苦境とTSUNAMIと 真夏の果実

  by あおぞら  Tags :  

 『日曜日の初耳学』を見る。古希まで1年の69歳には到底見えない若さの桑田佳祐さんが林修先生のインタビューを受ける。若い頃と体型が変らず、それはメンバーも同様で、第一線を走る人の条件のように思えた。。

 さて、そのインタビューで『「この曲がなければ我々は今ここにいない」明かされる、名曲誕生秘話 』が聞かされた。『TSUNAMI』である。

 小室哲也、安室奈美恵、宇多田ヒカルが絶大な人気だった当時、サザンオールスターズの売れ行きは三人のような勢いはなく、かなりの下火を感じ、もう”引き際”とさえ考えていたそうだ。ずっと売れ続けた人が翳る苦悩というのは、かなり精神的ダメージも深く、そのまま浮上出来ないケースも多い。所謂、正念場の苦境の最中に出来た楽曲が『TSUNAMI』で、サザンオールスターズをまさに救った神曲。2000年に発売され、起死回生の293万枚を売り上げ、日本のロックバンド史上最多で現在もその記録を保持しているそうだ。

 その『TSUNAMI』が大ヒットの2000年から、10年遡る1990年も伸び悩んでおりネガティブな感情に苦しめられた。その時生まれた楽曲が『真夏の果実』。これらのバラードは苦悩がなければ産み落とされなかったのである。

 改めて思うのは、人生には山あり谷ありで、その谷底に落とされた際にどう浮上するかが一番のポイントだと思う。平和そうに見える人にも無理難題を抱えていたり、人気者の俳優や女優が自ら人生の幕を閉じたり、はた目には幸せそうに見える人たちの心の中は誰も見えないし、わからない。自分自身でさえ苦境の最中にいる時、自分が全く見えなく見失っていることもある。

 桑田佳祐さんの『日曜日の初耳学』のインタビューで勇気づけられた人たちは多かったと思う。そして、確信したのは苦悩をバネにして、苦境を養分にすることで、知らないうちに見えない力に導かれることだ。

 もうお亡くなりになられたが、シンガポールの財閥『タイガーバーム』に嫁いだ日本人女性、胡曉子さんは最初の夫(香港の方)と離婚し、失意の最中にいた時、子ども達を道連れに死のうと思われたそうだ。友人の勧めでシンガポールに傷心旅行に出かけた際、船上でタイガーバーム財閥の御曹司に見初められて結婚した。

 成功者で自殺寸前まで追い込まれた人たちも意外にいる。そこまで思い悩み人生のどん底を見て、これ以上生きていく希望を見失った時、目に見えない何かに引き上げられることもある。勿論、そうなった方々にはそれなりの強運、好運があったのだと思う。

 要は人間は悩むものであり苦しむものであり、いとも簡単にネガティブになれるものなのである。その苦しみは結局、自分自身でしか解決できないのだ。こんがらがった糸は自分でほどいていくしかないのである。

 かの桑田佳祐さんは、落ち込んで、嘆いて、悩んだ時に、奇しくもバラードの大作二曲を生みだした。実は1979年リリースされた『いとしのエリー』も『TSUNAMI』、『真夏の果実』同様、ネガティブな時期に生まれたそうだが、この頃はまだデビューして日も浅いので、苦境に立たされたとしても”青い苦境”時代だったと思う。当時の桑田佳祐さんはまだ20代前半だった。

 人生は大変だ。皆さん、大変だ。特に今、2025年、世界的に大変である。日本もアメリカも共に大変で、これでも全世界でまだ日米は随分とマシだと思う。未だロシアとウクライナや、イスラエルとパレスチナの戦争は終わっていない。日米の物価高も大変だが、戦争と比べると取るに足らない。
 
 兎に角、今を生きるのは大変である。問題や心の闇を抱えている人も多い。ただ、わかって欲しいのは実は多くの人間が同じ様な”負の感情”を共有している。

🎵夢が終わり目覚める時
 深い闇に夜明けが来る
 本当は見た目以上
 打たれ強い僕がいる🎵

 そう『深い闇に夜明けがくる』のだ。苦境の副産物に『TSUNAMI』ありきなのである。

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