――人間は、いつまで人間でいられるだろうか。
京都大学大学院・斉藤通紀(みちのり)教授らの研究グループが、iPS細胞から精子に続いて卵子を作り、子どもを作ることに成功した。
iPS細胞とは人工多能性幹細胞のこと。皮膚などの組織から採取した細胞の遺伝子を組み替えて作られる。
……私はこの分野について、細かいことを説明できる知識を持ち合わせていない。
とりあえずわかるのは、「iPS細胞は様々な細胞への分裂ができる」という点、そして「iPS細胞から様々な人体の器官をつくることができる」という点だ。
病気などで体のどこかの器官がうまく機能しなかったり、器官そのものが失われている人に対して、iPS細胞からつくった器官を提供できるかもしれない。今の医療技術ではどうにもできないことが、どうにかできるかもしれない。
そのような再生医療の分野ではとても期待が高まっている技術である。
再生医療だけではなく、創薬や難病の研究にも役立てることができるらしい。
そのiPS細胞から精子だけでなく卵子ができました!子どもを作ることができました!という話であるが…。
これは人体ではなく実験用マウスでの話だ。
この技術が発展していった先には“人間もiPS細胞から作った精子と卵子を使って受精卵をつくり、いち個体を生み出せる”という可能性がある。
すごい研究成果だ。成果を出すってすばらしい。今までできなかったことができるようになるってすばらしい。
けれども、こういうニュースを聞いて素直に喜べないのである。
もちろん、研究成果自体は驚くべきものであり、携わった人へは惜しみない敬意を払いたい。
それなのに、喜べない。
不安になってしまうのだ。人間は、いつまで人間でいられるのだろうか。という不安。
常識は普遍ではないから、いつひっくり返るかわからない。
「難しいことはよくわからないけど、今までの常識が常識じゃなくなってしまうかも」と思わせる話はよくある。
ネットや携帯だって、過去の数十年(いや、数百年?)スパンで見れば、そういう類の変化だとは思っている。
到底ありえないと思っていたことが次々に実現されていく…それこそが『進歩』だ、ということもできる。
これからの技術の『進歩』を思うとき、オセロを思い浮かべてしまう。白い石がひとつひとつ裏返しにされていって、最後には真っ黒になる光景だ。
「セックスして精子と卵子が受精して赤ちゃんができるんですよ」ということが当たり前でなくなったら、「人は年老いていくんですよ」「人はいつか死にますよ」「人は死んだら生き返りませんよ」ということまで覆される日がくるのではないか……そんな未来を生きる人々にとって、今でいう『常識』は常識ではなくなっているだろう。
……飛躍しすぎかもしれない。
とにかく、なんとなく不安を感じてしまう。
不安の理由を理由を挙げようとしても、「自然の摂理が…」「神の領域に…」っという言葉しか出てこない。言葉は使い古されているかもしれないが、そうとしか言い表せないような気持ちだ。
今回マウスで成功した技術は、不妊治療においての期待が大きい。
数世代にわたってリスクを検証する必要があるし、現在進行形で不妊に悩んでいる人への朗報とは言い難いが、希望になりうる。
実用化できたとして、どのくらいお金がかかるのだろうか…。
不安だ不安だと言ってはみたものの、技術は進んでいくし、人間に使われるようになっていくと思う。
“本当はできるけど、やらずに我慢する”ことは難しい。
欲望に終わりがないし、歯止めをかける何かが起きたとしても、それをクリアする形で、より文句を言わせない形で、技術は進んでいく。
だからこそ不安だ、ということにもなる。
「生きる」ことと「生かされる」ことの間には、溝ができつつある。
溝は確実に、広く深くなっている。