前田敦子はAKB48を卒業しなければ”スタァ”になれなかった

  by 伊丹空互  Tags :  

 

『前田敦子はキリストを超えた』
昨年末、このようなタイトルの新書が発売され、話題となった。
ただし、ここではこの言葉の真偽を確かめようというのではない。
人気絶頂のアイドルグループから、一番人気のアイドルが卒業すること。
発表当時、このことは、なぜか否定的に受け取られることが多かった。(※1)

だが、筆者は、前田敦子の決意が否定的に受け取られるべきだとは思わない。
その理由を述べる前に、表題にもある”スタァ”という言葉に注目してほしい。

“スター”ではなく、”スタァ”だ。

 

“スター”と”スタァ”の違いとは?

筆者はここで、まず”スター”と”スタァ”の違いについて定義付けを行いたい。
簡潔に言うなら”スター”とは、テレビを通して受容される存在だ。つまり、日本テレビ系列『スター誕生!』が視聴者参加型番組(※2)であったことから連想できるように、”芸能界が手に届く”時代の芸能人である。この『スター誕生』の放送期間(1971年〜1983年)を考えると、総合的には日本が、特に経済的に上り調子と言ってもよい時期であり、高度消費社会化が叫ばれた時期にも重なる。また、1973年にはカラーテレビの普及率が白黒テレビのそれを抜き、一家に一台テレビがあるような時期でもある。

“みんな”がテレビを観る時代。
大衆が、ルール上は誰でも芸能界を目指せる時代。

そのときの芸能界の中心に君臨していた者こそが”スター”と呼ばれていた。

こういった事実を踏まえると、やはり”スタァ”は”スター”とは似ているけれどもどこか違った存在だ。
“スタァ”には、どこか手の届かなさそうな、まさしく星(スタァ)を思わせるような響きが感じられる。
この”手の届かなさそうな”という感覚は、いうまでもなく、映画館で観る存在(スタァ)と茶の間でテレビと通して観る存在(スター)の違いだ。終戦後、昭和20年代(1940年代後半以降)には『映画スタァ』という雑誌が販売されていたことからも、「スタァ」という言葉と映画との関係の深さを推し量ることができるだろう。

 

シネフィルは悪か?

この説には”ただの昭和ノスタルジーだ”という批判もあるかもしれない。
だが考えてみてほしい。敗戦直後、この国の娯楽といえば映画だったではないか。(敗戦直後から、それまで各地で隠されていた洋画が発掘し直され、各地で上映されたというエピソードもある)
“スタァ”も”スター”も、その時代のこの国のエンターテインメントの中心を表す語であることには変わりない。
ここで議論されているのは、むしろスタァと映画・スターとテレビといったような語と語の結びつきである。

前田敦子は、”クラスで7番目くらいにかわいい女の子が集まったグループ”という、一般人でも芸能界で夢を追求することができるということの極みを追求したようなコンセプトをもつAKB48(始動時の呼称は秋葉原48)のオーディションに自ら応募し、そして合格した。
晴れて芸能人としての人生を歩むことができたというだけでも、素人目にみれば大変素晴らしいことである。
だがしかし、彼女はそんなコンセプトのグループの中でセンターを勝ち取った。(二度の総選挙1位は、センターたる者としてファンが承認したことの最大の証明になる)
一時期はインターネットやテレビで観ない日はなかったのではないだろうか。
AKB48に所属していたときの前田敦子が”スター”であったことは誰もが認めることだろう。

そして、前田敦子がAKB48を卒業した今(思えば卒業公演からすでに半年以上が経過している!)、彼女自身は、”スター”から”スタァ”に生まれ変わろうとしている。

AKB48からの卒業直後、おそらく加入して以来初めてであろう長期の休みを得た彼女は、ニューヨークに行くなどして、自分のための時間を多く取ることができていたようだ。(※3)
ほどなくして、Twitterを始めたことは、大きな話題となった。(※3)

実は、このTwitterにおいて、特にファンの間で話題を呼んだツイートがある、
それは、浴びるように「映画」を観ていたことである。
エヴァンゲリオンから、小津安二郎作品に至るまで、実に多岐に渡る種類の映画を短期間で観ていたようだ。(※4)
映画を観るのは、本人によれば「映画・演技について学ぶため」とのことであるが、あまりの視聴量の多さに、ファンからは「あっちゃん(前田敦子の愛称)がシネフィル(映画依存症)になってしまうのか・・・」という声も上がったほどであった。

筆者は、前田のこの行為を”スター”から”スタァ”になるための、言い換えるなら、「会いにいけるアイドル」=スター(テレビで見る存在)から一つ壁を隔てた存在であるスタァ(映画で観る存在)へ変化するために不可欠なものであると考える。
“スター”が、テレビをブースターとする大衆性に起因する羨望を集めるのであれば、”スタァ”が持つのは、スクリーン上で自ら発する威厳のようなものだ。
威厳という言葉が好まれなければ、それこそ神々しさだとか、単純に輝きといった言葉に置き換えても良い。
ここで、”美空ひばりのような”と形容するのはさすがに露骨であろうか。

ここまで読んでいただけたなら、AKB48というグループアイドルに所属している限り、彼女が”スター”になりえても、”スタァ”には遠く及びようが無いことをご理解いただけるだろうか。

そして、まぎれもない事実として、2012年3月に前田敦子はAKB48からの卒業を発表し、同年8月の東京ドームコンサート、さらに翌日の秋葉原・AKB48劇場での卒業公演をもってAKB48から卒業した。

思えば、加入当初から彼女の夢は”女優さん”だった。

“スター”から遠く離れて、”スタァ”へ。
我々は、その挑戦を”遠くから”見守ることになる。

 

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(※1)特にインターネット上では、アンチを中心に「前田はAKB抜けたら終わり」といったような言説が語られ、「前田や大島(優子)はAKBという看板を失ったら、特徴など何一つ無い」というような考えが一定のコンセンサスを得ているように思われる。

(※2)視聴者が”スター”を目指して、予選を勝ち抜き番組に出演することも夢ではなかったし、会場で観覧した客は本戦で出演者として参加している者に投票する権利があったという意味で、”視聴者参加型”であった。

(※3)NAVERまとめ「あっちゃん(元AKB48前田敦子)ニューヨーク暮らししてた!」 http://matome.naver.jp/odai/2135096072364315101

(※4)泣ける映画と本のBlog「前田敦子が見た映画まとめ (前田敦子がお勧めする映画とは)」 http://nakeru.blog23.fc2.com/blog-entry-5845.html

AKB48タイムズ「元AKB48 前田敦子、女優になるため1日8時間映画を見る

http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/21868387.html

 

主な関心領域はサブカルチャーです。メディアアートや現代美術、単館系映画なども興味があります。デジタルネイティブ世代から観た視点で物事を切り取りたいと思っています。お問い合わせは [email protected] まで

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