「いなべの生徒はアホばっか!」こんなこと言わせておいていいのか?
私は四日市高校時代に、教育を志した。研究でも、実践でもどちらでもよかった。それで、名古屋大学の教育学部を受験して合格した。しかし、授業を受けて失望した。私は数学のように完全な理論を期待していた。
つまり、教育の目標や、方法論が聞けると信じていた。
ところが、授業を面白くする方法を述べる教授の講義がおもしろくない。学生たちは居眠りしていた。文系科目は物理のように実験で実証するわけでもなく、数学のように理論を構築するでもなく、ただ教授の権威と肩書きで自説を述べているだけだった。
私は現場を知りたくなって、卒業後2年間は塾で講師をしていた。その後、アメリカの学校も知りたくなって、ユタ州のローガン中学校で教師をしていた。帰国後は、指導科目の英語を探求して、英語検定1級や通訳ガイドの国家試験に合格した。
それから30年間、名古屋の大規模予備校、専門学校、塾で14年間非常勤講師をやりながら自塾でも中学生や高校生を指導し、自分でもZ会を8年やり、京大模試を10回、センター試験を10年連続で受け、京大二次試験を7回受けた。数学も7割とれて指導可能になった。
指導した生徒は、京大医学部、阪大医学部、名大医学部に合格した。
さて、ここで思う。
世の中に、教育学を研究している教授も、権威も、エキスパートと呼ばれる人たちはたくさんみえる。その人たちが、私が現場で試行錯誤をしている間に「ゆとり教育」を導入し、小学校の英語を始めた。センター試験は新テストに変わる。
やはり、教育学は存在しない。
「ゆとり教育」など明らかに間違いだった。小学生に英語を指導するなんて、現場を知らない人の妄想だ。新テストを導入しても、事態は悪くなりこそすれ良くはならない。
英語は、単なるコミュケーションの道具であって「英語学」など存在しない。数学や物理のように、実証可能なものだけが学問と呼ぶに値する。
私は、現場を知らない人が文科省の役人になり、文科大臣になり、日本の教育制度をいじるのは間違いだと信じている。また、教育評論家と呼ばれる人たちがマスコミを通じて影響力を行使するのは現場を混乱させるだけだと思う。
ここ10年ほど、モンスターペアレントが跋扈している。私の塾でも、突然「娘の授業の様子を見たい」と個人指導中に母親が入ってきて、授業後に「授業が始まって5分間は、導入で先生の経験談をしてもらって、その後15分間は導入でAというテキストを用いて、その後はB問題集を使って、・・・」と延々と2時間話し続けた方がみえた。
つまり、今は教育学などこの世に存在しない。エキスパートの存在を認めないので、10人いたら10人がバラバラの信念を語るわけだ。そして、それを否定されると激怒という感情的に反応するばかりだ。
では、塾や予備校業界と言えば、暴走族講師やらマドンナ講師ばかりで、芸能人に転身するための職と考える人もいる。マジメに教育に取り組んでいるとは言いがたい人が多すぎる。
学校はどうだろう。日教組のような北朝鮮や中国といった社会主義の世界をユートピアと主張する教師は論外だし、逮捕者が続出するエロ教師も論外だ。では、大多数の教師は大丈夫だろうか。ご自分の同級生で、優秀な人は教師になっただろうか。
生徒の愚痴を聞けば、現状が分かる。昨日も、中学三年生が「先生、やっと英語が三年生の教科書に入った。5月が終わるのに」とか「因数分解の公式を教えてくれない。全部分配法則だよ」と言っていた。落ちこぼれを救うという美意識に酔った先生が多いと生徒が嘆いている。
実際、私が名古屋の7つの大規模予備校、専門学校、塾で14年間働いた経験から英検1級を持った先生、旧帝卒の先生などほとんどいなかった。最低限の、専門科目さえこの惨状なのだ。教育学を考える以前の問題だ。
理論もダメ、現場もダメ。では、どうすればいいのだろう。実は、大学の教授や、学校の教師ばかりを責められない。生徒もダメな子が多い。今の日本は平和ボケで、規律がゆるゆる。生徒の情報によると、どの教室にも1人は徘徊生徒がいるそうだ。
あまりに少年犯罪がヒドイので、少年法の改正を求める声も多い。
