恋愛にはいろんなシチュエーションがありますが、”禁断の恋”や”障害があるからこそ激しく燃え上がる恋”というのは、いつの時代も王道です!たくさんの女性と関係しつつ、源氏が常に心のなかで想い続けた女性・藤壺の宮(以下、宮)。二人の関係はまさに王道。物語の核を貫く恋愛でした。
実は2回目、源氏と藤壺の宮、禁断の密会
初夏の頃、宮は体調を崩されて里帰りをしていました。源氏はめったにないチャンスとばかりに押しかけ、宮の女房・王命婦(おうのみょうぶ)に頼み込みます。しつこい源氏に命婦はついに根負け。帝妃で義理の母という女性との密会は、当然ながら許されることではありません。
母とも姉とも思い、子どもの頃から想い続けてきた最愛の女性。成長するにつれ、源氏の気持ちは抑えきれないところまで来ていました。宮の方でも、源氏は単なる義理の息子や、弟みたいな存在というだけではなかったのでしょう。
しかも、密会するのは、実はこれが2回目。宮は過去の一夜の出来事に苦しまれて、もう決してこのような機会を持たないと強く思っていたのですが…。
2人の会話は詳しく書かれていません。源氏は「あなたとこうしているのは、夢ではないだろうか。夢ならば覚めないで」。こんな関係になってもたおやかに気高く、馴れ馴れしく打ち解けない宮。間近で宮の惑乱する様子をみても、源氏は現実感がわきません。
「なぜこんな、非の打ち所のない人がいらっしゃるのだろう。残念なところが一つでもおありなら、こんなに苦しい恋をしなくてもすんだのに」。源氏にとって宮は、聖母や女神のように完全な存在、唯一無二の至高の女性です。読者からすると、具体的にどう非の打ち所がないのか、あんまりよくわからないのですが…。
源氏物語では肝心なシーンほどあっさり終わるお約束があります。このシーンも脳内補完しろと言わんばかり。その分、いろいろな現代語訳でフォローがしてありますので、読み比べるのも源氏を読む上での楽しみです。
短い夜が明け、別れの時が来ました。王命婦が源氏の脱いだ服を丸めて持ってきます。衝動のままに危ない橋を渡った源氏の性急さ。絶対に知られずに、源氏を帰さなくてはいけない命婦の焦り。なんとも生々しい描写です。
この密会は惟光も知りません。ひとりでどうやって来たのか謎ですが、誰かに知られたら宮も源氏も破滅です。源氏は二条院に帰宅して泣き続け、宮中にも出仕せず数日引きこもり。何も知らない父・桐壺帝は、きっとご心配されるだろうと思うと、罪の重さにおののかずにいられません。
さて、これが2回目なら、1回目はいつ?実は、はっきりしないのです。源氏物語の謎の1つです。
源氏物語は全54帖ということになっていますが、源氏誕生~12歳で元服後、いきなり話が17歳の夏に飛ぶ。その間に何があったのか詳しくわからない。宮との初めての密会もこの時期だと考えられますが、ごっそり抜けてるので前後と話がつながらない。そのためここを描いた幻の帖があったのではないか?という説が根強くあります。
最初から書かれなかったのか、何らかの理由で外されたのか、途中で消えたのか。そもそも源氏物語は54帖でフルセットなのか、もっと失われた帖があるのでは……と、いろいろと謎は尽きないのですが、想像をかきたてられるこのテーマについて、丸山才一氏や瀬戸内寂聴先生も作品を発表しています。
「夢なんかじゃない」妊娠発覚が遅れた驚きの言い訳
宮のもとに、宮中からの促す使いが毎日のように来ますが、彼女は戻る決心がつきません。そのうち体に変化を感じ、お風呂のお世話をする王命婦らも気づきました。あの夜のことは夢なんかじゃない。その証拠に、宮は源氏の子を妊娠してしまったのです。
すでに妊娠3ヶ月。帝には「物の怪のせいではっきりとご懐妊がわからず、報告が遅れた」ということにしてお伝えしました。物の怪って、言い訳に便利。
帝は大喜びでさらに足繁く使者を派遣。それもまた、宮には大変に心苦しい。季節は夏。つわりと暑さと罪の意識にぐったりし、すっかり弱ってしまいました。
その頃、源氏も奇妙な夢を見て、宮のお腹の子は自分の子だと感づきます。「ふたりの愛の証だ!宮に会いたい!!」。以前にもまして王命婦に食い下がります。若い源氏にとっては(公にはできませんが)初めての子であり、最愛の人との間に生まれてくる子。盛り上がっちゃうのも仕方ないのかもしれません。
一方、宮はそんな風に思えません。毎日お腹の中で大きくなっていく子は、自らの不倫の罪の罰。夫・桐壺院への裏切りです。でも本当は源氏を愛している……。妊娠というリアルな体の変化を通じて、常にそのことを意識せざるを得ない女性と、そうではない男性との温度差が感じられます。
日夜悩み苦しむ宮を側で拝見し、自身も罪の重さにさいなまれる王命婦は、源氏にどんなにせがまれても応じません。ただひたすら、「この世には、人のちからではどうすることもできない運命や宿命というものがあるんだわ」と、空恐ろしく感じています。
マザコンをこじらせた男、源氏が抱える心の闇
初秋の頃、宮はやっと宮中に戻りました。帝は妊娠中の宮を慰めるため、毎日、管弦の遊びを開きます。まさに『音楽の秋』です。連日の音楽会に源氏も駆りだされ、笛に琴に演奏をします。
つとめて平静を装っていますが、心は宮への想いが溢れんぱかりの源氏。その気持ちは時折、しぐさや楽器の音にも表れてしまいます。源氏の奏でる切ない音色を、宮も全身で受け止めながら、「それにしてもなんという運命なのだろう」。一層、沈んだ気持ちになるのでした。
宮は、源氏の亡き母・桐壺更衣のそっくりさんとして宮中にやって来ました。桐壺更衣が忘れられない帝は、ずっとその面影を重ねて宮を愛してきたわけです。少しお腹がふっくらし、つわりと苦悩にお顔がほっそりした様子は、以前にもまして美しく、比べるもののないように見えます。
源氏が宮を特別な女性と意識しだしたのも、「亡き母上にそっくり」と周りからすり込まれたのが始まり。その上に憧れ、思慕、障害などがプラスされて、この状態に陥っています。顔も知らない亡き母の影は、源氏の相当深いところに根ざしているもので、はっきりと自覚しないところが厄介。私は勝手に“マザコンをこじらせた男”、と呼んでいます。
紫の君を源氏がどうしても手に入れたい理由。それは宮と一緒になれない代わりに、あの子を宮のような女性にしたい!という思いから。宮にそっくりな紫の君は、もちろん源氏の母・桐壺更衣にも似ているわけですね……。
紫の君のエピソードに挟まれるように、藤壺の宮との密会が描かれ、源氏の心のなかに占める宮の存在感(と、潜在的な母への思い)の大きさを物語ります。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)