「まさか本当に」残された者たちの衝撃と後悔
薫と匂宮の間で悩んだ浮舟はついに自殺を決意。周囲へそれとなく別れを告げ、皆が寝静まった後に夜の宇治川を目指しました。「鐘の音の絶ゆる響きに音を添へて わが世尽きぬと君に伝へよ」との辞世の歌を遺して……。
翌朝、山荘は大騒ぎでした。まるで物語のお姫様が何者かにさらわれたかのように、忽然と姿を消してしまった浮舟(これも一応、物語なんですが)。事情を知らない乳母と女房たちは右往左往して主を探しますが、右近と侍従のふたりだけは(もしや、ついに川に身を投げられたのでは?)。
そこへ昨日「不吉な夢を見たので寺に頼んで祈祷してもらうように」と手紙をくれた浮舟の母から、追って使者が到着。昨日来た使いは帰京できなかったため、娘の様子が心配でたまらなかった母は、朝イチで追加の使者を送り出したのです。
泣きながら右近が開封すると「あなたのことが気になって昨日は眠れませんでした。少し寝たかと思うと悪い夢にうなされて。やはりお引越し前にこちらへ来て一緒に過ごしましょう、今日は雨なのでお迎えに行くのは難しいけれど」。
右近は浮舟が昨日書いていた返事を開き、「やっぱり本当に自殺なさったのだ」と確信を深めます。でも、どうして私には何も言ってくださらなかったの? 小さいときからずっと一緒に育ってきて、隠し事なんてなかったのに。こんな突然に、それらしい気振りも見せずに、逝ってしまわれるなんて!
ずっとそばで浮舟の様子を見てきた右近でさえも、まさかあのおっとりした浮舟が、本気で自殺をするとは夢にも思わなかったのです。「悩んでいたのは知っていたけど、まさか本当に」というのは、自殺した周囲では今でもよく聞かれる言葉。そして「もっと相談してくれていれば」という思いも……。
後悔と絶望に、右近は子供のように身をよじって激しく泣きます。右近の母・浮舟の乳母も呆然として「ああ、どうしよう、どうしよう」。使者へも何をどう伝えていいのかわからぬまま、現場は混乱を極めていました。
死んだのに亡骸がない? 不可解な死の真相を直撃
匂宮も、浮舟の返事に違和感を感じ使者を差し向けました。ところが宇治の女房たちは泣き騒ぐばかりで、とても手紙を取り次いでくれそうにありません。
異様な状況に下女を捕まえて問うと「ここのお姫さんが急に亡くならはったんやて。頼りになる人もおらん時やったさかい、みんな、こない泣いてはるわ」。この使者はただの使い走りなので、戻ってありのままを伝えます。
宮は仰天。そんなおかしな話があるかと、時方に調査してくるよう命じます。でも、すでに薫の命であれほど警備も強化されている所に、面の割れた自分が行くと宮の体面が傷つかないかと案じる時方。
しかし宮は「だからといって放っておけるか! 浮舟が死んだと聞かされたんだぞ! どうにかして、あの侍従という女房と連絡を取れ。下々の話はあてにならん」。宮の激しい動揺を目の当たりにした時方は、なんとか真相を知ろうと身をやつして宇治へと向かいます。
薫に手紙の行方を尾行させた使者も頭のいい男でしたが、薫とそれほど距離が近くないために遠慮し、薫も詳しい事情を明かさないためにそれきり。一方で時方は匂宮に心底同情し、危険を承知で調べに向かいます。薫と匂宮、それぞれ配下の者との接し方や、その距離感も違う点が興味深いです。
庶民に身をやつした時方が宇治に到着すると、多くの野次馬が騒いでいます。「今夜、お弔いなんやて」。もう葬儀が行われるのか! と、時方は右近に話を聞こうとしますがダメ。でも手ぶらでは帰れない。さんざん粘った挙げ句、なんとか侍従とコンタクトを取ります。
「本当に突然のことで取り乱していまして、後日、落ち着きましたらまた」。侍従が泣きながらこう訴える所へ、部屋の中から乳母らしき声で「ああ、あたしのお姫さま! 一体どこへ行かれたの、戻ってきて下さいまし! お亡骸さえ拝見できないなんて、こんな悲しいことがあるでしょうか。
姫さまのお栄えになる日を楽しみに、この年寄りは生きながらえて参りましたのに、お見捨てになるとはあんまりでございます。鬼であれ人であれ、姫をさらったものは返したてまつれ! どうか姫さまに会わせておくれ……」。
死んだのに亡骸がない? 乳母の叫びを不可解に思った時方は、侍従に真実を話すよう迫ります。自分を見込んで時方を寄越した宮を思うと恐れ多く、またどんなに頑張って隠した所で、“亡骸がない”奇妙な死はどうしても噂になるだろう。侍従はそう思い、浮舟が三角関係を薫に知られた挙げ句に自殺した、と暗にほのめかします。
時方はまだ合点の行かない様子で、少し落ち着いたら宮も直々にここを訪問されるだろうと告げますが、侍従は「恐れ多いことですが、それはいけません。お心は誠にありがたいですが、姫さまの名誉のためにはどうかそっとしておいてくださいまし」。
真相は表沙汰にしたくない……。でもそれも、こういったところから漏れてしまうのではないか。不安に思った侍従は急いで時方を帰します。
「けったいな葬式や」地元民の憶測を呼ぶ簡単すぎる葬儀
ひどく雨の降る中、続いて浮舟の母・中将の君がやってきました。「一体これはどういうこと。目の前に亡骸があるのなら悲しくても受け入れるしかないと思うけれど、姿形がないなんて! 鬼か物の怪か、はたまた薫さまの奥様(女二の宮)の乳母あたりが、浮舟を排除しようと仕組んだのでは? 新しくきた女房に怪しい者はいないの?」」。
