『「ついていきたい」と思われるリーダーになる51の考え方』という、かつてスターバックスのCEOであり、いくつかの会社社長を経験した元日産自動車営業畑出身者の本を読んでみた。著者は岩田松雄氏で講演会に出るとあまりにも『普通のおじさん』なので逆に聴衆の反応がオモシロイらしい。
その普通のおじさんの岩田氏は人から推されて今まで数社の社長職を経験してきた、人格者的な経営者で、私自身もそういう経営者を尊敬する。だから、この著書に同意する点も多かったし、人を蹴落としてまで前に進もうとする浅ましさがないところに清々しさを感じていた。
ただ『どうかな?』と思った点が一点あった。本の中に質問形式でエレベーターに乗る場合、先に『閉ボタン』を押して次に『行く階数』を押すのと、その逆の『行く階数』を押して、次に『閉ボタン』を押すのとでは、どちらが効率的だろう?とあった。
答えは閉まるボタンを押して、行き先ボタンを押すと〇・数秒早くなり、これが積み重なっていくと、数分になり、やがて数時間になり、何日にもなると書いてある箇所で、一旦目がテンになってしまったくらいだ。
人それぞれの考え方があるから、それはそれで構わないとも思うのだが、エレベーターと言う狭い限られた空間で〇・数秒早く目的階数に行けること、そしてその時間が後に大きな時間となるとあるが、それだけ効率にこだわることで、場合によってはエレベーターのボタンを焦って押しているような動作をしているかもしれないし、狭い空間の中での〇・数秒節約により同乗者がいたら周りをピリピリさせてしまうのではないだろうか?
こんな気持ちになるのには十分理由があるのだ。最近テレビにまた引っ張りだこになっているヒロミは、充電期間中に『置かれた場所で咲きなさい』と言う名著を読んで感動したとテレビで言っていた。実はその本の中に著者でシスターの渡辺和子氏は『エレベーターに乗っても”閉ボタン”を押さない心のゆとりを持つこと』を教えていらっしゃる。
どちらが正しいか?いや、この場合はどちらに賛同するか?と世間の反応が気になる。
もし成熟した人が答えるとしたら、どちらも正しいと言うかもしれない。或は『逆もまた真なり』と言う言葉を引用すれば、両方見事に正解になる。
考え方に柔軟性をもつことで、生き方は楽になる。〇・数秒の効率を考えなければいけない立場にいる人は、その時間の稼ぎ方に夢中になればいいし、またそれを好まない人は、ゆとりの気持ちでエレベータ―の閉ボタンを押さなければいい。
いずれにしても世の中は両極端の出来事を受け入れることで、人間としては大きくなれるし、柔軟性ももてる。
例えば、世の中金ではない、でも金であるとも言えるし、人間見た目ではないとも言えるし、いや見た目でしょう!と言われればどちらも正しい。
世の中にはいくつもの考え方があり、賛否両論すべて受け入れられる柔軟性をもつことで、心に平安を保てるのかもしれない。