交際費はムダ金 生活保護世帯の収支

  by misaki  Tags :  

 

「習い事なんかするなよ」

「自分のことを貴族だとでも思っているのか」

「交際費ってなんだよ まさかお友達とのディナーじゃねーだろな」

 

3月6日の朝日新聞に掲載されたとある記事に対し、インターネットの掲示板ではこのような反響が寄せられている。

記事は生活保護に関するもの。2人の子どもを持つ女性(シングルマザー)の生活保護費とその使い道に関するものだ。

女性の収入は生活保護費のみで、受給額はおよそ29万円。使途は家賃・食費・被服費など衣食住に関するもの、日用品や医療にかかるお金などに加え、交際費や娯楽・習い事の費用も含まれている。

中でも交際費(12000円)、娯楽・習い事(40000円)に対しては”もっと削れるのではないか”という意見が多く、冒頭のような厳しい物言いも見られた。

 

生活保護が財政を圧迫しているという現状、必死で働いてもゆとりある暮らしには程遠い”ワーキングプア”の存在、世間を騒がせた不正受給の問題もあり、生活保護の制度に関してはその必要性とともに制度の見直しも図られつつある。同時に、生活保護を受給していることは”国のお金で生きていること”であり”贅沢なんてもってのほか”という、もともと根強くあった風潮もいっそう厳しいものになりつつある。生活保護受給者が飲酒・喫煙・パチンコをすれば、殺人者でもあるかのように糾弾される。

もちろん、そうした考え方は完全な誤りではない。働ける能力がありながら、生活保護という制度に甘え、働いている人ですらできないような贅沢をしている人がいるとしたら、正すべきことだろうと思う。

しかし、生活保護の受給者に対し”衣食住など命に関わる費用も最低限に切り詰め、それ以外にお金を使うな”という論調がエスカレートし、それを主張する言葉や態度が節度のないものになっていくことについては懸念を感じる。

 

もしも本当に、”衣食住など命に関わる費用も最低限に切り詰め、それ以外にお金を使うな”という考え方が正しく、受給者はその通りに振る舞わなければならないとしたら――。

 

第一に、生活保護の受給者は社会から孤立してしまう。交際費や娯楽費をゼロにすれば、親しい友人と食事をすることも、地域のお祭りなどのちょっとしたイベントを楽しむこともできない。子どもを友達と遊びに行かせることもできない。お金などかけなくても、他者との間に確かな信頼と絆を保てる関係が築ければ一番いいのかもしれない。しかし、世間の生活保護受給者に対する厳しい視線を思うと、相手の懐に飛び込むような振る舞いも難しいだろう。お金は全てではない。だが、外に出かけて出会いのきっかけを得たり、一緒に食事をするなどして親交を深める手段としては重要なものだ。世間に対する後ろめたさや引け目を感じる受給者にとって、交際費や娯楽費をゼロにすることは、社会とつながるチャンスも大幅に失われてしまうことを意味する。かといって、交際費や娯楽費を少しでも確保し、社会と関わろうとすれば、先に述べたような”贅沢をするな”といわんばかりの視線にさらされ萎縮してしまうだろう。生活保護受給者の生活は、どう転んでも孤立しがちなものになり得てしまう。

 

第二に、生活保護世帯に育った子どもの将来について。生活保護を受けながら子どもの塾や習い事にお金を使うのは言語道断という人もいるかもしれないが、むしろ生活保護世帯においてこそ、塾や習い事にかけるお金は確保するべきだ。社会的再生産という言葉があるように、親の経済力やそれによってもたらされる学問・芸術などの文化資本は子どもの将来に影響を与える。将来とは進学や就職であり、子どもが成長した後の生活水準のことだ。例えば就職活動において、学歴差別は悪であるとか”人柄重視”の選考を謳う企業が出てきても、実際には大学のランクによって説明会すら参加できない現実がある。世の中は学歴社会なのだ。それに、スポーツや芸術などひとつのことに取り組んだ成果は、粘り強さや目標達成能力などの目安として評価の対象になる。ピアニストやプロサッカー選手になれないとしても、習い事から始まってひとつのことに取り組む経験は重要だ。生活保護世帯だからという理由でそうした機会が得られなくても仕方ないなんて、どうして言えるだろう。もちろん、社会的再生産は絶対の法則ではなく、これが当てはまらない例は探せばいくらでもあるだろう。貧しい家庭に育ち、いや貧しい家庭に育ったからこそ努力を重ねて偉業を成し遂げた人はたくさんいる。だがそれは誰にでも成し得ることではない。経済的余裕がなく、文化に親しむことができないために能力を高める機会に恵まれず、進学や就職の道が狭まる――それは長い目で見ると、新たな生活保護世帯を産み、格差を広げることになりかねない。

 

生活保護法が憲法第25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という条文に基づいている。

”健康で文化的な生活”とは、”必要最低限の衣食住環境があればよい”というだけでは満たされない。社会と関わり、学び、遊んで自らの可能性を広げていけることも必要だ。それに真っ向から対立するのが”衣食住など命に関わる費用も最低限に切り詰め、それ以外にお金を使うな”という考え方だ。このような考え方が主流になってしまったとしたら、生活保護受給者は孤立を深め、生活保護受給者層は再生産され、結果として”健康で文化的な生活”との矛盾が生じてしまう。

 

このような矛盾を生じさせないためには、「①生活保護世帯が交際費や塾・習い事のお金を確保することを、その必要性とともに理解する社会になる」か、「②生活保護世帯がお金をかけずとも社会と関わり、子どもを塾や習い事に通わせたりできる環境が整うこと」が必要だ。①については、人の感情的・信条的な部分も含まれるので実際は困難だと考える。生活保護世帯の子どもを対象に無料学習会を開く自治体や、スポーツなどの校外活動を支援する団体があることなどから、②については今後も様々な取り組みがなされると期待できる。

 

それにしても、この話題に関するインターネット掲示板の書き込みには閉口した。冒頭で触れたのは氷山の一角で、見渡す限りの呪詛の海。巨大掲示板の芸風(板風?)とはいえ暗澹たる思いがする。生活保護の話題に限ったことではないが、インターネットによって簡単に呪詛めいた言葉を投げつけられる時代なのだ。しかし、現実を変える力を持つのは、匿名の罵詈雑言や恨み言ではなく、実際に手足を動かし、当事者と接する人々であることを忘れてはならない。

 

<参考URL>

痛いニュース

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1753408.html

社会的再生産
http://ksnkshakai.exblog.jp/2585667/

チャンス・フォー・チルドレンの取り組み
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130222-00000142-mailo-l28

自治体の進学支援
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/OSK201010110006.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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