2月11日は建国記念の日である。しかし、この祝日、他の祝日と比べて実に影が薄いのだ。
その理由としては、「建国記念行事は明治時代に出来た新しい行事と誤認されており、昭和20年の敗戦時にGHQに禁止され、その後、復活したが、反対が根強い」といういささか微妙な立場の祝日だからである。
由来についてマスコミや政治家が相次ぎ誤報?!
今年の2月11日も、反対するマスコミや政治家から事実誤認の発言が相次いだ。
結局、日本の古代史について既存のメディアはよく知らないのである。
知らないままに「建国記念日なんて、明治のでっち上げ!日本書紀や古事記は架空の物語!軍国主義復活を許すな!」と叫んでいるのだ。
むしろサブカルチャーのほうが、まじめに古代史を扱っており、ゲーム「東方Project」に古事記ネタが有ったり、日本書紀などの日本古代史を正面からとらえた、ガンダムで有名な安彦良和のマンガ『ナムジ』『神武』の方が、マスコミや政治家の発言よりも遥かにまっとうである。
ところが、冒頭の画像の「蓬莱祀」(ほうらいし)という祭りは、1500年前から福井県でこの時期に行われており、継体天皇をたたえる祭だという。
一体、明治時代の捏造とマスコミが叩いているにもかかわらず、1500年前に期限を持つ祭りが建国記念日に行われるというのは一体どういうことなのか?
ずばり、2月11日は神武天皇即位の当日、紀元前660年1月1日、つまり旧正月元日だった!
そもそも、なんで2月11日という、実に中途半端な日が建国記念日なのだろうか。経緯は簡単である。
実は日本建国を記した歴史書・『日本書紀』に、神武天皇が「紀元前660年旧暦1月1日」に、大和国(現在の奈良県)をほぼ平定して即位したと書いてある。
明治時代に、この「紀元前660年旧暦1月1日」を単純に太陽暦に換算した所、その日が2月11日だったというだけの話である。
事実、2月11日付近はちょうど旧正月になり、現在でも中国大陸・台湾ではこの時期に盛大に正月を祝う。
そして、福井の「蓬莱祀」も、ご当地出身の継体天皇を称える意味で、旧正月の時期に1500年前から行われていたのだった。
まつりが盛んになったのは、江戸後期に日本古代史がブームになり、知識人の間で「邪馬台国ってどこだろうな?」という話題がホットになったり、民衆が「幕府が頼りにならない時には、伊勢神宮や京都の皇居に行けばいいべ。古代からの神さまだもん」と伊勢参り・京都御所参りがブーム化したこともあったとされている。
この他、各地で修験者の護摩焚き行事も古くから行われた。修験者は神道と結びつきが深く、神社の神主を寺に招いて護摩を焚いたりしているので、これも建国記念日=旧正月の祈願の意味のようである。
GHQが建国記念日を廃止していた。それ以降マスコミで誤報が拡大。
ところが、戦後、戦前の教育がGHQにより全否定された時に、
「オー、建国記念日?日本書紀?!ノー!!ソレ、神サマの話ネー!歴史事実ジャナイ!祝日?何ヲ言イヤガリマスカ?!ダイタイ日本の神さまカミカゼアタックとか特攻とかヨクありません。軍靴ノ音ガ聞コエールネ!廃止デース!!」とGHQが決めてしまった。
一度決めると、記者クラブで言論統制をされ、新聞用紙も渡さないと脅されていた新聞各社は一斉にそれになびき、屁理屈をこねくり回してGHQにペコペコと頭を下げ、「ハイ、仰るとおりでございます!我々の新しい神さまはマッカーサー元帥様です!」などと言い出した。一時期は、本気でマッカーサー神社を建てようとしていた(マジである)。そして未だにほとんどのマスコミは建国記念日を認めない。
だから、以下の様な誤報が平気でまかり通っている。
・日本書紀は古来からの神話・伝説の聞き書きだ。いわばネタだ。
ネタを元に祝日を祝うなんておかしくね?
