「非戦の安全保障論 ウクライナ戦争以降の日本の戦略」から考える「核兵器使用を裁く国際法廷」の提案と日本主導の「停戦交渉」

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[筆者コラージュ作成:出典「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」出版記念講演会「非戦の安全保障論ウクライナ戦争以後の日本の戦略」(2022年10月14日)]

 本書は「自衛隊を活かす会」有志の識者らが、今世紀の「ウクライナ戦争」の渦中にある北東アジアまで及ぶ「終戦後の新たな国際秩序」を考察した論戦である。2022年10月14日に出版記念特別催事が開かれた。

 同会の柳澤協二代表は「米国が正面切って出ていくとロシアという超大国同士の衝突によって第三次世界大戦が始まってしまう。いま、私たちが立たされているのは「ロシアのウクライナ侵攻」にせよ、米国のナンシー・ペロシ下院議長による台湾の蔡英文総統の訪問で、今の中国が台湾に侵略する可能性にせよ「大国の中小国への侵略」と逆にそれを大国の力を頼って戦争を止めようとすれば、やはりどちらも世界大戦につながる選択できない状況だということだ。
 米国のジョー・バイデン大統領は「ウクライナは我が国の同盟国ではない」と発言し、ロシアも軍事的な水際の抑止が働かなかった。これまで米ソの冷戦時代には「核の使用をしない」という「対等な」大国同士の抑止関係というものがあった。どんな超大国が攻めてくることがあっても、やがては米国が防衛に駆けつけてくれるから「安全だ」という漠たる想定があり、私は防衛官僚として米国の核の傘まで繋がっていく「抑止の段階(エスカレーション・ラダー)」で日本の防衛が成り立ってきたと思っていた。それは抑止されることを大前提に「米国と繋がっていれば安全だろう」と見越したものだった。米国とNATOは核以外にも通常兵器行使も視野に入れ、「デタランス(deterrence: 抑止)」と「リ・アシュアランス(reassurance:安心供与)」の対応を取らざるを得ない防衛の抑止の論理の結末になっていく。つまり「相手が戦争をしなければならない状態の国益を保障してやる」という相互の共通認識があれば、相手は何も武力行使をしなくて良いという相互対話が必要であるにも拘らず、軍事的抑止がなされていく。今世紀のロシアがウクライナに侵攻した「大国の管理」という「勢力の切磋維持」のバランスの問題が切磋維持だけでは済まなくなってきている、というのが私の考える「戦争の構造だ」と平和を担保すべき大国が平和を脅かしている「国際秩序の破綻」を問題提起する。

 NPO法人・国際地政学研究所の林吉永理事は「既存の戦後秩序の回復は勝った側が負けた国に対してその意思を強制するものだった。今まではそういうことが多かった。第一次世界大戦ではそれがドイツにインパクトを与えたからヒトラーが反旗を翻すわけだ。第二次世界大戦後は国連を作ってドイツと日本が監視下に置かれた。そこから考察すると、戦後秩序の形成で成功した事例というのは30年戦争(1618〜1648年)の後、敵も味方も一緒になって戦後秩序を作ったウェストファリア体制しかない。その後は全部勝者が敗者の意思を強制する戦後秩序だった。『プーチンの戦争』を終わらせるには、これは大きなヒントになると思う」と語る。

 元桜美林大学教授・防衛研究所の加藤朗研究員は2017年3月にウクライナの首都キーウとハルキウに初めて訪れた時の印象を「ここはアフリカか?と思ったくらい貧困国だった」と語る。ウクライナの一人当たりGDP(2021年)は約4800ドルで、日本の約8分の1。購買平価が1万4300ドルで3倍くらいになっているから、経済的なレベルで考えると、ウガンダやナイロビに等しい貧困国だ。ロシアも一人当たりGDPは約1万2000ドルで、世界全体のGDPが2%もない国。ゼロコンマ何%という、とても先進国とは呼べない2カ国が戦争しているのが実態だ。「ロシアウクライナ戦争後に待ち受けている経済的破綻は相当悲惨なものになり、いかに立ち直れるか否かが課題となるだろう」と悲観視した。

