↑我が母校の一つ、の石碑
娘や息子がいじめに耐えられず自殺した親が学校の対応を責める姿がマスコミに登場することが多くなった。「腹わたが煮え繰り返ってます」等々と学校側に激しい怒りをぶつける父親である。しかし…何かがおかしくはないか?彼や彼女らにこう言ってやりたい。
「学校のせいじゃなくて、誰よりも親であるあなたの責任でしょ?」
まあ考えてみよう。ある高校生が自殺したとして、一般的に考えて親や学校のその責任の度合いはどの程度ものかということである。
(学校の責任):(親の責任)= 1 : 100
ざっとこんなものではなかろうか?
学校の職員は、所詮職業的な責務の一環として仕事をしているに過ぎない。娘の親に何と頼まれようが、親ほどの愛情と集中力を持って一人の教え子を守るなんてことは所詮不可能な話である。
いじめが原因で年端もいかない子供が自殺するなんて、学校側からすれば想定外の出来事である。我が子が自殺して失った親たちは学校側を「責任逃れ」と非難する。が、学校側からすれば「1」の責任範囲内で職務に勤しんでいたところ、教え子が自殺してしまったことによっていきなり「100」の責任を押しつけられてしまったに等しいわけで、責任逃れしたくなるのも無理はないのではなかろうか?実際、いじめの現場が小・中・高校でさえなければ、学習塾や大学だったとしたら、学校側が責任を問われることはないだろう。誰も面と向かっては言わないが、そもそも自殺なんて周囲の人たちにとっては甚だ迷惑な話である。
我が子を自殺に追いやったいじめの加害者たちがその後も順調に、まるで何事もなかったかのように人生を謳歌して行くであろうことを想像するといたたまれない気持ちになるであろうことは理解できる。が、いじめは今日や昨日に始まったことではなく、昔からあったことである。過去にいじめられた学童の中には自殺した者もいればしなかった者もいることも考えれば、児童の自殺を阻止できなかった責任は学校というよりは親にある。
親としての責任はさておいて、学校側だけを非難してやまない親たちが「厚顔無恥」に見えてしまうのは私だけではなかろう。