日本ではあまり認知されてはいませんが、海外ではアデルというシンガーソングライターが大ブレイクを果たしています。ネットが音楽ビジネスに及ぼした影響はあまりにも大きく、新しい技術や価値観に対する様々なアレルギー反応を含め、世界中の音楽業界はこの10年、混乱の時代を過ごしてきたと思います。そんな混乱期の中、1,600万枚は驚異的な数字ではあります。
既に周知されていることだとは思いますが、ネットが音楽ビジネスに与えた影響が何だったのかを、一応おさらいしてみます。ネットがダメにしたのは音楽の中身と言うより、著作権制度でした。厳密に言えば、著作権の中の財産権です。コピーは、それを大量に作る事が可能になった時点で(活版印刷技術が最初)、それを大量に販売して大量に利益を上げることが可能になったものなのですが、そうなればオリジナルを作った人がその売り上げの一部を請求できる権利が発生する、という流れで著作権制度は立ち上がりました。つまり、大量の金銭的な利益が発生しなければ著作権そのものを立ち上げる必要もなく、著作権が成立した当時、コピーそのものの是非に至っては作品が一般に普及していくのは歓迎すべき事、という認識であったそうです。オリジナルを作った人に不満が生まれたのは、結局お金の問題に過ぎなかったのです。
一方、ネットに発生するコピーは、コピーをした人が金銭的な利益を得ないものです。金銭的な売り上げの出ないコピーはその昔も普通にありましたが、それが安価で無尽蔵に流通してしまう所がネット以前の社会では起こり得なかった現象であり、それが著作権制度を混乱させた訳です。売り上げの出ないコピーなのですから、著作権本来の成り立ち(売り上げの一部を請求できる)から言えばお金を徴収することはできないはずなのですが、著作権を守る側は「権利者の意に反し、お金を払う事なくサービスを受諾した」なら「食い逃げや窃盗と同等」という観点で、ネット上のコピーを犯罪と定義し、裁判所もそれを認め、それがかなり厳密に取り締まられることになっていったのが、今のこの状況ではあるでしょう。
ただ、販売機会を喪失させられることに過剰に反応をし、例えばそれまで認められていたはずの私的利用権の枠を縮小させる(今まで許可されていた全く同じ行為を“窃盗”と定義するようになった)ことで、口コミに因る宣伝機会を大幅に失い、例えば日本では、既に名の知れた大物アーティストのベスト盤以外の新譜を世間様に認知して貰う機会の損失を招いた、等の様々な弊害を生んだと思います。社会からそれまで習慣として存在した新譜の認知方法を奪ってしまえば、ユーザーの方でも新たな認知方法を見つけるまでは、新譜が世間に認知して貰うまでには中々至らないことは、当たり前のことではあったと思います。日本では新人アーティストが中々育ってこない状況にありますが、過剰なコピー規制が全く影響していないとは言えないものはあるように思うのです。ネット上のコピーそのものも、そのコピーを規制する動きも含め、共に音楽産業の売り上げを落とす原因の一つに、確かになっていったと思います。これは音楽に限った話しではなく、出版や映画のような、今まで複製から大きなお金を徴収できた分野に於いては、全て同じ流れがあったりすると思います。
コピーを闇雲に違法だ違法だ、と騒ぎ立ててしまうと細かい話がかき消されてしまうのですが、売り上げが少ない分野ではコピーは犯罪とは認知されていない、という所に著作権の財産権の本質がある、ということを判断の基準として掲げておく必要はあると思うのです。つまり、コピー規制を緩和しても売り上げが現状より上がる立証がなされた方法があれば、コピー規制はやがては緩和もしていけるものである、ということは、もっと知られて良いと思うのです。平たく書いてしまえば著作権団体の“過渡期のアレルギー反応”は、実は「ある程度は仕方がないこと」という話しにもなるのだと思います。これだけの価値観の混乱が起きてしまった以上、これが治まるにはどの道、ある程度の時間が必要なのだと思います。
もちろん、音楽業界の売り上げ減少は、コピーそのものやコピー規制に、全ての原因を求めることはできません。大資本の誘発させた大量生産大量消費の後遺症等、他にも様々な要因が同時期に重なることで、音楽の売り上げを落としていっています。それらのことは、また別の機会に書こうと思っています。
ある意味、今のこの状況が人知の及ぶことを越えた部分も含めて起きてしまっている以上、変に物事を現状に最適化させることを考えるより、業界として売り上げは確かに落ちる一方なのですけど、今までと変わらず続けていかなければならない事柄も多い、ということなのだと思います。
昨年、世界で大ヒットしたアデルの『21』は、その“続けていかなければならない”ことを、忠実に守った音楽でもあったように思います。時代に即した方法論を探しつつも、音楽人として守りたい部分に妥協する事なく素直に自分の才能を表現した音楽の作り方は、とても70年代的だな、と思う部分が筆者にはあります。それはヒットの方法論を突き詰めていった90年代の音楽ビジネスの方法論とは、ベクトルの違う作られ方をしたものだと言えるものかもしれません。コピー規制や販売チャンネルの変化等、混乱した状況の中で大ヒットした音楽が音楽人として変わらず続けていかなければならないことを守った音楽であった、ということは、それなりに意味のあることのような気はしています。