 「国連改革も日本主導で」と叫ばれるご時世。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、今回のウクライナ危機をめぐって「人道的停戦」という言葉を使っている。
 国連臨時総会で、ロシアのウクライナ4州併合を無効とする決議が145(賛成)vs 35(反対) vs 5(棄権)で可決された。ロシアのウクライナ侵攻が始まってから1週間後の3月の国連臨時総会でも141(賛成)vs 35(反対)vs 5(棄権)で非難決議が可決された。
 加藤氏はこのロシアに対する国連総会の非難決議を次のように補足した。「『CIS(Commonwealth of Independent: 独立国家共同体)』の共和国で反対、棄権の内訳を見ると、元来、反ロシア的であったモルドバやウクライナ、トルクメニスタン、ジョージアは賛成に回った。反対に回ったのはロシアとベラルーシだけだった。一方、残りのカザフスタン、キルギス、タジキスタンは実は棄権に回っている。意味するのはロシアがCISの中でも正当性を失っているということだ。これを踏まえて国連改革が推進できるかどうかが問われているのだろう」。
 このような国際世論の大きな流れを日本はもっと主導していくことができるとの期待を加藤氏は滲ませた。
 

日本には「戦争犯罪」を裁く法体系がない 「命令を受ける下位の者」に「合法性」と「知る権利」を条件づけ「核兵器使用を裁く国際法廷」を提案

 ロシアのウラジミール・プーチン大統領は、ウクライナの東部ドネツク、ルガンスク両州でウクライナ軍によるロシア系住民に対するジェノサイドがあったとして、国連憲章第51条を根拠に今回の軍事侵攻を正当化した。民族自決権などの帰属問題の解決を口実とし、「集団的自衛権」を悪用した。この「集団的自衛権」に縛りをかける仕組みが必要だ。
 東京外国語大学の伊勢﨑賢治教授は戦争犯罪を裁く国際法の法体系を解説する。
「ウクライナの戦争犯罪においてもそれを犯した国家にはまず「裁きの管轄権」がある。自らが犯した犯罪を自らの国内法廷で裁く責任の原則だ。それ故にロシア、ウクライナ両国がそれぞれ独自に立件し、その不十分さをめぐり「国際戦犯法廷」の必要性の議論が始まる国際世論の形成が期待される。」
 その上で伊勢﨑氏は「日本には「戦争犯罪を裁く法体系」がない「無法国家」だ。1998年には国際刑事裁判所ローマ規定(ICC)が採択され、集団虐殺など平時でも起こり得る「人道に対する罪」の定義が拡大した。ジュネーヴ諸条約と第一・第二追加議定書、ローマ規定に共通するのは「命令した者」を厳罰に課す責任を批准する国家に求めることだ。実はジュネーヴ諸条約以前から、兵士個人の自由が極端に制限される国家の命令行動の中で発生した事犯では、まず上官の責任を問う(「ジュネーヴ条約」第一条約第四九条を根拠とする)ことは軍法の常識だったが、それを非正規の武装組織にも適合するようになったのだ。ジュネーヴ諸条約やローマ規定などの国際法は、署名のみならず立件するために国内法を整備することは批准した国家の責務だ。トップではなく下位の者から順々に処罰していく法理は国際法の要請するものとは逆なのである」と自身のライフワークとして取り組む日本の国内法の不備に警鐘を鳴らす。

 伊勢﨑氏の立つ背の国際法学でいう法乖離論という「法の欠缺」がある問題意識にダイレクトにアプローチできると思われる、英文博士論文「核兵器使用に関する国際法廷の提案」(アンソニー・J・コランジェロ、ピーター・ヘイズ共著[出典:/長崎大学編集、Taylor & Francis出版国際学術雑誌『平和と核軍縮』Journal for Peace and Nuclear Disarmament (J-PAND)]がここにある。本論稿から具体的な「個人が直面する『核発射命令の階級制度』」について引いてみる。

[出典:「核兵器使用に関する国際法廷の提案」(アンソニー・J・コランジェロ、ピーター・ヘイズ共著)/長崎大学編集、Taylor & Francis出版国際学術雑誌『平和と核軍縮』Journal for Peace and Nuclear Disarmament (J-PAND)より抜粋]

