生前には確執も ジョニー大倉の息子が矢沢バーに行ってみたら……

昨年11月に惜しまれつつ亡くなったジョニー大倉さん。

1970年代に“伝説のロックバンド”キャロルのギターボーカルとして一世風靡し、解散後は俳優としても活躍したが元メンバー、矢沢永吉さんとの度重なる確執にも伝説級のインパクトがあった。

二人の確執はファンにも大きな影響を与えており『2ちゃんねる』をはじめとしたインターネット上ではジョニー派、永ちゃん派がいがみ合い、ののしり合う光景が見られたものだ。

しかし、僕は先日、そんな状況に変化を感じさせられる奇跡的なシーンに遭遇した。

10月28日、僕はジョニー大倉の次男で俳優、歌手の大倉弘也と大阪ミナミで飲み歩いていた。

弘也にとっては初めての大阪の夜ということで大いに盛り上がり、帰りの便が迫ってはいたが、

「東京で知り合いに紹介されたお店があるんでもう一件行きましょう」

と、住所のメモを頼りに雑居ビルの3階に入っているその店を探し当てた。

そしてドアを開けて絶句した。

そこはテレビなどで幾度となく紹介されている大阪でも有名な矢沢バー……すなわち矢沢永吉ファンの熱烈なファンが集うスポットだったのだ。

V字カットでそのまんま”永ちゃん”なマスター、リーゼントで口をアヒルのようにとがらせた常連客たちが一斉に僕たちを見つめる。

その瞬間を振り返り大倉弘也は語る。

「殺されるかと思いましたよ……」

ところが意外も意外。

席に着き、弘也がジョニー大倉の息子であることを正直に告げると場の空気は一変した。

「僕も昔やってたキャロルのコピーバンドではジョニーさん役だったんですよ。息子さんにお会いできて光栄です」

とにこやかに握手を求めるマスター。

お客たちも「お父さん亡くなって残念です。」、「『チ・ン・ピ・ラ』(※ジョニー大倉出演の映画。1984年)大好きでした。」と次々に歩み寄ってくる。

しまいには弘也を囲んでキャロルカラオケ大会が始まる始末だ。


「父は確かに矢沢さんに複雑な感情を持っていましたが、だからと言って憎んだり嫌ったりしていたわけじゃないんです。
むしろ晩年の闘病中はキャロル時代を懐かしがって会いたがっていたくらいで……いろんなことがあったけれど、それを含めて友達だったんだと思います。
それがファンのみなさんの間にもようやく理解されはじめてきたのかな。
自分がまさか矢沢バーで歓迎されると思ってなかったから本当に嬉しかったです。」

帰りのタクシーの車内、そう話す弘也の瞳にはうっすら涙がにじんでいるように見えた。

ジョニー大倉と矢沢永吉……。

日本の音楽シーンに多大な影響を与えた二人の関係について、これまでさまざまな人や媒体が面白おかしく語ってきた。

しかし人間同士の”友情”について本人や家族以外の誰がとやかく言えるだろうか。

そんなことを考えさせられた秋の夜だった。

※画像の一部を『うたまろnoばぁー』から引用しました。

『うたまろnoばぁー』

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中将タカノリ

■シンガーソングライター、音楽・芸能評論家 ■奈良県奈良市出身 ■1984年3月8日生まれ ■関西学院大学文学部日本文学科中退 2005年、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)の薦めで芸能活動をスタート。 歌謡曲をフィーチャーした音楽性が注目され数々の楽曲提供、音楽プロデュースを手がける。代表曲に「雨にうたれて」、「女ごころ」(小林真に提供)など。 2012年からは音楽評論家としても活動。さまざまなメディアを通じて音楽、芸能について紹介、解説している。

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