人が離れる街に住んで…

  by あおぞら  Tags :  

 ニューヨークからLAに移住した友達をかつて訪ねた時、「よくニューヨークで生きていられる、離れてみて凄くストレスフルな毎日だったことが分かった」としみじみ言われた。住み続けている私にはその自覚がなかった。その友人とも音信不通になった。数年前、電話してみても電話番号は既に使われていなかった。アメリカは移動の国なので寂しいけど当たり前のことだった。

 さて、時は幾年月経過し先月数年話をしていなかった友人と話がしたくなった…と言うより、意見を聞きたくなったので自営業の彼女のホームページを検索して電話をすると電話応答なし。イヤ、3回呼び出し音を鳴らして切ってしまい留守電にも残さず。もし、折り返しがなかったとしても、それはそれとしてよしとしようと思っていた。

 夕刻、電話が鳴った。友人が折り返しをくれた。弾むような声に元気をもらった。聞けば運動がてらの散歩中と言う。そして「フロリダなの」、驚くことに昨年移住してもう1年近くになると言う。

 携帯電話番号はニューヨークのままだから、まさか電話の声がフロリダからとは気が抜けそうになった。聞けばニューヨークの働きづめの生き方に疲れを感じ始めた頃、フロリダの友人から「来れば?」と誘われ、そのまま移住を決めたという。行動的な彼女は日本に本帰国し、またニューヨークに戻って来たという強者。だから、ニューヨークからフロリダ移住もなんなくこなしたと思うけど、それにしてもアッパレの決断&実行力である。

 LA在住の尊敬する知人とお電話で話した時、「ニューヨークは人がいなくなる」と仰ったが、まさにその通りでコロナ禍で他の友人は日本に本帰国された。荷物の多いご夫妻だったので引越しも大変だったと思う。処分するのが殆どだろうが、それにしても海を越えての引っ越しは心身ともにお疲れだったと思う。

 フロリダ移住の友人とは先月に連絡を取り合って以来、メールや電話を頻繁にしている。彼女の行動力から受ける刺激や、自分の生き方について考えるようになってきている。人が去るニューヨークにいると”残された感じ”になるのはどういう心理なのだろう? 専門家に分析して欲しい位だ。

 移住後の彼女の生活は充実していると言う。住まいはモービルホームと言われる大きな工場で組み立てられた移動可能な家を購入し、ミニマリストの暮らしを楽しんでおり、学校で授業を受けたり、スポーツジムで水泳を始めカナヅチだったのに1000メートルを毎日泳げるようになったと、彼女らしい目標設定し実行する前向きな生き方をされている。

 ここで私はまたもや”取り残された感じ”なのだ。友人のヒョイと環境と気温の全く違うフロリダ移住は尊敬するし誇らしいし嬉しい。その気持ちと同時に自分が乗り遅れた気持ちになるのだ。友人は私にフロリダ移住を薦めるが、私はアメリカには珍しい車なしの生活が可能なマンハッタン住まいなので運転免許はない。過去、アメリカの免許を他州で取ったことはあるが、ニューヨーク州に戻った時にその免許を切り替えることなく免許更新日を過ぎて免許は失効した。もし、免許があったとしても車の運転は不向きで特にアメリカは恐い。

 私のような気持を持つニューヨーカーも実は多いのではないかと思っている。他州の方から見ればニューヨークなんて息が詰まるような生きにくい都市だけど、そこの街に住み続ければこれが生活の基準になり、他州を訪れるとのびやかでいいとは思うものの、生活の場所とは違う気がするのだ。

 いろいろ思い悩むけれど、結局、住む場所はそれぞれの事情の上で成り立っているような気がする。さて、これからどうなるのやら❓自分の居場所はそのままで、友人がニューヨークを離れていくのに気持ちが揺らいてしまうのだ。

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