 1975年1月12日に、NYTが報道したハロルド・ヘリング少佐が米空軍から免職された理由は、核ミサイル発射命令を行使する前に道徳的な義務を主張してその任務から免除されたからだという。この例証ではそれゆえ、個人の関心事が主要な倫理や手続きではなく、重要なのは「合法性」だった。そして核攻撃の制御や命令、「合法性」についての「必要な情報」が欠けていたことからヘリング氏の受けた「命令の合法性」を疑い、「知る権利」の必要性を重んじて引き返すことにしたのだ。ハロルド・ヘリング少佐は米空軍の少佐であり、ヘリング空軍中隊長としても勲章を授賞しており、ヘリコプターパイロットだった時に直接的に彼の核命令に直面していた。ヘリング氏は核攻撃命令に正気でいられるか「知る必要性」があることに関して、ヘリング氏は書き止めている。

 ヘリング少佐の事案が、裁きの標的となる人物の実際の情報を押し出すことでこそ、戦争法規違反の核発射命令の可能性を乗り越えられるという教訓を示している。
過去数10年間、ボードンとローチのような個人は、戦争犯罪を犯すことなく、他の実務的な常識的理由という倫理的な関心事から何よりもまず優先に行動してきた。彼らは武力紛争法の構成要件を成す国際法の言語資料を展開することを踏まえ、彼らの説明責任によって駆り立てられることはなかった。これらの個人が「個別的核戦闘員」として「核兵器を使用する命令に従う」という決断の中の国際法の役割を事前に表していた。しかし、明白な判例法が確立していなかった。危うい問題の根本的な考察に強制してきた作法というものと「命令の階級制度」にこの事案は該当しなかった。

 だが、これに比してハロルド・ヘリング少佐は態度を異にした。「真の核発射命令の抵抗者たち(refusenik)」、個人の高官が合衆国憲法を維持するために委託された任務のジレンマに陥っている核命令に直面した標準値に置いた原則のある、そして彼には国際法を法令遵守するための義務があった。彼の経験値は核戦争犯罪が、核兵器使用を裁く国際法廷の設置によって、それ故に無数の手段で、全ての諸国に全てのレベルで、核兵器使用のリスクを減らす核兵器軍需産業の法的責任を補完できるだろうという示唆がなされている。

 さらに本論稿では「核兵器使用を裁く国際法廷」の必要性を提案する理由として5点の議論が指摘されている。
 第一に、裁きの標的とされる核戦争犯罪者の最小限の情報と壊滅的な損害などの構成要件、新たに開発される核戦争作戦に任命された個人を裁く国際法廷が、継続する核攻撃の型を明らかにするかもしれない。

 第二に、「罪人庇護権」は核発射命令への抵抗者たちを奨励するかもしれない。

 第三に、核保有国と非核保有国の双方がこのような国際法廷をより好ましく使うべきだ。なぜなら核戦争の全ての敵性国家諸国はより大いに説明責任を果たす事態が強いられ、戦勝五大国である国連安保理常任理事国だけが有する「拒否権」という逃げ道を塞ぐことができると考えるからだ。

 第四に、核の発射命令の抵抗者たちが上級軍隊や民間人の指導者の非合法な核の発射命令には従わない能力を補完することを奨励されているかもしれない。
事実、ケフラー将軍が前もって想定していた核発射命令の拒否によって最上級の指揮官が不服従で出し抜くことこそ、より本質的な障壁になるかもしれない。
核攻撃の指揮官は直接的には命令権という「個別的高度義務」を負っているからだ。同様の方法で赤子を殺し、民間人を大虐殺するプロの軍隊の価値基準を共著者らはひどく嫌悪する。