・GHQの言うとおりだ。軍靴の音が聞こえる。廃止すべき。
・日本国は元々中韓が作った国だ。
桓武天皇のお后も韓国人だったじゃないか。
だから中韓との関係改善の日にすべきだ。
・大体紀元前660年なんて、邪馬台国(西暦230年頃)よりも
遥かに前じゃねwwネタとしてもバカじゃねww
結局、これまでのマスコミは古代史について十分勉強せず、勘違いして平気でこういう報道を続けていたのである。
これも理由は簡単だ。
記者クラブで誰かがいったことを裏とりもせずにコピペしまくっていたからだ。
残念ながら上記の話はすべて古いか間違っているのである。
小沢一郎「桓武天皇のお后も韓国人」
まだマスコミならいいが、生活の党の小沢一郎代表のように、本気で「桓武天皇のお后も韓国人」などと建国記念日の講演で言い出す人がいるのだから困るのである。
生活の党の小沢一郎代表は11日、都内で講演し、皇室と韓国の関係を引き合いに日韓関係について、日中関係とともに「非常に異例な状況になっている」と述べた。だが、事実誤認が相次ぎ、説得力を欠いた。
小沢氏は「紀元節(建国記念の日)は神武天皇のご即位なさった日だ」と述べた。その流れで「桓武天皇のお后は朝鮮半島の百済の王女様とのことだ」との認識を示した。
「今の天皇陛下がお話しになったことがある」と根拠に挙げ、「半島との縁は誰も否定できないほど」などと述べた。(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140211-00000551-san-pol
※桓武天皇のお妃とお母様を小沢氏は混同したらしい。お母様の高野新笠姫は確かに百済王家の出だが、百済から日本に帰化したのは高野新笠姫の6代前の話しである。クォーターとも言えそうにない。
以下に、マスコミ報道のどこがおかしいのか、述べていきたい。
1,日本書紀は語り部の起こしではない。マスコミは古事記と日本書紀を混同している。
古事記は確かに、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)の語った神話・伝説を太安万侶(おおのやすまろ)がテキストに書き起こしたものだ。
しかし、日本書紀は古事記と大幅に内容が異なり、色々な文献を元に書きなおして完成している。
実際には、日本書紀は「まとめサイト」に近い構成になっている。
余談ながら、古事記の伝承者・稗田阿礼は巫女さんであったという古来からの説があり、柳田国男なども同調していた。ゲーム「東方Project」に登場する美少女の巫女・稗田阿求は、恐らく稗田阿礼巫女説を下敷きにしている…のではないかな?
(東方シリーズの美少女巫女『稗田阿求』のイメージ検索結果。まさか稗田阿礼もこんな美少女だった?!)
2,日本書紀は「古代からの神話伝説」などを元ネタにしてない。
もちろん氏族から出された史料はあったが、日本書紀の編集方針として、当時中国で人気があった『後漢紀』(正史『後漢書』『三国志』を、他の史料を追加して袁紹の子孫・袁宏が年代順に書き直したもの)を真似ようというものがあったと山本健吉氏は考えている。
だから、古事記に加えて中韓の史料(正史『三国志』・『百済本紀』など)も含めて、大量の歴史書が日本書紀にはぶち込まれている。
なぜ『後漢紀』を真似ようとしたのか?答えは簡単である。中国人に見せて、外交交渉時に「我が日本国はこんなにすごいのですよ!他の国と一緒にしないでくださいね!」というためのプレゼン用資料だったからだ。 だから、古代日本語(変体漢文)で書いてある古事記を、中韓の史料を取り込んで、わざわざ全面的に書きなおしているのである。
歴史上の人物のコメントも、『三国志』などを真似て書きなおした形跡がある、と森博達氏は考えている。
たとえば、継体天皇の即位時のコメントも、『三国志』の呉の孫権の子、孫休が即位した時のコメントをソックリ真似している(日本書紀の筆者はまだ漢文に未熟だったために、三国志とくらべて文法の誤記があるという)。
またまた余談だが、日本書紀が日中韓の史料のコピペだと初めて見破ったのは尾張藩書物奉行・河村秀根親子で主張は労作『書紀集解』にまとめられた。そう、名古屋市長河村たかし氏のご先祖である。
日本書紀の年代いじりは、中国皇帝のウケ狙い?!
3,紀元前660年という邪馬台国より大幅に古い年代なのはちゃんと理由がある。
当時中国で流行していた陰陽道の一種「讖緯(しんい)説」に基いているのである。これは私の師匠の一人、ある日本古代史家に聞いた話しだ。これは結構面倒くさい説明がいるのだが、簡単にいえば、紀元前660年は陰陽道では特別な革命の年であり、その年に建国したと説明すれば、当時の最新の科学である陰陽道をちゃんと日本人は理解しているということになり、中国人から見て非常に感動するパフォーマンスが出来るのである。
事実、この話を聞いた中国・宋の皇帝は感激し、「スピーチを聞いて大変感動しました。日本って天皇家が太古から続いていていいですね」といったという。(『宋史』)
ということは、その年に合わせるためにすべての年代をさかのぼらせているので、その部分を取り除けば、ちゃんとした年代が出るはずである。
そういう研究も現在では出ており、古代史の大家・安本美典氏は、
『魏志倭人伝』のいう邪馬台国は、『古事記』・『日本書紀』のいう高天原の話とほぼ符合するし、卑弥呼に近い人も出てくる(これはほぼ通説)ので、「邪馬台国のあとを引き継ぎ、西暦280年頃、神武天皇(もしくは崇神天皇)は倭国を建国したのだろう」としている。安本氏の説は大同小異はあるが、だいたい今では通説になっている。
日本には古代からのちゃんとした歴史があり、マスコミをよそに学界での研究も進んでいるのだから、マスコミにも正確に伝えてほしいものである。
参考文献:
森博達『日本書紀の謎を解く』中公新書
福永武彦訳・山本健吉解説『現代語訳 日本書紀』河出文庫
家永三郎他校訂『日本書紀』岩波文庫
堤堯『昭和の三傑』集英社文庫
安本美典『邪馬台国の会』公式ホームページ
(画像は越前市観光協会http://welcome-echizenshi.com/event/2014/02/oraishi.php
及び、google『稗田阿求』の検索結果より」)