家)
1883年、大分県の渡辺家に生まれる。10歳の時に浅倉家の養子となるが、旧制中学への入学に失敗し彫刻家として活躍していた長兄の渡辺長男(1874-1952)を頼って上京する。兄の下で彫刻を学び東京美術学校(現在の東京藝術大学の前身の1校)に合格、卒業後は『闇』や『墓守』で名声を得る。高村光太郎(1883-1956)とはしきりにライバル関係を喧伝される仲であった。
1944年(昭和19年)に勲四等瑞宝章、1948年(昭和23年)に文化勲章を受章したが、戦前の作品の多くは戦時の金属供出により現存していない。戦後は旧東京都庁(現在の東京国際フォーラム)前の太田道灌像や大分市の遊歩公園にある滝廉太郎像などの人物像を主に手掛けた。
著書に『和洋建築及彫刻』(1922年)など。東京都台東区に浅倉彫塑館、大分県豊後大野市に朝倉文男記念館がある。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964、建築家)
アメリカ合衆国カンザス州に生まれる。1905年(明治38年)に宣教のため来日し、1908年(明治41年)に京都で建築事務所を立ち上げる。以後、滋賀県を中心に関西一円で教会・病院・学校建築の分野で手腕を発揮し、日本基督教団大阪教会(登録有形文化財、1922年)や関西学院大学校舎群(経済産業省選定近代化産業遺産群、1929年)、豊郷町立豊郷小学校旧校舎(登録有形文化財、1937年)などの名建築を数多く手掛けた。
1941年に日本へ帰化し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)を称す。1957年(昭和32年)に藍綬褒章、1961年に黄綬褒章を受章。没後に正五位、勲三等瑞宝章を追贈された。没後50年に当たる今年は半生を過ごした近江八幡市を中心にヴォーリズの回顧を目的とした様々な行事が行われている。著書に『失敗者の自叙伝』(1951-57年雑誌連載、1970年刊)など。
(その4につづく)
画像:ヴォーリズが設計した豊郷町立豊郷小学校旧校舎
(撮影者:Tokumeigakarinoaoshima – CC0 1.0 Universal Public Domain Dedication)
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_old_school_building_of_Toyosato_Elementary_School.JPG [リンク]