太古、人類に宿った英知は職業分化や健康をもたらし、狩猟と休息を繰り返しその日暮らしに追われる獣にはない、文化的な余裕を生み出した。獲物を備蓄し富が生まれ、そうして得た死の危険からの距離は、嗜好という概念をまた生み出し、やがてそれは娯楽へと進化した。人々は、それまでのただ生き残るためにだけ費やされた時間を取り戻し、それぞれの人生を楽しむ術を身につけたのだ。
“ゲーム”は、昨今における娯楽の代表として挙げられるであろう。紀元前の歴史に現れた神々をかたどる古代のカード遊技から、現代の美麗な3D映像大迫力音響アクションに至るまで、ゲームという娯楽が我々の生活に深く根を下ろして久しい。
人が、生理学的な意味において“生きる”ためには、本来必要のない概念であるはずの“娯楽”と、そしてその代表例“ゲーム”。
ゲームをプレイしている人々に、それを楽しいと感じさせる仕組みとは一体どのようなものであろう。今回は、プレイしているだけではなかなか見えることのないゲームの舞台裏へ迫ってみたい。
ゲームメカニクス
嗜好品において、例えばそれがお酒ならば、極端に表現すればそれは“飲んでうまい”と感じた時点で、嗜好としての第一フェイズは完了している。ゲームにおいても基本的なルールは同様であり、プレイを開始してからの時間、それは数分間かもしくは数週間に至るかもしれないが、ある一定の時間を夢中に過ごすことができればやはり娯楽としての第一フェイズが完了する。お酒を造り出す方々にも、筆者のようなゲーム制作者においても、まずはこの“ふと夢中にさせる”という第一フェイズを上手に提供できなければならないわけだ。
ゲームにおいて、この第一フェイズを構成しているものとは、言わばそのゲームのルールであり、これは昨今、“ゲームメカニクス”と表現される。
ゲーム黎明期より我々を楽しませてくれている、小さな主人公が画面を横へ横へと快走し、谷を飛び山を越えながら敵を倒していくようなアクションゲームを例にとり、このゲームに組み込まれた代表的なゲームメカニクスを挙げてみよう。
・横画面で重力がある(基本ルール)
・ゴール地点への到達(目的)
・画面下を“奈落”とし、落下するとペナルティ(ネガティブ要素の演出)
・敵キャラクタに触れるとペナルティ(ネガティブ要素の演出)
・敵キャラクタに“上から”触れると、討伐(ポジティブ要素)
・床を下部から突き上げると、その上の敵を討伐できる(ポジティブ要素)
・パワーアップアイテムで一定時間無敵(ポジティブ要素)
・パワーアップアイテムで巨大化(ポジティブ要素)
こうして列挙し眺めてみても別段不思議なものには映らないかもしれない。どのゲームを例にしてみたとしても大抵はこのようなことの集まりであろうし、それでは単純に特徴を並べてみただけなのではないかと思うかもしれない。
しかし、面白いゲームというものは、この段階から既にその成立の兆しを見せていることが非常に多い。
このロジックにおける基本的な仕組みは単純だ。“シンプルなルールと目的”の上に、“幾つかの障害”を設け、“それを上回る解決策”を用意し提供する。これがゲームにおける基本的な舞台作りであり、すなわち“ゲームを作る”ということである。ルールと目的はシンプルな形が望ましいとされることが多い理由として、そうした形はユーザーに受け入れられやすく、また理解しやすいという傾向がある。そして、ゲームというコンテンツを形作るうえにおいて“障害”は必須であるが、それを回避し達成感を得られる手段は、障害そのものよりも多く存在していることが大切である。危険とそれを能動的に回避し進行する快感を同時に与えることが言わばゲームを提供するということであり、その際に、ユーザーが有利となり快楽を得られる選択肢は多い方が良い。
山のように敵が現れ、理不尽な攻撃を繰り広げるが、自分にできる行動は逃げるだけ……一般に、そういったゲームが多くの人を満足させられることは希である(註:そういった形で楽しいゲームも、もちろん存在している)。
素材の下ごしらえが済み、基本的な調理が終わった後は味付けだ。
・ジャンプの軌道をある程度制御できる(拡張ルール)
・ダッシュ状態ならば、小さな谷は走り抜けられる(拡張ルール)
・倒した敵が他の敵に接触すると、連鎖討伐(拡張ルール)
上記のような“深み要素”で彩ることにより、プレイの幅を広げることが可能となる。これは、ユーザーに対し心理的な多数の選択肢を埋め込む仕組みである。目の前へ敵が飛来し、そしてまた足下には小さな谷がある等のように、そのプレイ中において毎秒繰り広げられる小さな危険に対し、もともと潜在的に強制している選択の幅を適切に広げてあげることが楽しさの深みへと繋がるわけだ。
このうえで更に。
・4エリアをクリアすると、ステージが1つ進む演出
・二人同時に協力プレイができる
こうした一手間でスパイスを加え、素晴らしい料理が完成する。
日本においてももちろんだが、特に欧米等ではゲーム制作の企画段階に最重要視される点として、このゲームメカニクスを挙げるゲームメーカーが以前よりも更に増えてきている。美麗な映像や重厚なストーリー、魅力的なキャラクター、圧倒的な世界観、参加している豪華なスタッフや声優俳優陣、それらを全て二の次としたうえで、ゲームメカニクスこそが何よりも重要な点であると位置付けているのだ。
むしろ、そういった付加要素はせっかく築き上げられたゲームメカニクスを崩す恐れすらあり、導入が慎重視されるほどである。
時をさかのぼり、『ファミコン』と出会った頃の純粋な目で見ればこれは当たり前のように感じることであろうが、昨今、危うく忘れ去られようとしていた大切な要素でもあったわけだ。
あなたが好きなそのゲーム、その楽しさの秘密とは、その楽しさの仕組みとは一体どのようなものであり、どのように組み合わされているのだろうか。
仕掛けを施した人々が、その制作時にきっと感じていたであろう心の高揚に、ふと想いを馳せてみるのもまた一興であろう。
余談だが、嗜好品であるお酒においては“飲んでみてうまかった”。ゲームにおいても“楽しかった”と表現したそれぞれの第一フェイズの先。このフェイズの次には何が待っているのだろうか?
嗜好品や娯楽品においても、この第一フェイズを高い評価で完走すると、それらのコンテンツには次なるフェイズ獲得の栄光が与えられる。
第二フェイズ。それは、“中毒性”だ。
深く何かを楽しめるということは良くもあり悪くもあるが、お酒もゲームもやり過ぎは健康を害する恐れがある。節度を持って楽しんでもらえれば幸いだ。
画像:東京ゲームショウ2011公式サイト より
http://tgs.cesa.or.jp/index.html