 第五に、核戦争犯罪を裁く国際法廷の提案は、核発射命令に不服従する「個人」が核抑止の信頼性を減退させるかもしれないという反論にも取り組む。
逆に確固たる目的のある核戦争や不慮の事故のリスクが増えかねない。核の脅威は合法的に正当化されたら、その危険性は減るのではなく、むしろ増えるだけだ。
 核命令に関わる個人に核兵器の使用必須条件である個人の情報を周知させるべきだ。
 ヘリング少佐が既に指摘しているが、「私には核抑止がより信頼性あるものに思えた。核発射の恐ろしい説明責任は善悪の区別ある人間があらゆる疑わしい情報を消去し、今やそれに取って代わって命令が下されたとしたら?その時の問題に全身全霊で取り組んでいる」という。

 この「核兵器使用を裁く国際法廷」の焦点は、上官ではなく「命令を受けた下位の戦闘員」が核攻撃行動に直面した時に「個人」の「合法性の判断」と「知る権利」がストッパーとなる具体例を示している。そこに浮上してくるのは「命令の階級制度(ヒエラルキー)」の問題だ。伊勢﨑氏は上位下達の指揮系統の法理を国際法の裁きの基本原則としてすべからく解説されている。この本論稿ではまさにその「盲点」となっている「命令を受けた下位の戦闘員」を含む具体事例を用いて「核兵器使用をめぐる国際法廷」の個人の裁き忌避行動を促す実現有用性にアプローチした提案書と言えるのではないか。

ウクライナと台湾有事の共通項 戦争の原因に直に「相互の安心供与」が作れるか?

 前出の柳澤氏は「ウクライナと台湾有事の共通問題は米国の防衛意思の有無にある。ウクライナはNATO加盟しておらず、台湾は米国と同盟関係にないだけでなく、国家として承認されていない。米国は台湾について軍事介入を否定しない「曖昧戦略」を取っている。介入の意思を明らかにすれば中国との関係を決定的に悪化させ、抑止を破綻させる恐れがあり、判断の自由が奪われるからだ。
 ウクライナ戦争が突きつけた問題は核保有大国ロシアとの戦争が世界戦争に発展する恐れがあるという単純な事実だった。米国が慎重にならざるを得なかった論理は、中国、台湾にも当てはまる。中国から見れば政治的、軍事的盟友であるロシアが弱体化することは避けたい。一方、国際世論の反発の中でロシアへの明確な支持の表明や、直接的な軍事的支援には踏み切れない。また、一国を武力で支配することの難しさを改めて認識しただろう。
 ウクライナがNATOに加入しないという態度を鮮明にしていれば元々紛争のあった東部2州とクリミアの問題を除けばロシアが戦争を始める動機は生まれなかった。一方、台湾有事の潜在的可能性も中国が認めない台湾独立をしないように中国も米国も台湾も納得できる枠組みを作れば済む話だ。
 どうやって戦争の一番の原因になっているポイントのところで「相互の安心供与」が作れるか?がウクライナ戦争から得られる最大の教訓と言える」と語る。

「ウクライナの戦い方」から日本は「国防の本質」を学ぶことができる

 また柳澤氏は「今の『ウクライナの戦い方』から我々日本人は国防、防衛というものを学ぶことができると思う」と投げかけた。
 ウクライナではウォロディミフ・ゼレンスキー大統領が成人男性の出国を禁止して「国を守れ」と言っている。よく日本の政治家が言うのは「国民の命を守るため」「このような防衛政策が必要なんだ」との言い方をされる。しかし「国防の本質というのは、国民の命を守ってあげるものではなくて、『国民が命を捨てても国家を守る』。それが防衛である。」
 ミサイルが首都キーウにも飛んできたけれども、ミサイルには安全な場所なんてないというもう一つの教訓がある。防衛力を増強して抑止を高めようという政策をとるのであれば、少なくともミサイルの撃ち合いの戦争になるわけだ。日本に中国の戦車がいきなり海を渡って攻めてくることはないのでミサイルの撃ち合いを前提とした戦争になったら?軍事施設に当たり損ねて近くの村落に落ちたら?当然想定していなければならない。戦争は「被害想定」を考えなければならない。戦争などできないはずなのに、その被害の想定は全く考えていない。それで「敵基地攻撃」をすれば、抑止力になり、対処力になると。「敵基地」と言ったって中国の沿岸部にあるミサイル軍事施設を幾つか潰すことはできると思うけれど、全てではない。つまり、残ったミサイルは日本へ飛んでくることになる。本土攻撃になるので、中国だって敵性国家だったら本土攻撃してくることになる。そこまで見越して初めて防衛政策ができる。日本人はそれをウクライナ戦争の事例で学んでいるはずだ。そして国民に犠牲を求めるのであれば、やはりなんのために国民は命を賭けることができるのか?「台湾防衛のために犠牲を負ってください」というのか?国民自身が問いを発していかなければならない」と危惧する。
 

