幼い頃に読んだ絵本や物語を、ふと思い出してしまうことはありませんか。大人になってからも、心にひっかかっているあのシーンや、あのフレーズ。この記事では、そんな懐かしい児童文学作品をご紹介します。今回は、『新装版 車のいろは空のいろ1 白いぼうし』(作・あまんきみこ 絵・北田卓史/ポプラ社)です。
まだ5月だというのに、真夏のような日差しの日が続いたり、かと思えば、急に涼しくなったり、春が過ぎて初夏に近付いているのだなあと感じることが多い時期になりました。梅雨に入ると、蒸し暑くじめじめする日が続くようになるのでしょう。そんななかで、ふと思い出した物語がありました。断片的にしか覚えていないのですが、“夏みかん”が出てくるお話。その夏みかんが、あまりにも爽やかでみずみずしくて、きっとさっぱりとして甘酸っぱいんだろうなあと今でも印象に残っています。けれど、あれは一体どんなストーリーだったのだろう。確か、あれは小学校の教科書に載っていたはず……。そう思い調べてみると、1冊の本に再会しました。
『新装版 車のいろは空のいろ1 白いぼうし』
「これは、レモンのにおいですか?」
ほりばたでのせたお客のしんしが、はなしかけました。
「いいえ、夏みかんですよ。」
しんごうが赤なので、ブレーキをかけてから、うんてんしゅの松井さんは、にこにこしてこたえました。
(『新装版 車のいろは空のいろ1 白いぼうし』P.34より抜粋)
物語は、この会話から始まります。主人公はタクシーの運転手、松井五郎さん。その夏みかんは、においごと松井さんに届けたくて、田舎のお母さんが速達で送ってきたものでした。その中から、1番大きい夏みかんをタクシーに乗せて走っているのです。
“しんし”を下ろした後、松井さんは車道の側で、かわいい白いぼうしを見つけます。車を降りて、ぼうしをつまむと、ふわりと中から何かが飛び出してきました。
それは、1匹の“モンシロチョウ”。空にひらひらと飛んで行ってしまいました。松井さんが、ぼうしの裏を見ると、その持ち主であろう男の子の名前が縫いとりしてあります。
せっかくのえものがいなくなっていたら、この子は、どんなにがっかりするだろう。
(『新装版 車のいろは空のいろ1 白いぼうし』P.37より抜粋)
そう思った松井さんは、あの夏みかんに白いぼうしをかぶせました。そして車に戻ると、いつの間にか、おかっぱの可愛い女の子が後部座席に座っていて――。
6月初めの暑い1日を描いた物語なのに、暑さをちっとも感じさせない爽やかで清々しいお話です。読後は、車に夏みかんを乗せた松井さんの気配りや、ぼうしを開けた時の男の子の気持ち、物語の最後に出てくる「よかったね」「よかったよ」「よかったね」「よかったよ」という会話、そして、あのおかっぱの女の子とは一体……、など、とても短い物語にも関わらず、様々な疑問や空想の余地を読者に与えてくれます。
ちなみに、この「白いぼうし」は、数十年前から小学校の教科書に掲載されており、現在も取り扱われているようです。また、小学校の教科書に掲載されている、『ちいちゃんのかげおくり』を書いたのも、このあまんきみこさんです。
どこか懐かしく心温まる1冊
『新装版 車のいろは空のいろ』シリーズは、全3巻が出版されています。同シリーズは、様々な雑誌や童話集などに発表されており、その物語をまとめ直したのがこの新装版のシリーズです。
今回紹介した『白いぼうし』が収められている、『新装版 車のいろは空のいろ1』では、8編の物語が楽しめます。どれも主人公の松井さんが、すこし不思議な出来事に巻き込まれてしまうのが特徴。例えば、人間だと思って乗せたお客さんが本当はキツネや山ねこだったり、釣り人を乗せた時には、釣った魚を「返せ」と魚の群れに追いかけられたり……。
どれも日常と非日常の入り口が曖昧で、気が付いたら、ファンタジーな展開に巻き込まれています。そのファンタジーもどこか日本的で、昔からある日本の風土や慣習が背景にあるように思います。
巻末の西本鶏介さんによる解説では、この作品のことを、
『おいしい和菓子を食べた気分にさせてくれます』
(『新装版 車のいろは空のいろ1 白いぼうし』P.125より抜粋)
と、表現しており、ほっと一息つけるような穏やかな気持ちにさせてくれるお話ばかりが詰まった1冊です。
ちなみに、『車のいろは空のいろ』というのは、松井さんの乗っているタクシーのこと。皆さんが、もし空色をしたタクシーを見つけたら、それは松井さんのタクシーかも知れません。
『新装版 車のいろは空のいろ1 白いぼうし』
作:あまんきみこ
絵:北田卓史
出版社:ポプラ社
定価:1000円
発行:2000年4月
参考:http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=41000010[リンク]
※画像は、株式会社 ポプラ社様(http://www.poplar.co.jp/[リンク])より引用しています。