凱旋門でもシャンゼリゼ通りでもエッフェル塔でもないPRISには何があるだろう。モンマルトルのアパルトマンを数日借り過ごした。
必要最低限の大きさとミニキッチンの付きの部屋では旅行というより住んで生活をするという感覚に近くなれる。
サクレクール寺院へと続く道
モンマルトルとはどんなところだろう、とほとんど情報も調べずやってきたので地図を見ながらとりあえず、という気持ちでサクレクール寺院を目指しどんどん歩く。ここは石畳そして坂道。寄り道も楽しいけれど、靴はクッション性のあるものが楽。
モンマルトルの丘へと続く道には古い店構えのBoulangerie(パン屋) やおいしそうなPâtisserie(ケーキ屋)雰囲気のあるFromagerie(チーズ屋)などがにぎやかに立ち並ぶ。途中おいしいバゲットのサンドイッチを買い、食べながら散策。
サクレクール寺院に到着
予想通り観光客だらけの景観。それぞれに記念写真を撮ったり音楽を演奏していたり。しつこいミサンガ売りに腕をつかまれ、”Non!”も”Arrête!(止めて)”も通じず、振り切るしかなく、げんなりする。
ただの観光地だと思っていた
さてさてどんなものかな、と中に入るとちょうどミサが行われていた。暗くて重く、荘厳で、修道女修道士たちの賛美歌は悲しく美しく、人々が強く祈る姿は痛ましく目に映る。なぜだかわからないけれど心が震え涙がこぼれていた。
私は今まで何かを信仰したことはなく、教会へ入る事もほとんどなかった。だから知らなかった、こんなにも強く祈る人々がいることを。
モンマルトル墓地へ
ただの観光地だと思っていた、こんなに震えるはずじゃなかった。
寺院を出たあと、私はじんじんした胸をかかえ、地図を見て気になっていたモンマルトル墓地までどんどん歩いた。
墓地の入り口は少しわかりにくい場所にあり、土地は大変広く、上には橋がかかっていた。信仰や神の存在について考えながら赴いたのが墓地だったのは意図していたことじゃなかった。
そこは暗く、華美に装飾された墓や小部屋のように扉の付いたもの、沢山の十字架を目にした。死者がここに眠っているというよりは、こめられた想いこそが幽霊なのだろう。
歩いていると、やたらとカラスが多いことに気づく。彼らは魂を運ぶ存在だと言われているけれど・・・
デュマ、ハイネ、スタンダール、ドガ、ユトリロ、などの著名人、そして私の好きな映画監督、フランソワトリュフォーともここで幽霊として出会える。
夜の顔
ゆっくり歩き回ったあと、日が暮れてきたのでそろそろ部屋に戻ろうか、とクリシー広場の辺りを歩いているとやたらとネオンが目に入る。あのムーランルージュだ。少し気になるが、料金がオペラと同じくらいだと知る。この通りはどうもアダルトなショップが立ち並ぶ欲望渦巻く風俗街のようだ。(エロティックミュージアムという場所もある)
お惣菜屋という選択
帰路、今夜の食事にCharcuterie Traiteur(惣菜や肉やハムなどが売られている店)で買い物をする。スーパーより少し高いけれど、そのぶんおいしく、レストランよりも安い。アパルトマンの便利なところは調理ができるということが大きい。そうして部屋で食事を終え、深い眠りについた。
この旅で出会ったのは
モンマルトルで何も計画を立てずに行動したはずが、なんだか導かれるように生と死と性に出会ったという不思議な旅になった。
もっと色々な出会いや物語を知りたくなったから、またきっと訪れるPARISに。
モンマルトルが舞台の映画
モンマルトル墓地に眠るフランソワトリュフォー監督の映画「大人は判ってくれない」は私の大好きな映画。辿ったわけではなく、後になって気づいたことだけれど、この映画の舞台はモンマルトルで、サクレクール寺院、モンマルトル墓地、クリシー広場、が出てくる。もう一度この映画を観たらきっとまた行きたくなる。
(文・写真・絵 yamamoto)