憲法9条にノーベル賞ほしいは違和感あり

  by mkw59  Tags :  

 先週の新聞紙上は、今年のノーベル賞決定のニュースで沸いた。物理学賞には日本人科学者3氏が受賞し、日本中が盛り上がった。また、平和賞の一人に、パキスタン生まれで17歳のマララさんが選ばれたことは、彼女が経験してきたこと、活動してきた多くのことに心から感動させられた。これぞノーベル賞にふさわしいと、誰もが納得した結果ではなかったかと思う。
 一方で、10月11日付の朝日新聞天声人語に、「憲法9条を保持する日本国民」が選ばれなかったことについて、「粘り強く続ける値打ちのある挑戦ではないか」との記事があった。「戦争の放棄」を唱えた憲法第9条があることに何ら異存はないが、それだけでイコール日本国民がノーベル賞を受賞するにふさわしいかと言えば、私は違和感がある。日本の主婦が呼びかけた市民運動がきっかけで、44万人の署名を集めたということだが、「ノーベル賞を下さい」と言って受賞するようなものではないだろう。署名ではなく平和への具体的な活動と貢献があってこそ、国際的に評価され選ぶ側が認めることに繋がるものであると思う。平和慣れし、ぬるま湯の中に浸かっているような日本のレベルは、マララさんの活動に比べたら足元にも及ばない。朝日新聞の誤報が一因で関係を悪化させた韓国などから見れば、「日本が平和賞をもらえた義理か」ではないのか。
 「平和を守るため、第9条を守るために必死で活動している人はいっぱいいます」と言うかもしれない。もちろん、平和を願う気持ちは同じであり、私自身も改憲論者ではなく、むしろ護憲の立場ではある。しかしながら、改憲論者は平和を望まず、戦争をしたがっているとも思わない。護憲と改憲の議論は、そんな単純なものではないだろう。要するに、朝日新聞や「9条、9条」と苦情を言っている人たちから、自分たちが平和を守る専売特許であるかのような言い方をされるのは、納得がいかないし不愉快なのである。

新聞(特に朝日新聞)のコラム(天声人語など)や社説の批評をしてみたいと思います。