初めての出産間近…風向きを変えた“ママのお見舞い”
結ばれずに死んだ恋人・大君にそっくりな異母妹がいると聞き、「彼女に似た人がいるなら遠い異国にでも訪ねていきたい」と早速事情を聞いたものの、すぐには具体的な行動を起こさない主人公・薫。結局その年は暮れ、明けて26歳の春が来ました。
中の君は産気づき、いよいよ苦しがります。初めての子の誕生を前にオロオロする匂宮。もう心配で心配で、あちこちの寺社仏閣に祈祷を頼んでいたのを、またまた追加で頼むという有様です。初産で重くなりそうだと言うことで、ついに母の中宮からもお見舞いがありました。
中宮は中の君を適当な結婚相手とは見ておらず、「そんなに好きならこちらに宮仕えに出して、好きな時に逢いにくればいいじゃないの」とまで言っていた人です。そのため中の君は二条院に来てからもずっと、“匂宮には愛されているが世間一般には認知されていない愛人”、という枠にとどまっていました。
ところが初出産への中宮のお見舞いが来たために、世間もこれに追随し、あちらこちらから途端にお見舞いの人たちが駆けつけます。にわかに中の君に注目が集まる中、薫は親兄弟でもないため頻繁に見舞いにも行けず、陰ながら安産祈願に力を入れていました。
Xデー近し!でも…自分の結婚より人妻のお産
時を同じくして、帝の第二皇女・女二の宮の裳着(成人式)の準備が着々と進んでいました。亡き母君が生前に準備されたものに加え、地方官たちの献上品やらが山のように持ち込まれ、帝も心を砕いてお世話なさるものだから、もう大騒ぎです。
裳着が済めばそのまま結婚、という次第のため、薫もいよいよその日が近づいてくるのを感じていました。でも、だからといって胸がときめくわけでもなく、自分の結婚よりもただ初出産で苦しい思いをしている中の君の心配ばかりしています。
そんな薫の心とは裏腹に、ここで昇進が発表されました。右大将兼権大納言。死の床についた実父の柏木が、最期に追贈されたのがこの権大納言の位でした。薫は父よりも若くして、この地位を手にしたのです。
薫はお礼参りにあちこちを回り、二条院にも挨拶に来ました。宮はこちらに詰めっぱなしで、祈祷の僧侶などもウロウロして落ち着かない中、慌てて着替え直して薫に応じます。
お礼参りが済めばその後は自宅で新任パーティー、というスケジュールなのですが、すぐそこの二条院で中の君が大変な時に宴会するのも……と薫が悩んでいると、兄の夕霧から「六条院でやろう」。というわけで、その夜は皇族方も参席しての盛大な宴が六条院で営まれました。
まるで新大臣の就任パーティーのような豪華さで、少々度が過ぎるほどの派手な催しでした。匂宮も顔を出しに来ましたが、やはり中の君のことが気がかりで、お開きになる前にそそくさと二条院へ帰宅。
これを、宮のもうひとりの妻である六の君は(ちょっと、どういうこと?)。せっかく来たのに私の顔も見ないで帰ってしまわれるなんて!「中の君がそこまで見下されるいわれはないが、自分は大臣の娘だからと、おごった気持ちがあるのだろう」と作者は書いています。
ベビー誕生!おめでたづくしの裏に巡る思惑
六の君を反感を買ってでも二条院に帰ったのは正解でした。その明け方に、ついに宮の初めての子、それも男の子が誕生したのです!貴族の家では女の子が喜ばれるのは臣下の話、皇位継承権を持つ宮にとって、跡取り息子の誕生は何よりも嬉しいものでした。中の君も無事で、おめでたい限りです。
薫も自分の昇進に加え、心から嬉しくそのままお祝いに参上します。二条院は出産祝いの客人でごった返しました。誕生から3日め、5日め、とお祝いが続き、7日目には母中宮からのお祝い。宮中から数多くの人が参上します。
帝もこれを聞いて「あの宮がついに父親になったか。私からはこれを」と、お守り刀が授けられました。9日目は夕霧からのお祝いで、愛娘のライバルの出産を祝いたいわけはないのですが、婿の匂宮の顔も立てなくてはいけないし、息子たちを多く送り込んで立派に行います。
