政府が少子化対策の一環として『女性手帳』(仮称)導入を検討しているとの一部報道に対し「少子化の責任を女性だけに押し付けるような政策はおかしい」と言う反発の声と合わせて「むしろ『男性手帳』も作るべき」と言う意見が出ていますが、その中で第二次世界大戦中に発行されていた『体力手帳』に注目が集まっています。
『体力手帳』は1940年(昭和15年)に成立し、1954年(昭和29年)に廃止された旧国民体力法に基づき厚生省(現在の厚生労働省)が発行していたもので、徴兵検査に際して男子の体力低下傾向が見られたために広田内閣の陸軍大臣であった寺内寿一が「国民体力向上」を提唱したことを契機に青少年の健康管理を目的として導入されました。当初は17歳から19歳(数え年、以下同じ)の男子が交付の対象でしたが、戦局の拡大につれて1941年(昭和16年)には交付開始年齢が17歳から15歳となり、翌1942年(昭和17年)には上限が25歳に引き上げられました。
表紙に描かれているのは“巌瓮と魚”(いつべとうお)と呼ばれる日本神話の故事で、手帳において以下のように由来が説明されています(原文の片仮名書きを平仮名に、旧字体を新字体に修正)。
表紙の「巌瓮と魚」は 神武天皇の御偉業成就の前兆が丹生川(にぶのかわ)の御祈に顕れたといふ古事に因んで皇国の理想の達成せらるべきことを象徴し又「縄文模様と弥生式土器」は皇国民族が古代に於て既にかかる優秀な文化を有し居つたことを示し、皇国民族の大生命の悠久に発展すべきことを意味したものである。
この手帳は学校で国民体力法に基づく体力検査を受けた際に市町村から交付され、携帯が義務付けられていました。1942年には国民体力法の改正で新生児を対象とする『乳幼児体力手帳』の交付も開始されましたが、戦後には児童福祉法の成立を受けて『母子手帳』と改められています。
『女性手帳』に対する反発の広がりは、政府が子育てに多額の費用がかかる現状に有効な対策を打っているとは言いがたい中で「国民の人生設計はこうあるべきだ」と言う理想を提示して女性にその責任を押し付けているように見えることに主な原因が有りますが、その点は『体力手帳』の発行目的が「徴兵に適合する人材の育成」であったのと根底の発想が共通していることはもっと注目されて然るべきでしょう。なお、国民体力法が帝国議会に提出された際は「国民体力管理法案」と言う名称でしたが、貴族院では“管理”と言う文言に対して「人を物扱いしている」と言う批判意見が出たため成立時には“管理”の2文字が削られており、公権力の国民に対する管理・統制に対する反発が時代を超えて共有される認識であった事実は非常に興味を引きます。
参考:島尾忠男(結核予防会顧問)「国民体力法」
http://www.jata.or.jp/dl/pdf/about/348_2012_09.pdf [リンク]
公文書に見る「國民體力法」と村(徳島県立文書館)
http://www.archiv.tokushima-ec.ed.jp/article/0007442.html [リンク]
旧国民体力法の条文(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318116.htm [リンク]