外務省の『海外安全ホームページ』を見ると、2014年10月1日付で危険情報は『十分注意』と記されている。南アフリカは行ったことはないが、最近メディアで着目されている曽野綾子氏の書かれた本は数冊読んでいるし、だからこそ曽野綾子氏の所謂問題発言もなんとなく理解は出来る気がする。
日本からもアメリカからも遠く離れたアフリカでも、アメリカに生活しているとアフリカは日本より身近に感じる。国連の近くに私が住んでいると言うこともあるだろうが、このあたりには世界各国の領事館が多く、アフリカ諸国の領事館に日常的によく出くわす。アフリカの国旗には赤、緑、黄色の鮮やかな色に加えて、アジアにはあまりみない黒が入っているものが多い。因みに赤は自由のために闘った殉教者の血の色、緑はアフリカの木々の緑、黄色は富と繁栄を、そして黒は黒人を示していると言う。南アフリカ共和国も、アフリカによくあるこの4色が入った国旗である。
さて、巷をにぎわす曽野綾子氏の産経新聞のコラム問題。日本が労働移民を受け入れる場合、南アフリカの事例を引用して『居住地だけは別にしたほうがいい』と主張した件で、まさか当の曽野綾子氏もその発言が日本のみならず、『ロイター』や『ウォール・ストリート・ジャーナル』まで飛び火して海外メディアに批判されるとは想定外だっただろう。
要は思っていても、いくら作家という商売であっても、心の中をそのまま文字にすることは避けなければいけないと思う。言論の自由は確かにあるけれど100%自由自在に心情を放出してしまえば、そこには必ず傷つく人が出てくるのだ。ましてや人種問題は相当取扱い注意の代物である。
アメリカではこの人種問題で今でも諍いが絶えないので、余計なことは例え口が滑りそうな人でも歯止めがきくようになっていると思う。そうでなければ暗黙のルール違反になってしまう。
私自身は日本人でアジア人でもあるので、黒人の差別される気持ちも理解できるし、白人の差別する側の気持ちも理解できる、丁度中間の人種に思っているが、その日本人がアフリカ系アメリカ人と言われる黒人の友人宅へ遊びに行ったことがあった。その地区はブルックリンだったが、黒人が住む地区はそれこそ見事に居住区があり、黒人ばかりが住んでいて、スーパーマーケットに立ち寄ってみたら、マンハッタンのスーパーではパスタ売り場にはテレビCMで流れる有名メーカーのスパゲティーや、多くの種類が陳列されているが、そこには全く見たこともない、またメキシコからの輸入品のパスタなどを見たので、かなりのカルチャーショックを受けてしまったことがある。ただ、その思いを友人に伝えることは出来ない、また必要はないのだ。
曽野綾子氏の今回のこの騒動を私なりに分析してみると、思想の近い産経新聞では人気作家のコラムはありがたくありがたく担当者が受け取り賞賛する。それに曽野綾子氏ももう80歳を超えた後期高齢者、いくら頭脳明晰とはいえ心の中に閉まっておくことを老害と言っては失礼だが、高齢ゆえタガが外れてポロっと出てしまったとも考えられる。
確かにキツイ一言を発する作家で、それが持ち味でもあるから支持もされるのだろうが、自分の発言により傷つく人がいる、傷つく国があるという配慮が飛んでしまっていたのかもしれない。また、大御所ゆえ赤ペンを入れられなかった産経新聞にも責任はあるだろう。もし、産経新聞が恐れずに原稿の訂正を求めたら、海外メディアまで巻き込んでの批判合戦にはならなかったはずだ。ただ、曽野綾子女史からは産経新聞には絶筆を言い渡されるかもしれないし、そうなれば系列の月刊誌『正論』への執筆もなくなるかもしれない。
問題は何もマスコミの世界だけでなく、日常茶飯事に起きている。ただ、そこで目を見張らせるキラっとした厳しき判断を誰かが勇気をもってしなくてはいけないのだ。袂を分かつくらいの勢いで、コラム自体に問題が生じることは誰かわかっていたであろうから、掲載紙側はそれを行動にだすべきだった。
言論の自由、自由ゆえの不自由があるのが悲しいくらいの事実なのである。
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