 伊勢﨑氏は「ゼレンスキー氏は「徴兵制」を強いているが、徴兵制とは、国家の責任で国民を動員する以上、軍事訓練に加えて、敵の捕虜の虐待を禁じ、民間人や病院、教育施設など民用物への攻撃を禁じ、さらに傷病者を保護する「共通第3条」など「ジュネーヴ諸条約」の基本的な戦時のルールを徴兵に駆り出す国民に教え込み遵守させる。そして違反すれば自国の管轄で戦争犯罪者を裁く法体制を常備することも国家の義務とする」と解説した上で、
 「一般市民を武装化させてはならない。武器を取らないからこそ、無辜(むこ)の一般市民は「国際人道法」が保護する対象になる。」と警鐘を鳴らした。 

 対してロシアのプーチン氏が国内のロシア人に「部分動員」や「徴兵制」を呼びかけ、応じなかったロシア国内の一般市民らが反戦抗議活動により強制連行されたり、逮捕される事態が続いている。

異議を唱える芸術:いかにロシア人によるウクライナ戦争に命懸けの抗議が成されてきたか

[筆者コラージュ作成出典:(BBC・時事通信;日経新聞)]

 モスクワ時間で午前4時になった途端の環状道路。空っぽの通りで早朝の光が浴室を照らしていた。
リュドミラ・アレンコワ氏とナタリア・ペロワ氏は乗車していたタクシーから降り、血のように赤い絵の具を飛び散らした白いドレスを隠すために、毛布をゆったりと掛けていたことを今でもよく覚えている。彼女らは逮捕されることを恐れ、そして言った。素早くことを成し遂げた、と。

 彼女らはその毛布を投げつけ、立ち止まった。両手を組み、スマホの中をじっと凝視した。そしてそのレンズで写真を3枚撮ったのだ。3つの写真とともに彼女らは逃走した。
 その画像は独立系活動家の情報交換の場所である、「テレグラム・チャンネルズ(Telegram channels)」とソーシャルメディア(SNS)のページで流された。
 ロシアの反戦運動はロシアの大統領ウラジミール・プーチン氏が弾圧を敷いているにも拘らず、「異議申し立ての抗議」を表現する上で「創造的な手法」だと分かっていた。
抗議者たちは白紙の紙製のシートを掲げたとして、あるいは単に戦争反対に言及することだけという、些細な犯罪で逮捕されてきた。
「あなたが自分のしたいことを示すのに約30秒あります。しかしその直後にあなたは逮捕されるでしょう」と写真家のアレンコワは警鐘を鳴らす。
白いドレスに赤い絵の具をぶちまけたのは、無垢な人々が殺害されていることへの象徴だった。特に女性や子供たちの。彼女らはこんなメッセージをウクライナ人に送っていた。「私たちはそこにいて、今の厄災に巻き込まれている全ての人々のために手を組みたいと思っている」と。

 また別のロシア人反戦活動家たちは命懸けの「平和主義者運動」を敢行した。衣服を着て、墓地で骸骨の仮面を被って着飾って抗議したのだ。紙幣の上に書かれた反戦のメッセージを平和の鳩とともに飾られたパンを焼き、都市の公園で反戦の小さな現代美術を示すオブジェもそこに残した。
一人の女性は逮捕された。伝説的な旧ソ連のソングライター、ウラジミール・ヴィソツキがナチがウクライナを占領したというその歌詞で、歌を弾きながら大声で歌った罪に問われて。彼彼女ら、全ての人の頭ごなしに(流れてきた)その曲はまるで花が咲いたようで勇気付けられた。

