筆者は兵庫県姫路市で生まれ、同じく兵庫県の阪神間で育ったのですがずっと「兵庫県に県歌は存在しない」と思っていました。ところが、国立国会図書館近代デジタルライブラリーの登録資料をなんとなく調べてみると存在しないはずの『兵庫県歌』の4文字が!
と言うわけで早速、幻の『兵庫県歌』について調べてみました。
幻の『兵庫県歌』は1903年(明治36年)発表
この『兵庫県歌 我が軍旗』は歌詞と楽譜が掲載されている小冊子で、作詞者は「井上昌基」、作曲者は「米野鹿之助」と記載されています。
作詞者の井上昌基は在郷軍人で体育教師をしていた所を応召されて陸軍大尉となり、『我が軍旗』の他に『兵卒教育問答』『軍隊初歩門答』『新戦術の研究』など戦術や教練に関する著書を何冊か残しています。作曲者の米野鹿之助は1896年(明治29年)に東京音楽学校を卒業した後、御影師範学校(神戸大学教育学部の前身)で音楽教師を務めていた人物で『我が軍旗』の他には『教科統合新体唱歌』『戊申大詔倹唱歌』『凱旋 尚武軍歌』や多紀郡(現在の篠山市)郷土唱歌などを作曲しています。両名とも没年はわからなかったので、著作権が存続している可能性があり楽譜や歌詞の全文は記事には載せられません。原文を見たい場合は、記事の最後にあるリンク先(文化庁長官裁定で公開)を参照してください。
この『我が軍旗』が発表されたのは今から100年以上も前の1903年(明治36年)で、翌1904年(明治37年)には日露戦争が勃発しました。在郷軍人だった井上が応召されたのも対露関係の悪化が背景にあったようで、このタイトルからして“富国強兵”が国是だった時代を感じさせますが神戸高等商業校(御影師範と同様、神戸大学の前身校の一つ)校長・水島鉄也(1864-1928)が記した巻頭言も「此レを以テ県民ノ士気ヲ鼓舞作与スルノ一助ニ充テント欲スト」と“戦意高揚”を前面に押し出したものとなっています。
歌詞は40番まである超大作! しかし後半はだんだん投げやりに
作詞者の井上は県歌を作るに当たって、次のように書いています。
本書は古来県内の名所旧跡社寺山川港泊墳墓人傑等の最も著名にして且つ人口に膾炙せるものを蒐集し専ら簡約にして冗長の煩を避け可成雅言を用ひて語格の連通を期せり之が為め上中各二句は武的趣味を以て単に下句の我が軍旗に結着し主として軍旗の尊戴すべきものなる所以は之を卷尾に群述せり随て彼に密にして此に粗なるの憾あらんも亦以て尚武志想の啓発に資するの微意に出でしなり希くは多々不備の点は大方の叱教えを竣つのみ
本編の冒頭には楽譜が掲載されていて、次のページからは延々と歌詞が載っているのですがこれが長い! 同時期の『鉄道唱歌』の374番(399番とする説もあり)には及びませんが、全部で40番まであります。やはり同時期の1901年(明治34年)発表で、今でも長野県に住んでいれば誰でも歌えると言うぐらいに普及している『信濃の国』は全部で6番、戦後に作られた都道府県民歌の大半は3番か長くても4番までが普通ですから、どう考えても長すぎでしょう。
井上が書いているように1番から40番まで全部、歌詞の後半は「樹(たて)てを仰げ 我が軍旗 名誉(ほまれ)も高き 兵庫県」で統一されており、それぞれの前半部分が「県内の名所旧跡社寺山川港泊墳墓人傑」に当たります。1番は湊川神社に祀られている楠公(楠木正成)を忠臣として讃える内容で、歌詞の上には「一国の軍神として威名赫々たる楠公の忠誠を欽慕す」と各番ごとに解説が書かれています。2番から14番までは須磨や鵯越(ひよどりごえ)など源平合戦にまつわる内容が多く、15番以降では神功皇后・宮本武蔵・皿屋敷のお菊・赤穂四十七士・淀君と神話伝承から江戸時代まで思いつく限りの有名人を列挙してちっとも「専ら簡約にして冗長の煩を避け」になっていないのが突っ込み所でしょう。28番以降はさらに投げやり感が強く、摂津の武庫円山と播磨の加古川・揖保川・千種川を並べ立てたり31番は「有馬・城崎」、32番は「太田・布引・飛龍」、34番に至っては「氷ノ山・六甲・三国・摩耶・鉄枴」とどう考えても「有名な温泉」や「滝」「山」を雑にくくっただけの歌詞が延々と続きます。終盤は38番で日清戦争の勝利を誇ったり39番で「明治生まれ」を強調したり、この後も何十年と歌い継がれることをまるで考慮していないあたりが当時の職業軍人のセンスなのでしょうか。
ただ、作詞者の意図としては神戸港に建設投資を行うべく周辺の県を無理やり合併し、後年に“日本のユーゴスラビア”と呼ばれるほど地域性にまとまりが無く、播磨では「飾磨県再分離」運動が何度も起きるなど混乱が続いていた県内各地域の融和を考えていたのだろうと思うと、単に「失敗作」と切り捨てるにも惜しい気がします。
そして今は“事実上の県歌”がある
国会図書館にこの資料が所蔵されていると言うことは、この冊子が一般に発売されて旧帝国図書館に納本されたものであることは間違いないはずです。しかし、当時の新聞を見ても一大ニュースであるはずの「兵庫県歌制定」を大々的に報じるものはなく、不評かそれ以前に大した話題とならず忘れ去られた可能性が高いと思われます。もしこの歌が好評で正式な県歌として制定されていたとしても、戦前に作られた県歌や市歌の多くがそうであったように「歌詞が軍国主義的」と言う理由で廃止は避けられなかったでしょう。
そう言うわけで、今なお兵庫県の正式な県歌は“未制定”とされているのですが“事実上の県歌”とされる歌はあります。その歌は『冬が来る前に』で有名なフォークソンググループの紙ふうせんが歌う『ふるさと兵庫』で、1980年(昭和55年)に県政広報番組の主題歌として提供された後の2006年(平成18年)に開催されたのじぎく兵庫国体開会式で演奏されて以来、“事実上の県歌”の扱いで歌われるようになりました。この国体ではマスコットキャラクターの『はばタン』が爆発的な人気を呼んで大会終了後に県のマスコットとして抜擢されたのが有名ですが、それまで存在しないと思われていた“県の歌”を発見する機会になったことはもっと記憶されても良いのではないかと思います。国体開催の翌年に開催された県議会で知事は県歌を制定しても普及していない県が多いことを理由に『ふるさと兵庫』の正式な県歌としての制定に後ろ向きな答弁をしたそうですが、それから5年余りが経過し県民体育大会の総合開会式や淡路花博2010他の県が主催するイベントでもこの歌が合唱されるようになりました。知事が言うところの制定から何十年経っても「普及していない」他県に比べれば演奏実績が着実に積み重なっていることは間違いなく、そろそろ“仮免許”を返上しても良い時期に来ているのではないでしょうか。
♪ふるさと兵庫♪(作詞・作曲 後藤 悦治郎 歌:紙ふうせん) [リンク]