「また帰ってくるかも」新生活への不安と孤独
大君の喪も明け、宇治の山荘での寂しい暮らしもついに終わり。京への引っ越しを控え、浮かれる女房たちとは裏腹に、中の君は不安しかありません。宇治へ残る弁の尼に胸の内を明かします。
「弁の君は、誰よりもお姉さまのことを悲しんでくれたわね。これも前世からの特別なご縁があったからなのかもしれない。お姉さまの形見の品はあなたに託します。
私、とても京の生活に馴染めるとは思えないの。場合によってはまたここに戻ってくるとも限らないわ。そしたらまた会えるでしょうけど、ここへあなた独りを置いて行くのもやっぱり気が進まなくて。
尼になったといっても、外出できないわけじゃないわ。どうか時々は京に訪ねて来てね」。
優しくそういう中の君を前に、弁はまるで子供のようにワンワン泣き出してしまいました。ちょっとうるさ型で困った所もあった弁ですが、今となってはそれも懐かしい。去る人も残る人も、引っ越しの前はそれぞれにお別れが辛いものです。
掃除も済み、京からも大勢のお迎えが訪れました。いよいよ出立です。匂宮は「自分で迎えに行きたい!」と言い張ったのですが、それではあまりに仰々しく目立ってしまうので、ここは配下のサポートのもと、計画が進行します。
それでも中の君はなかなか決心がつかず、女房たちからも、京のお迎えからも促されてようやっと牛車に乗り込みました。
いったい京はどちらの方角か、それすらもわからず途方に暮れる中の君とは裏腹に、同乗した女房の大輔の君は「生きていたらこんな嬉しい事もあるんですね!辛い辛いと宇治川に身投げをしなくてよかったこと」。もうひとりの女房も「亡くなった方を恋しく思う気持ちは変わりませんけど、それはさておき、今日は本当に嬉しい日ですわ」。
ふたりとも年寄り女房ではあるのですが、私と一緒に悲しんでくれた弁の心とは何という違いかと、中の君はゲンキンな彼女たちに閉口し、いよいよひとり孤独を噛みしめます。
注目のサプライズ婚!ラブラブでも楽観できない理由
道中は険しい山道。道が悪く、牛車はガタガタ揺れます。(宮さまはこんな道をはるばる来てくださっていたのだわ。私、何も知らなかった……)。空には上弦の月が美しく輝き、春らしく霞んでいますが、まだまだ京へはたどり着きません。
「あの月も山から出て山へ入っていく。きっと、世の中が住みにくくて帰っていくのね」。匂宮に愛され、京へ招かれたとは言え、将来のことは何もわからない。初めて世間の荒波に漕ぎ出していく辛さに、今までの悩みなんて大したことはなかったんだ……などと思ううち、気分が悪くなってきました。
慣れない長時間の移動を強いられ、車酔いで苦しみながらも、ようやく牛車は二条院に到着。煌々と光り輝く立派な御殿が立ち並ぶ中から匂宮が出てきて、中の君を抱きおろします。彼女の部屋は言うまでもなく、女房たちの部屋も行き届いた心配りがされていて、すべてが想像以上です。
思えば、二条院はその昔、源氏が幼かった紫の上をさらうように連れてきて育て、初めて結ばれた場所。宮にとっては大好きな祖母・紫の上が「私が亡くなったらここに住んで、梅や桜を眺めてね」と託していった、思い出の家です。
源氏は三日夜の餅を用意して二人の仲が真に夫婦であることを誓いましたが、一方では世間にはお披露目もされない内縁の関係でした。源氏の愛情とは裏腹に、親のバックアップを受けられず、世間に納得される形でなかったことが、後年の紫の上を苦しめたのははすでに見てきたとおりです。
中の君の立場は紫の上によく似ています。宮家の姫でありながらすでに両親はなく、今まで山奥で人知れず過ごしていた人が、突然に美貌の皇子・匂宮に引き取られて一緒に暮らし始めた。でも宮の愛情を独占しているとは言え、彼女もまた紫の上同様、非常に不安定な立場。栄転だと喜ぶ女房たちと一緒に喜べないのは当然です。
しかし今のところは匂宮は中の君にベッタリで、朝も夜も分かたず一緒というラブラブな新婚さんぶり。彗星のごとく現れた中の君とのサプライズ婚に、世間の人も興味関心を寄せます。
