報酬ナシでも少年少女のために頑張る「保護司」に話を聞いてみた

  by 丸野裕行  Tags :  

どうも特殊犯罪アナリストの丸野裕行です。

今回は少年犯罪に関するお話です。

少年犯罪は現在、横ばいからやや減少傾向にありますが“犯罪の質”については時代とともに変化をしてきました。
大きな少年犯罪があると法務省はその都度、少年法の改正を行ってきました。

1997年の神戸連続児童殺傷事件の影響から、2000年(平成12年)には刑事処分可能な年齢を16歳から14歳に引き下げ、重大な凶悪犯罪を犯した16歳以上の少年を検察官送致するなどの措置が行えるようになりました。
また凶悪犯罪の低年齢化が顕在化すると、2007年(平成19年)には14歳未満でも少年院への送致が可能となりました。

しかし少年法は、罪を罰することよりもその更生を手助けするための法律として存在しています。これは少年少女が罪を犯してしまうのは社会にも責任の一端があるという見地によります。

そんな少年法の精神を受け継ぎ、少年少女の更生に役立っているのが、“保護司”なのです。今回は、保護司歴12年の源紀夫さん(仮名/62歳)にお話を聞きました。

身分は非常勤国家公務員だが

あまり知られていない保護司というお仕事ですが、Wikipediaには次のように記されていました。

保護司(ほごし)は、保護司法(1~5条、7~9条、11~18条)・更生保護法(32条、61条、64条)に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員で、犯罪や非行に陥った人の更生を任務とする。

法務省所管の地方支分部局であり、各都道府県庁所在地(北海道にあっては、札幌のほか、函館、旭川、釧路)におかれた保護観察所の長の指揮下に職務を行う。

身分は国家公務員(人事院指令14-3で指定された非常勤国家公務員)であるが、俸給は支払われないためボランティアである

更生保護法では「保護観察官で十分でないところを補う」とされているが、保護観察官の人数が絶対的に不足していることから、更生を支援する活動の担い手は、保護観察官より保護司が主となっている、との指摘も一部にある。

こうした更生を手助けする公的なボランティア制度は、日本発祥の制度であり、フィリピンなどにも制度が輸出されている。

引用元:Wikipedia

実は保護司というのは、完全無償のボランティアなんだそうです。

ここ数年で保護司の数が半減

丸野(以下、丸)「保護司の方というのは、全国に何人くらいいらっしゃるんですか?

源さん「全国各地の保護司の数は、去年の令和元年の時点で4万7245人です。定員は、5万2500人なんですが、その数を大きく割り込んでいますね。まぁ制度ができたときから、5万人を超えたことは一度もないのですが……。最近は、保護司の高齢化が進んで減り続けています。哀しいことなのですが……。今後、団塊世代が定年を迎えると、5年以内には半分程度になると言われています」

丸「それってマズいですよね?」

源さん「ええ。この制度で保護司に就任すると任期2年ごとに再任が繰り返されるんですよ。だから、何度も何度も再任されるわけです。しかし、今後引退する人が増えると、保護司制度の存続ができない状態になるのではないかと危ぶまれています。法務省としてはこの日本独自の制度を続けていきたいようなので、私たちも協力をして担い手の育成に取り組んでいるんですが、人材確保の見通しは立ちません」

丸「えっ!」

源さん「子供たちを更生させるということは大変な手間ですが、私はこの仕事に誇りを持っています。哀しみを乗り越え、喜びを感じて、いい子になったときの感動を覚えてほしいのです」

地元の名士が任命される

丸「非常にいいお仕事だと思います。お仕事の流れを教えていただけますか?

源さん「まず少年鑑別所から退所し、保護観察処分になった少年や少女を月に1回面接します。面接は彼らの更生ぶりをキチンと判断するために行います。それから当該少年の報告書を書き、保護観察官に提出するという仕事になります」

丸「ほほ~。どのような方が保護司になるのでしょうか?