アメリカのトランプ候補が日米安全保障条約の廃棄を主張している。日本の核武装も勧めている。安倍首相は、憲法改正が悲願だ。そろそろ平和ボケもしていられない時期が近づいている。
もはや、最低の生徒に合わせた授業を行っている余裕が日本になくなりつつある。優秀な生徒を優先して、日本の科学技術を世界の最高峰に押し上げないと国自体がもたない。
政治家も学校も信頼できない。とりあえず、自分たちの身を守るには怠惰な子や非行を好む子を排除して、マジメに生きる子を守る場を確保しなければならない。
「教育」というのは、人間相手の仕事だ。いろいろな生徒がいるわけだから、彼らの指導を行うためには出来る限り広い経験が必要となる。経済的に苦境に陥った人でないと、経済的に厳しい生徒の気持ちは分からない。社会で働いたことのない教師なんて、生徒の職業選択の相談にのれるわけがない。
私は、アメリカで教師をし、7つの大規模校で教え、自分で塾を経営し、銀行や税務署とやりあい、破産寸前までいき、親になり、バツイチになり、様々な経験をしてきて、やっと生徒の話を聞いてやれる気がしてきた。人の痛みが分かるようになってきた。
「教育学」など存在しない。教育にあるのは、職人芸のように思う。少林寺拳法の訓練も、クリスチャンとして学んできた聖書も、生徒の指導に役立っている。「師」と呼ばれるのは簡単なことではない。
そもそも、教育とは何を教えるのだろう。唐の時代の科挙のように、漢詩を教えることに同意する人などいなだろう。仏教系、キリスト教系など宗教系の学校のように特定の宗教を教えるのも同意されそうにない。日教組のような左翼思想も拒否されそう。
多数の人に同意してもらえるのは、科学の時代なので英語、数学、理科、社会、国語という5教科なのだろう。しかし、それでも徘徊などを止めるための基本的生活習慣、つまり躾は教育に必要不可欠なのだ。
ここには、現場を知らない思いつきの教育理論など害悪でしかない。問答無用で静かに授業を聴く態度が求められる。強制なので、体罰も必要なときがある。マジメな子を守るためだ。ところが、体罰どころか身体に触れることさえままならない。
抵抗できない女性教師が中学生に刺殺される事件があったが、ここに綺麗ごとは不必要。非行少年、少女はためらわずに警察に渡さないと同じ事件が起こるだろう。
教育評論家も、文科省も、日教組も、そんな教師を守れない。ましてや、教育学の教授など、無用の長物でしかない。私は、権威にあぐらをかいている教育学の教授が嫌いだ。
塾、予備校界もひどいもので、タレントをCMに投入して、指導方法なんか二の次、三の次で金儲けに走る。塾講師が小学生の女子を刺し殺したこともある。京都の有名進学塾だった。講師の質の低下はひどいものだ。
誰も何もできない。教育分野にエキスパートなどいないのだ。いても、世間の人は肩書きが無いと信用しない。
そして、明日も混乱は続く。「自分の勉強は、自分でやれ」との声が聞こえる。
生徒が教育の主役だとうすると、パティシエになりたい子もいれば、アスリートになりたい子もいる。音楽家になりたい子もいれば、公務員を目指す子もいる。そんな子たちは、中学生なら高校。高校生なら大学に合格したいだけだ。
学者のしち面倒くさい理論など、どうでもいい。「黙ってろ!」って感じ。そんなことより、受験までに授業を終わって欲しい。落ちこぼれにあわせた授業をやめてほし。「いなべの生徒はアホばっか!」と桑名地区の生徒に言われるのは御免。
四日市高校は、データ提供が早いので本年(H28)のものですが、桑名高校と川越高校は昨年度(H27)のデータです。生徒数は年度により差があるので概数です。 上位ニ校は「桑名市」、下位六校は「いなべ」
○合格者数○ 四日市高校 桑名高校 川越高校 生徒数 合格率
1, 光陵中学校 16 49 3 180 38%
2, 陵成中学校 17 42 7 200 33%
3,員弁中学校 1 15 7 80 29%
4,東員第二中学校 1 19 9 110 26%
5,藤原中学校 2 10 3 60 25%
6,北勢中学校 5 17 6 120 23%
7,東員第一中学校 2 19 5 120 22%
8,大安中学校 4 8 8 140 14%