昼メロ的な女のドロドロを想像するお母さんですが、実際には新参者は宇治の生活に慣れられず続々と辞めてしまい、仕えていた人はごく少数でした。お母さんは前からこのことをずいぶん心配していましたね。
「わが世尽きぬ」の辞世の歌を発見した侍従は右近と相談し、もはやこれまでと真実を母君に明かしました。異母姉にあたる中の君の夫・匂宮と間違いがあれば絶縁しなければとまで考えていた母君は、自分の不安が的中したことに絶句。
しばらくは打ちのめされて言葉もありませんでしたが「せめて流れていった方だけでも探すことは出来ないの。亡骸を探して、葬儀だけでもちゃんと……」。
「そうしても何の甲斐があるでしょう。もう大海原に流されて行っておしまいになったはずです。とにかく、人目について噂になることだけは避けませんと」。
母君はいよいよ胸がせき上げてどうしようもありません。衝撃と悲しみは右近と侍従も同じですが、とにかく葬儀を出さなくては。ふたりは浮舟の使っていた日用品や布団などを棺に詰め込み、通常の葬儀と同じようにして送り出します。亡骸がないとは言え、それを見た母はその場で泣き崩れるのでした。
警護の内舎人たちは「ご葬儀のことは殿(薫)にご相談なさるのが筋でしょう」とツッコミますが、右近らは強いて「どうしても今日のうちに」と、事情を知る僧数人とともに荼毘に付してしまいます。亡骸がないので、棺はあっという間に燃えてしまいました。
冠婚葬祭は非常に重要なもの、都人よりもこういったしきたりにうるさい地元民は「けったいな葬式やなぁ。なんや立派な人の葬式ちゃうんかい。これやったらそこらへんの人と変わらんで」「いや、ワケアリの人んときは、こないするって聞いたで」。
とりあえず山荘の下人たちにもしっかり口止めはしたものの、こういった憶測が噂として伝わることは明らかで、薫が不審に思うことは避けられません。薫を裏切れないからこそ死を選んだ浮舟が、死んだということにして姿をくらまし、結局匂宮へ走ったなどと思われるのはあまりにあわれです。
「とにかくすべてが落ち着いてから、宮にも薫さまにも本当のことを打ち明けましょう」。右近と侍従はその時まで、秘密を守り続けようと誓うのでした。
一度ならず二度までも……最後に愛する者の訃報を知った彼
その頃、薫は石山寺(現在の滋賀県)にいました。母の女三の宮がこちらに参籠するのに付いていっている最中だったのです。京を留守にしていただけでなく、ろくに報せる人もいなかったために、皮肉にも薫がこの悲報に接した最後の人物となりました。
「すぐにでも駆けつけるべき所だが、母に従って日を決めての参籠だけにすぐに動けない。もう葬儀も執り行ったとのことだが、どうして相談してくれなかった。たとえ日延べしてでも、しかるべき格式で行うべきものなのに。
今更何を言っても仕方がないが、田舎の人達はこういった事に敏感だから、故人に対してはもちろん、私も示しがつかない」。
それにしても何ということだろう。あそこにはなにか悪い魔物でも住んでいるのではないか。大君に続いて浮舟までも失った不吉な土地、それなのになぜ自分はいつまでもあの娘を置いておいたのだろう。不用心だったからこそ、匂宮も目をつけただろうに。
自分の間抜けぶりが招いた悲劇だと思うといたたまれず、心が乱れる薫。しかし尼として祈りを捧げる母の側に、こんな自分がいるのも妨げになるだろうと、薫は一人帰京。女二の宮のところへもいかず「ちょっと不幸があったのでしばらく身を慎みます」とだけ告げ、自室で仏前に座ります。
(生きていた時はそうそう逢いに行こうともせず、まったくのんびり構えていたものだ。今となっては後悔の念しかない……。こうした悲劇が繰り返し訪れるのは、御仏が仏道を志す私がいつまでも俗人でいるのを残念に思い、無情というものを教えようとなさっているのであろうか)。
薫は、今となってまざまざと蘇る浮舟の面影に対し「ああしていれば、こうしていれば」とおなじみの後悔の念に駆られ、それでも出家できない未練がましい自分へのループへ突入。当時の人は死穢に触れると慎まねばならなかったので、自身が大急ぎで宇治に行くのは難しいとしても、あまりにも対応が落ち着いている気も。
他方、匂宮は涙を流し尽くしてしまうかと思われるほど泣ききって放心し、空っぽになった後は生前の浮舟を繰り返し思い返す日々。こんな泣きはらした顔で人に会うこともできないと、周囲には病気だと断って引きこもりです。
薫はそれを人づてに聞き(宮があれほど悲しむとは、よほどの思い入れがあったと見える。やはりふたりは相当に深い関係だったのだ。もし彼女が生きていれば、親しい関係で女をめぐり、みっともないスキャンダルになるだけだっただろう)。そう思うと、死の悲しみもいささか醒める気も。
宮の見舞いに誰もが向かう中、大した理由もないのに自分だけいかないのも妙だろうと、薫は久々に二条院へ。かつては親友同士、今は同じ女性を巡って取り合ったライバルとして、ふたりは改めて顔を合わせることになります。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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