「パーティー・オブ・ザ・デッド(Party of the Dead)」というロシアの反戦抗議芸術家集団は、彼らが見た政策かつ文化の中で彼らの国家が病的に強迫観念になっている屍姦症(しかんしょう)を伴うようなものだと焦点を当てている。彼らは骸骨のマスクとコスチュームをして、「人間の屍」を伴いステージ上で抗議したり、あるいは墓地で、レニングヤードの封鎖でもたらされた旧ソ連時代の戦争の死人や犠牲者が埋められている場所でも抗議してきた。
反体制派の指導者だったアレクセイ・ナヴァルニー氏の投獄への抗議活動に加わったとして逮捕されたロシア市民もいる。
 彼はロシアに空爆され統制下にあるウクライナの村、町、都市の名前をショッピング・センターの壁に絵の具で描いた罪に問われて。

 またあるロシア人反戦活動家は「戦争が始まった時、私は殺されていく子供たちの写真を見てきた。そして私にはそれが耐えられなかった。彼らはただ殺されただけじゃない。彼らは遠くに引き離されていた」と語った。息を詰まらせるように、「もし私がこれらの場所の名前を絵の具で描かなかったら、そこにいる子供たちは血の象徴である赤い絵の具とともに遠くへ引き離されただろう。私が思うに自分はただの気狂いにしか思えないことをしただろうから」と打ち明けた。

 最も重要な問題はこれらロシア国内で「反戦の意思」を示し部分動員に抵抗して逮捕された、膨大な数の民間人が事実、拷問され殺害されているということだ。
[出典:Art of dissent: How Russians protest the war on Ukraine [Washington Post](2022年7月7日)]

日本はウクライナ戦争の「停戦交渉」の役割を担えるか

 ロシア史研究者で東大の和田春樹名誉教授らが「憂慮する日本の歴史家の訴え」と表し「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」(2022/3/21)との緊急声明を発表した。
「戦闘停止を両軍に呼びかけ、停戦交渉を仲介するのは、ロシアのアジア側の隣国、日本、中国、インドがのぞましい」としている。
その真意の詳細を見ていくと、 
 「日本はアメリカの同盟国で、国連総会決議に賛成し、ロシアに対する制裁をおこなっている。しかし、日本は過去130年間にロシアと4回も深刻な戦争をおこなった国である。最後の戦争では、米英中、ロシアから突き付けられたポツダム宣言を受諾して、降伏し、軍隊を解散し、戦争を放棄した国となった。ロシアに領土の一部をうばわれ、1956年以降、ながく4つの島を返してほしいと交渉してきたが、なお日露平和条約を結ぶにいたっていない。だから日本はこのたびの戦争に仲裁者として介入するのにふさわしい存在である。
 中国はロシアとの国境画定交渉を成功させ、ロシアとの安定的な隣国関係を維持しており、国連総会決議には棄権した。ロシアに対する制裁には反対している。インドは伝統的にこの地域に起こった戦争に対して停戦を提案し、外交的に介入してきた。インドとロシアの関係は安定しており、国連総会決議には棄権している。
 だから、日本が中国、インドに提案して、ロシアの東と南の隣国として、この度の戦争を一日も早く終わらせるために、三国が協力して、即時停戦をよびかけ、停戦交渉を助け、すみやかに合意にいたるよう仲裁の労をとることができるはずだ。
 われわれは日本、中国、インド三国の政府にウクライナ戦争の公正な仲裁者となるように要請する」と明示されている。
 ロシアのウクライナ侵略から約8ヶ月以上が過ぎた。その欧州の戦争をアジアが仲介する停戦交渉の役割に行動を促すよう和田氏らは日本政府に呼びかけ既に行動を起こしている。
[出典:和田春樹会員をはじめとする有志による声明「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」(2022年3月21日)]

 また、日本も含めた国際社会はウクライナ市民に対して「国際人道法」に則ったグラスルートの救援物資提供、「庇護希求者(Assilum-Seekers)」「国内避難民(IDP)」の支援やファンドレイジングに注力すべきだ。そして命懸けで反戦運動をしているロシア人が「音楽」や「ペイント」「仮装」「写真」「展示」などの「芸術の力」を用いている現実をしかと見てほしい。