こうして、生まれた若君は多くの人の祝福を受けました。このところ、将来の不安と二人の男の煩わしさに、ずっと気分が晴れない日が続いた中の君は、ようやくここでその苦労が報われ、いくらかスッキリ!といったところでしょうか。
そして薫は、中の君の立場が良くなったことを喜ぶ一方で(こうして若君が生まれた以上、宮との夫婦の絆は一層深まり、僕はますます不利になるはず……)と人知れず残念に思うのでした。
「億劫で仕方ない」例のない“大急ぎ婚”に疲れる花婿
慶事は続きます。中の君の出産した同月の20日すぎ、ついに女二の宮の裳着が行われ、その翌日、薫は花婿として宮中へ向かいました。世間に評判の皇女が、臣下と結婚なさったというので、中には「婚約まではいいとして、何もここまで大急ぎでなさることはあるまい」と非難する人もいたとか。
確かに、かつて朱雀院が女三の宮の結婚を急いだのは、高齢で病気がちだった事もあり、自分が生きているうちにという思いが強かったためです。
しかし今上帝はまだお若く、退位を検討していたにせよ、臣下との結婚を急ぐ理由は特にありません。作者も「帝のお婿さんになられるひとは今も昔も多いが、このように全盛期に婿取りを急がれた例は少ないのではないか」などと書いています。
ではなぜかと言われると、それは帝のご性格が決めたらサッと実行なさるからだ、としています。父の朱雀院は悩んで悩んでまだ決められない、という優柔不断だったのに、まったく逆の性格なのですね。
夕霧も弟(本当は親友の息子ですが)の結婚に「まことに薫は果報者よ。私の父(源氏)でさえ、皇女を頂いたのは40過ぎの晩年になってからだったのに。更に私と来たら、誰からも非難されてまで、あなたと……」。
落葉の宮はまったくそのとおりなので、恥ずかしくて返事もできません。すでにそこから20年以上も歳月が経ち、今は六の君の養母として、落葉の宮も夕霧と落ち着いた仲です。
人も羨む幸運ですが、薫の心は晴れません。心の中には亡き大君の面影ばかり、日中はその物思いで、夜になると気の進まないまま宮中に忍び忍びに通う……という結婚生活。忍んでいくのも慣れないし、楽しいどころか億劫でしょうがないので、近々自宅の三条邸を増築して、お迎えしようと考えます。ハッピー感ゼロ。
それを聞いた帝は(もう夫の家に嫁いでいってしまうのか。なんと寂しく、心配なことだ。できることならもう少し近くに居てほしいのだが……)。帝は自分の異母妹である薫の母・女三の宮にも直々に手紙を書いて、娘をどうかよろしくと頼みます。
もともとは女三の宮が源氏に嫁いだ時、父の朱雀院から「妹宮のことを頼む」と言われて以来、今の今まで、帝は妹の女三の宮に心を砕いてきました。そのため親同士の関係は言うまでもなく良好、しかし薫にはそんなことも嬉しくなく、いつでも心は宇治へ、お堂建設へと向いているような状態です。
聞かれちゃマズイ大胆本音!作者もこぼす主人公の”変態ぶり”
早くも宮の若君の生後50日。月並みなお祝いにはすまいと言うことで、宮はお祝いの用意に余念がありません。多くの職人たちを呼び集め、よりすぐりの品々を作るよう命じます。職人たちは我こそはと意気込んでいる様子です。
そんな日、薫はまた宮の居ない折を見計らって二条院へ。昇進し、帝の花婿となった薫は、どことなく一段と重みと高貴さを増したように見えました。(もうこれで、以前のような世迷い言は仰らないだろう)と中の君が安心して応対に出ると、薫は
「やっぱり、自分の意図しない結婚というのは思った以上に辛いですね。余計に悩みが増えたようです」と、無遠慮に言うのです。
「何ということを。誰かに聞かれて噂にでもなったらどうなさいますの」。中の君は慌てて諌めますが、一方では薫が今でも姉への愛情を失わずにいてくれることは嬉しくもありました。
薫は若君を是非見せてほしいとせがみます。中の君は恥ずかしく思いながらも、(薫の言うことで、体を許せというのは聞き入れられないが、それ以外のことでは波風を立てたくない、できるだけ彼の意向に沿いたい)と、乳母に託して若君を渡しました。
