[出典:首相官邸]
2023年5月22日に「広島G7サミット」に電撃サプライズ合流したウクライナのウォロディミフ・ゼレンスキー大統領は、同年7月に平和サミットを開く和平案を広く国際社会の首脳らに提唱した。G7では新たな対露経済制裁をかけると公表し、ロシアの侵略戦争を潜在的に助長することになると見られる産業機械やそれに類する道具ほか、技術。並びにロシアの歳入となる鉄鋼やダイアモンド貿易の輸出に規制をかける方向で一致。G7参加国の首脳らは「ウクライナに対する我々の支援は揺るぎがないものである」とする声明を出した。
2022年2月24日に始まった「ロシアのウクライナ侵攻」から既に一年以上が経過しているが、その戦況は激しさを増すばかりだ。
実はロシアのウラジミール・プーチン大統領の演説をよく読んでみると明確に「イラク戦争」に言及している。
イラク戦争のような「国際法」を無視した先制攻撃による「侵略」。米国の脅威に対抗するウクライナの軍事作戦はやむを得ないものだとして、プーチン氏は「イラク戦争」を「ウクライナ侵攻」の正当化に使っている。「国家領域」とクリミア半島少数民族タタール人など「自国民の保護」と「国家領域」を建前に正当化を図った「ウクライナ侵略」は無論、実際には正当化できないが、プーチン氏が攻撃に打って出る口実を与えてしまったことこそが大きな間違いだった。
20年前に「イラク復興人道支援のために」と建前では大義を掲げながら、日本国民に自衛隊がイラク戦争の現場で一体何をやっているのか、全く知らせない。それどころか、日本政府自体も真実を把握できていないことまであるという。過去の2度の大戦後の「侵略戦争」を強行したターニングポイントの一例としてのイラク戦争。中でも「国連決議」不在の問題は検証と反省の過程を経るべきであり、その構図は「イラク戦争」と「ウクライナ戦争」と全く同じである。
状況として合い通じるのは、国連安保理議長国が紛争当事者の「侵略国」である米国(イラク戦争中)、ロシア(ウクライナ戦争中)にそれぞれローテーションが回ってきたポストに就いていることである。
「武力不行使原則」に基づいても、あらゆる政治的外交的努力を尽くしてもどうしても解決できない場合、極論の最終手段として踏み切る「武力行使」は、「人道目的」の達成に比例しなければならず、国際法に合致して実施されるべきであるとされた。そして実際の「人間の苦痛の規模」が軍事行動の危険性を「正当化する」のである。冷戦後の国連の実行として安保理の強制行動の対象となってきた人道法違反との結びつきが明示され「平和に対する脅威」概念と「人道主義」が相互に重なり合うようになった。
「停戦協定」や「休戦協定」が結ばれなくなったり、結ばれたとしても破棄されることによって最終手段の武力行使に訴えることは、「国連憲章6章半」および「国連憲章第51条『自衛権』」、「北大西洋機構条約(NATO憲章)」第5条「相互防衛」の「集団的自衛権」行使発動の国際法的根拠とするものである。
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<リード>
【1】なぜ今、イラク、「非暴力行動」なのか?プーチン氏は「イラク戦争」を「ウクライナ侵攻」の「正当化」に利用している
【2】「1991民衆の放棄(インティファーダ)」の記憶は「人民動員機構(PMU)」の存在を「祖国防衛組織」として正当化
【3】銃乱射でデモ隊一気に死亡 泣きながら丸腰で金曜デモ続けるも政府軍集中空爆し部族長がついに武器を手に
【4】「多国籍軍航空作戦指揮所(CAOC)」下にあった陸上自衛隊が「諜報工作員」としてスパイ敵視
【5】20年前の「いつか来た道(=イラク戦争)」を繰り返さないように…ウクライナ戦争、台湾海峡有事
【6】戦争の煽りで問われる国防の「本質」と自衛隊「軍拡」の危険性
【7】イラク戦争から20年かかった「観光地」として復興の兆し