「取られて悔しい!」結婚話にモヤモヤするふたりの男
薫は応援に行っていた家来たちからの報告を聞いて、引っ越しが無事済んだこと、夫婦仲の申し分ないことなどを聞いてホッとしました。が、一方では悔しいような気もされて(今からでも彼女を取り戻せたら)と考えては(バカバカしい!何を考えているんだ、僕は)と自分でツッコミをいれています。
取られたと言えばこの人も不快感をあらわにしていました。娘の六の君と匂宮の婚儀を準備していた夕霧です。
こちらは年明けすぐに六の君の裳着(成人式)を行ったあと結婚式、というスケジュールを組んでいたのにもかかわらず、匂宮はまるで当てつけるようにして中の君を二条院に連れてきてしまった。まったく腹立たしいやら悔しいやら。
しかし大々的に前宣伝し、世間の人も注目していただけに、いまさら中止することもできません。結局、裳着だけ予定通りに行いましたが、まさか新婚ラブラブのところに娘を割り込ませるわけにもいかない。
(匂宮がだめなら薫はどうだ。一族だから発展は見込めないが、他の貴族の婿にするにはもったいない)。夕霧と薫は世間的には(親子ほど年の離れた)兄弟ということになっていますが、実は薫は親友・柏木の息子。自慢の娘が彼と結婚してくれれば……と思い、それとなく意向をさぐらせます。
しかし薫は「結婚なんてとても。世の無常が身にしみて辛いばかりなので」。そもそも結婚話に全く興味が無いことで有名だった彼ですが、大君を亡くしてますますそれどころではありません。
(この私が真剣に頼んでいるというのに。こうもあっけなく袖にされるとは……)。夕霧は面白くなく思いますが、年若い弟とは言え、重々しい薫にとやかく言うことも出来ず、夕霧パパは頭を悩ませます。
“厚意”から”好意”へ?夫と恩人の板挟みに悩む妻
梅も終わり、桜の季節になりました。薫は満開の桜を見るにつけても、宇治の桜が見る人もなく散っていく姿を想像してセンチメンタルに。そのまま二条院へ向かい、匂宮と話し込みます。
そのうち宮は参内する支度を始めたので、薫は中の君に挨拶。宇治の寂れた山荘にひっそりと住んでいた彼女も、今や輝かしい大豪邸の奥様です。
「近くにいらっしゃったはずなのに、なんだかかえって遠くなってしまったようで寂しいですね」と、宇治時代の女房を介して声を掛けると、中の君も(お姉さまがこの方とご一緒になっていたら、今頃二条と三条で、共に季節の花や鳥を楽しめたでしょうに)と、姉のいない悲しみをつのらせます。
女房たちは「もっとお近くでご挨拶なさいませ。薫の君には格別のご高配を賜っているのですから、それにお応えして差し上げてくださいませ」と、部屋の中で直々に挨拶するよう勧めます。それでも、夫でもない薫を室内に引き入れて直に言葉を交わすのは、中の君にはためらわれることでした。
そこへ支度を終え、バッチリキメた匂宮がやってきました。「おお、薫はこっちに来ていたのか。それにしてもあんな、御簾の外に座らせて……。ここまで親身になって世話をしてくれた彼じゃないか。そっけない扱いをしたらバチが当たるよ。もっと間近で思い出話をしたらいい」。
と言いながらも、一方で「でも、あんまり仲良くしすぎるのもどうだろう。どうやらアイツも清い心のみ、とはいかないようだからね」。先から薫の下心を疑う宮はこう釘を刺します。
宮の嫉妬も面倒ですが、確かに薫の”厚意”が”好意”へと変質してくる厄介さを、中の君も感じています。(あの方はお姉さまの代わりと思って私を見ているのよ。今まで何くれとなくお世話くださったこと、それこそ私もお姉さまの代わりに、厚くお礼申し上げたいとは思うけど……)。
宇治は遠く思い出の中に残るのみ。京での新たな生活は一見、穏やかで申し分の無いように見えるものの、水面下にはそれぞれの思惑をはらんでいました。
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