源さん「そうですね、定年退職した教師や教頭、校長、由緒あるお寺の住職、PTA会長兼のある方など地元の名士が比較的任命される傾向にあるのかなと思います。私は、一介の会社員でしたが、ボランティア活動に積極的に従事していました。保護司委嘱の手続というのは、それぞれの都道府県にある保護観察所長が、保護司候補を保護司選考会で諮問してどんな人物なのかを知ったのちに、法務大臣に推薦して委嘱するというものです。判断基準があって、人格と行動に社会的信望があること、職務遂行に必要な熱意と時間的な余裕があること、安定した生活を送っていること、健康なことです。私は恵まれていてクリアできました。それからは『全国保護司連盟』に加入する流れになります」

保護司の大変さ

丸「やはり大変ですか?」

源さん「まぁ、そうですね。まぁ僕らの先輩保護司たちは、校内暴力全盛(の時代だったの)でそれは大変だったようですよ。ひとりで5~6人の少年少女を担当したケースもあったそうです。(私は)今は2人担当していますが、暴れるとか暴言を吐いてくるということではなく、信頼関係づくりが大変難しいです。真摯に少年と向き合おうと努力しても、やはり年齢差があって、心を開いてくれるには時間がかかります

丸「相手にもいろいろな思いや葛藤もあるでしょうし、そうですよね。多感な時期ですもんね

源さん「少年少女に言わせれば、月に1度の面接をサボったからって何ら罰則はないですし、最初は猫をかぶって訪問してきますが、やがて面倒になって来なくなります。保護観察官に言われて、1度だけやってきた子たちの約半数程度は再犯に手を染めてしまったりしていますね。もっと私にできることがあったんじゃなかなと、そんなときには思います。もっと時間をかけて話をしておけばよかったな、と

丸「そうですか……。印象に残っている少年少女はいますか?

源さん「ええ。チーマーのアタマをやっていた札付きのAくんは面白かったですよ。訪問するなり、ずっと悪態をついていて、最終的に話がかみ合わずに怒って帰るんです。でも、また来る。怒って帰る。また来る(笑)。それを繰り返しているうちに、「ああ、親御さんと仲が悪かった彼は話し相手が欲しかったんだな……」と気がつきました。結局は、悪態をつくこともなくなり、ニコニコと今日あった出来事を話すようになりました。今は就職して、左官業をやっていますよ」

丸「いい話ですね

源さん「もう1人は、悪い仲間に誘われて連続窃盗を犯してしまったBくん。彼は4度面接にきて、一旦は来なくなりました。再び訪れたときには、入院をしていたというんです。彼は仲間に足抜けさせてくれと頼みに行ったら、リンチを受けてしまったんですね。しかし、仲間はいなくなった」

丸「へぇ~!」

源さん「それから、何度も面接をして、そのマジメぶりに感心し、学校に戻るように言いました。ちゃんと高校を卒業した後に、知り合いの不動産屋を紹介したんです。今は営業マンをやっていて、初任給でネクタイピンのプレゼントをくれました。感動しましたね、あのときは……保護司をやっててよかった、と」

丸「源さんは、まさにボランティアの鑑ですね

いかがでしたか?

日本発祥の保護司制度。なり手が減っているそうですが、少年少女を見守って、愛情で包み込むように更生させるこの制度、決して、なくなってほしくないものです。

(C)写真AC

丸野裕行

丸野裕行(まるのひろゆき) 1976年京都生まれ。 小説家、脚本家、フリーライター、映画プロデューサー、株式会社オトコノアジト代表取締役。 作家として様々な書籍や雑誌に寄稿。発禁処分の著書『木屋町DARUMA』を遠藤憲一主演で映画化。 『アサヒ芸能』『実話ナックルズ』や『AsageiPlus』『日刊SPA』その他有名週刊誌、Web媒体で執筆。 『丸野裕行の裏ネタJournal』の公式ポータルサイト編集長。 文化人タレントとして、BSスカパー『ダラケseason14』、TBS『サンジャポ』、テレビ朝日『EXD44』『ワイドスクランブル』、テレビ東京『じっくり聞いタロウ』、AbemaTV『スピードワゴンのThe Night』、東京MX『5時に夢中!』などのテレビなどで活動。地元京都のコラム掲載誌『京都夜本』配布中! 執筆・テレビ出演・お仕事のご依頼は、丸野裕行公式サイト『裏ネタJournal』から↓ ↓ ↓

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