反戦「音楽」ファンドレイジングというもう一つの「非戦」の形

「Stand with Ukraine Japan」は2022年2月23日に有志のウクライナ人サーシャ・カヴェリナ(Sasha Kaverina)さん、イゴリ・イグナティエフ(Ihor Ihnatiev)さんの二人の在日ウクライナ人と、パレスチナ人のモハメド ファラジャラ(Mohammed Farajallah)さんらを中心として立ち上がった任意団体だ。ロシアのウクライナ侵攻が始まるその前日に発足した。発足当日、メンバーの一人サーシャさんの反戦デモの声を、筆者は偶然にも取材していた。
 サーシャさんは在日ロシア連邦大使館前の反戦デモで「あと、何万人を殺せば プーチンは満足しますか?」というメッセージペーパーを掲げ、筆者のインタビューに「2014年と何も変わらない。同じ国際法違反が繰り返されている」と訴えた。
「Stand with Ukraine Japan」(代表:Ihor Ihnatievさん)の呼びかけに音楽プロデューサーの伊藤涼(いとう・りょう)氏が加わり、ウクライナの惨禍を音楽の力で支援するプロジェクト「HOME」を立ち上げた。ウクライナ語、英語、日本語の歌をYouTubeやSpotifyなど世界中の音楽配信サイトで、音楽を聴くだけでウクライナの戦争被害者に寄付金を支援することができるという援助の形を取っている。

[出典:YouTubeチャンネル:飛立知希「STOP!プーチン」在日ロシア連邦大使館前 在日ウクライナ人反戦集会(2022.2.23)から「静止画」切り取り]

 サーシャさんは東部ハルキウで育ったウクライナ人。両親は3月時点までハルキウで砲撃に怯えながら暮らしていた。だが3月1日にロシア軍によるミサイル攻撃で家を失った。
多くのウクライナ人が今もシェルターで爆撃の音に震えて夜を過ごし避難民の数は今も増え続けている。自分の生まれ故郷の街や共に暮らした人々の命が犠牲になっていく。
 サーシャさん自身、ウクライナに入りルーマニアとウクライナを行き来し、医療や食糧を主に人道支援を約2か月に渡り行っていた。
 その中で聞いた戦時下に生きるウクライナ人の声は「家に帰りたい」という強く切望するメッセージだったという。
 その戦時下を生き延びるウクライナ人の想いを受けてサーシャさんも作詞作曲に加わりリリースした曲が「HOME」である。


[出典:「HOME」by Stand with Ukraine Japan]

 日本のみならず世界のアーティストたちの「音楽の力」を使った、聴くだけでウクライナ市民の支援機関にドネーションとなる取り組みに直に容易く参加できるもう一つの「非戦の形」をより多くの人に知ってほしい。

tomokihidachi

2003年、日芸文芸学科卒業。マガジンハウス「ダ・カーポ」編集部フリー契約ライター。編プロで書籍の編集職にも関わり、Devex.Japan、「国際開発ジャーナル」で記事を発表。本に関するWEBニュースサイト「ビーカイブ」から本格的にジャーナリズムの実績を積む。この他、TBS報道局CGルーム提携企業や(株)共同テレビジョン映像取材部に勤務した。個人で新潟中越大震災取材や3.11の2週間後にボランティアとして福島に現地入り。現在は市民ライターとして執筆しながら16年目の闘病中。(株)「ログミー」編集部やクラウドソーシング系のフリー単発案件、NPO地域精神保健機構COMHBOで「コンボライター」の実績もある。(財)日本国際問題研究所「軍縮・科学技術センター」令和元年「軍縮・不拡散」合宿講座認定証取得。目下プログラミングの研修を控え体調調整しながら多くの案件にアプライ中。時代を鋭く抉る社会派作家志望!無数の不採用通知に負けず職業を選ばず様々な仕事をこなしながら書き続け、35年かけプロの作家になったノリーンエアズを敬愛。

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