「厚みのある中産階級の復活」だって? 冗談ではない。どうやっても、そんな時代は復活しないし、それが理想と して語られることも時代錯誤というものだ。誰もが結婚し、子供を作り、家を建てる。そんな時代はもうやって来ないだろう。世代間の格差だけではない。老人 の間でも「老老格差」は大きいし、若者の間でも「若若格差」はある。しかし、収入や資産だけで格差を捉えて、それが問題だというのもおかしな話だ。年収1 千万円で自由時間のないサラリーマンと、自由時間だけはあるニートをどう比較すれば良いのか? いったい、どちらが幸福だというのか?
もはや、豊かさの増加は幸福感を増加させない。誰もが似たような生き方、似たような体験をする時代ではなくなった。大学に行けば職があるという時代でもな い。自分の本当にやりたいことを仕事にすることでしか幸福は得られない。多くの人がそのことに気づいてきたのだ。これは、大きな収穫だと思う。
「まだら模様の時代」それが今後ますます顕著になるだろう。社会政策も、このような変化を見据えて考えるべきなのだ。ましてや国家は、何が幸福かなどという個人の領域に侵入してはならない。これは教育にも言える。
まだら模様の時代に大切なのは「自分は何者なのか?」という問いに分かりやすい答があるということだ。大企業の部長だとかいう答えは、自分ではなく属性 だ。そういうものに憧れたり、尊敬したりという人はどんどんと減っている。今は、個性とか人間的魅力を基本に据えなければいけない。これは若いうちからの 積み重ねだ。古い価値観に長い間浸ってきたオジサンは、感覚的に戸惑うことだろう。
まだら模様の時代に重要になるのは、同業者とのつながりであり、同業者からの評価だ。それは、マスメディアの時代、大衆の時代とは異なってくる。競争より協働に価値が置かれる社会では実力だけが頼りなのだ。
大企業の生涯賃金は急激に減少している。そして、その傾向は今後も続くだろう。もっとも、それでも中小企業との格差は極めて大きいのだが、いずれにしても「逃げるべき時」があるかもしれない。この時代、一生安心などない。また、安心の代償は極めて高いのである。
さあ、まだら模様の時代を楽しもう。もちろん私もその覚悟だ。