色白で可愛い赤ちゃんです。大きな声で一生懸命おしゃべりし、ニコニコ。まるで自分の子にしてしまいたいほどの可愛らしさに(大君が生きていたら……せめてこんな子を遺してくれていたら)。
只今新婚真っ最中なのに、女二の宮との間に子供ができたら、とは夢にも思わないのが薫。「死んだ人への取り返しのつかない後悔ばかりを繰り返し、新妻の皇女にはなんの興味も抱かないことをあまり書くのは気の毒だ」と作者自身が突っ込む有様です。
更には「こんな変態を帝がご寵愛になって、大事な皇女の花婿にすることもないだろうと思うのだが、まあ公の面では素晴らしかったのだろう、とでも思うより他にない」とケチョンケチョン。大君の遺体を保存しておきたい発言もヤバかったですしね……。要所要所で薫を持ち上げてきた作者もちょっと本音が出てしまったんでしょうか。
「どこがそんなにいいんだ!」負けて悔しいある男の恨み
夏になると方角が悪いということで、薫は春の終わりのうちに、女二の宮を三条へお迎えすることに。その前夜に、帝は娘のために藤の宴を催されます。やんごとなき方々が列席する中で、夕霧が和琴、匂宮は琵琶、そして薫はこの席で、柏木が夢枕で伝えたあの笛を吹きました。
人生の最も晴れの日、どこからか亡き父もみてくれているだろうかと、薫は心を込めて演奏します。光栄にも、帝から直々に盃を賜り、決まり通りの拝礼をするのも誰とも違って立派です。
しかし悲しいかな、皇族方、大臣などが上座を占める中、若輩の薫はうんと遠くの自分の席に戻らねばならず、そこだけが気の毒に見えたと言うことでした。
さて、美しくめでたいこの席に、内心面白くない気分で参加している人がいました。紅梅大納言です。
彼は大昔に、女二の宮の母君に恋していました。しかし彼女は後宮入りしたので、叶わなかった恋の形見に、御娘の女二の宮を得たいと思っていたのでした。“母親がダメなら娘を”は冷泉院が玉鬘の娘を得たのと同じパターンですが、すごい執着です。
紅梅は姫宮の後援者を通じて結婚をお願いをしたのですが、その人が(どうせ無駄だ)と、あまりアピールしてくれなかったこともあり、結局今日の主役は薫と相成ったわけです。
「薫はたしかに前世の善行かなにかで、ああまで特別なのかもしれないが、天子ともあろうお方が、一介の臣下である婿をここまでもてなし、あまつさえ宮中で披露宴を開くとはいかがなものか」。よってたかって薫、薫って言いやがって!! アイツのどこがそんなにいいんだよ!
などと思っていた割に出席したのは、世にも盛大な藤の宴をこの目で見たかったためですが……。でも本当は紅梅にとって、薫は亡き兄・柏木の忘れ形見。もしそれを知ったらもっと喜んでくれただろうと思うのですが、残念です。
宴は大盛りあがりのうちにお開きになり、ついに女二の宮が三条邸へご降嫁。実に30台ほどの牛車を連ねた花嫁行列に政府高官がお見送りに立ち、華々しくお輿入れになりました。
薫はようやく自宅で、ゆっくりと新妻のお顔を拝見。小柄で上品、しっとりとした物腰の、欠点の見当たらないお方です。(こんな素敵な方を妻に出来た僕の運もまんざらではない)と思うのに、どうしても恋しく思われるのは大君。
「この世では消化しきれないカルマなのかもしれない。やはり仏の悟りを得てこそ、一体この悲しい縁がなんの因果だったかわかるだろうし、諦めもつくだろう」。
他人から見れば素晴らしい幸運に恵まれ、前世でどんな善いことをしたのだろうと羨まれる薫ですが、本人は一体どんな因果でこの悲しい恋に縛られ続けるのだろうと嘆いている。その対照はあまりにも皮肉です。
この世の栄華を得てもなお安らかにならない心。薫はそこから逃れるように、ますます宇治のお堂建設へ打ち込んでいきます。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
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源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/