昭和の大女優 高峰秀子から学ぶ凛々しく生きる11のヒント

  by あおぞら  Tags :  

毎度お騒がせの女優が、休業宣言とやらをやらかしたけれど、もうマスコミもそんな未熟者に振舞わされずに総すかんを食わせた方がよいのではないかと思っている。思い上がりも甚だしく、一体何様なんだ?と思う。

若くて美しいうちは、一肌脱いでも女優としての武器になるし、また自分の容姿で勝負できるのだが、女優としてこれから生きつづけるとしたら、年と共に役柄も変わってゆくし、いずれ中心のキャスティングから外れて脇を固める役者になっていくのだろうが、それが出来ればまだ好運な方で、時の人ともてはやされた役者がどれだけスクリーンから、またはテレビ画面で見なくなっていったか…..である。

女優は美しさも条件だけど、私は聡明さがないとダメだと思う。演技をさせても上手いし、即興で話させてもキチンと話すし、また文章を書かせても影武者の力を借りずに書ききり、どんな人と接しても会話が成立し好感がもたれる女性の役者こそ、女が優れると書いて「女優」と呼べると思っている。だから、離婚問題をちらつかせて、映画が完成したらプロモーションもせずに休業宣言する女なんぞ、アマチュア以下だと思っている。

芦田愛菜が『東京ドラマアウォード2011』の主演女優賞に選ばれた時、壇上で司会の石坂浩二が「高峰秀子さんみたいな女優になって」と言ったニュースを見たが、芦田愛菜はこの世にいない高峰秀子のことは知らないであろうが、ステージママの母親は高峰秀子の存在を知っていたかだ、もし、知らないとしたら、ちゃんと調べてどのような人物だったかを学んでいるかだ。もし、これをステージママがきちんとしていたら芦田愛菜の芸能界での姿勢も違ってくるかも知れないが、大女優高峰秀子になるのはかなりの努力を要すると思う。

私は古い日本映画を見るのが好きなので、高峰秀子を綺麗な上品な女優のイメージで見ていた。その印象が強くて演技うんぬんより、女優全体の雰囲気が好きだった。これは「二十四の瞳」の若い先生の役でも、「女が階段を上る時」のバーのママ役でも全く年代も職業も違う役であっても、雰囲気が好きだった。

高峰秀子が書いた本を何冊か読んだことがあったが、面白かった。女優でエッセイも本格的に書ける才能も素晴らしいが、子役からスタートした女優業でずっと売れっ子だったため、きちんとした教育を受けていなくてもそんなことを言い訳にしない程教養高き女性だった。

高峰秀子について書かれた本「高峰秀子の流儀」から、学んだ日本語は「こだわらない」。

このところ「こだわり」がいかにも良い表現として使われているが、高峰秀子はこだわりは本来悪い言葉であることを指摘している。私自身も本を読んで「こだわり」を間違って使わないようにしようと学んだし、また「こだわり」とは語幹も確かによくない。

本の目次「……しない」と言う題目が11に分かれていて、本来、否定の言葉はあまり好ましいとは思わないのだが、これらはまさに例外であった。

・動じない
・求めない
・期待しない
・振り返らない
・迷わない
・甘えない
・変わらない
・怠らない
・媚びない
・驕らない
・こだわらない

女性として銀幕で活躍していくには女らしさも必要だが、基本的に男の要素がなければ闘っていけないと思う。美しさと聡明さと男性的な面も持ち合わせてこそ、立派な女優になれるのではないだろうか。

画像:frickr from YAHOO!
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