ストックホルムのノーベル博物館(著者撮影)
こんなのをまだやってるのか?と思っている人は私だけではあるまい。ノーベル経済学賞のことである。現在、ノーベル賞の妥当性が問われているようだが、私には未だに経済学に対して毎年賞を授与していること自体がおかしなことのように思われてならない。
もう5年以上も前のことになるが、米国プリンストン大学の経済学の教授(Uwe E.Reinhardt教授)が「経済学には前途がないので指導を放棄して韓国ドラマを教えることにする」と言い出して話題になったことがある。おそらく彼は「経済学などより韓国ドラマの方がマシ」と言いたかったのであろう。
経済学は確かに20世紀初頭の「マーシャルプラン」等いくつかの成功事例をもたらしてはいるものの、我が国をはじめ借金まみれ、ひいては破綻寸前の国が増えている現状、成功しているとは言い難いのではないか?
経済学とは、いささか誇張はあるが概ね下記のような代物であると思う。
経済学者:
「経済学は社会科学の中で、数学という純粋な理論の導入に成功した唯一そして真の科学であります。ああだこうだと意味のない議論を繰り返す他の社会科学などは到底科学とは言い難い代物であります。
あなた方は頭が悪いのでわからないのでしょうが、現実の経済はこのような高級かつ崇高な数式で表現できることが我々優れた経済学者が解明しました。
(と言いつつ数式を指差すが、当然誰も訳がわからない)
どうでしょう?見るからに美しい数式でしょう?
要するにあなた方は優れた私たち経済学者の英知の結晶であるこの数式に従ってどんどん国債を発行し、順調に借金を重ねていけば必ずや輝かしい未来が待ち受けているでしょう。
さらに経済学は高度な理論と数学を駆使して、サブプライムローンという画期的な金融商品を創り出すことに成功しました。
え?リスク?リスクなんてものはこの高級かつ複雑怪奇な金融商品にかかれば、認識不可能になります。認識できないものはないも同然…これは人類普遍の法則であります。
ただし…ただしです。この素晴らしい理論を信用するかしないかの判断はあくまで頭が悪いあなた方の責任によるものであって、私たち経済学者がその責任を負うものではありません。なんとなれば、経済学者の責務はあくまでこの優れた頭脳を駆使することであって、現実の経済を運用することではないからです。」
確かに、経済学が一時的には世界規模での経済成長を画期的に早めた側面があるだろう。しかし、世界の歴史を紐解いてみればあらゆる国家は財政破綻のリスクと隣り合わせで、実際に破綻したり、なんとか踏みとどまったりしてきた。
経済学が「経済成長で取り戻せば借金しても全然平気」という安易な論理展開によって
勉強したこともないし何の愛着もないからこそあえて言うのだが、経済学はロクでもない空理空論で世界中の国々の財政を破綻に追い込み、ほとんどインチキな金融商品を生み出しては市場を幾度となく混乱に貶めている。
かのプリンストン大学の教授のように自分らが世界中にもたらした結果について、少しでも責任を痛感している経済学者が世界にどれだけいるのだろうか?ノーベル経済学賞なんぞをもらって喜んでいる場合なのだろうか?今から数世紀経った後、「経済学などそもそも無い方が良かった」という評価が下されないことを願う。