【8】民間でありながらイラク現地の人たちを助ける活動をしてきたNGO・エイドワーカー・市民活動家
【9】ウクライナ停戦合意の「導」となるか?武力不行使「国際共同体」
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【1】なぜ今、イラク、「非暴力行動」なのか?プーチン氏は「イラク戦争」を「ウクライナ侵攻」の「正当化」に利用している
2023年3月18日、「イラク戦争20年を振り返る上映会とシンポジウム」を主催した「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」の志葉玲事務局長は「これからの未来を背負っていかなければならない若者が、もはや生まれる前にあった戦争で全く知らなかったり、知ってはいても「風化」している。『ウクライナ戦争』や『台湾海峡有事』で「戦争」というものが身近な現実として大衆にも恐怖や意識が高まっている。人々が忘れかけていたとしても、戦争の影響は色濃くあることをきちんと認識し、このままでいいのか?と反省と検証を繰り返し、次の世代にも残す課題を発信していくことは非常に重要だ。イラク戦争で殺された家族などの遺族にとっては何年経とうが過去は消せるわけではない。」と戦争の恐ろしさと人間の生存権の相克を噛み締めるように、会場に詰めかけた若手世代に語りかけた。
[出典:「イラク戦争検証を求めるネットワーク」]
志葉玲氏はベテランの域に入ってくる戦場ジャーナリストのキャリアを持っているが、その起源は「イラク戦争」の反戦行動「人間の盾」として戦地に赴いたことが知る人ぞ知るスタートである。
実は「広島G7サミット」には「核軍縮」以外にも重要な政治的イシューに「民衆の蜂起(インティファーダ)」で闘い抜いてきたグローバル市民らが、ウイグル強制連行やミャンマーの軍事クーデター反戦アクションなどの社会運動に集う場でもあった。
2022年2月24日にウクライナ侵攻を契機としてロシア国内でしばらくの間、頻発した「大衆のデモ抗議運動」が盛んになった。一見、政府の大量動員令はロシア市民を死に体へと追いやったように思わせた。だが疑問なのは、プーチン氏の支配の強力さについてだ。ロシア連邦共和国間でこのウクライナを巡る戦争が育みつつあることに反体制派が明白な暗示を示されている。
大衆の反対派は疑問の声を上げる。これら今現在も進行中の事例として、いつ、いかに独裁政権に対しデモ抗議隊が実際成し遂げた結果とは何か?と。
インドのマハトマ・ガンジー氏の系譜を受け継ぐジーン・シャープ氏が提唱する「非暴力行動」論がある。いわゆる学歴を重視する研究者的なアプローチではなく、抑圧され弾圧されている市民のための具体的な抵抗運動の行動戦略の教えが説かれている。特徴は①抗議・説得、②非協力、③介入の三原則だ。
[出典:坂本ひろし日本共産党富山県書記長のページ]
グローバル民主主義活動家で研究者のスラッジャ・ポポヴィック(Sradja Popovic)氏は20代の頃、「Otpor!(抵抗!)」の創設者となった。その学生運動は重要な鍵を握る役割を果たす、セルビアの指導者(セルビア共和国大統領)スロボダン・ミロシェヴィッチ(Slobodan Milosevic)氏を2000年に政権転覆まで追いやった。ポポヴィック氏はそれだけ大規模なデモ隊を組織した。そして次に「応用非暴力行動と戦略センター(Center for Applied NonViolent Action and Strategies :CANVAS)」の形状に運営を移行させた。「CANVAS」は米国の外交政策(イラク戦争)を批判。非暴力を用いた抵抗も「策略」に基づいて訓練し、自分のものにしなければならないと説いた。
人々は自らに値する政府を手にしている。他者を暴力で傷つけることなく社会や国家の支配体制や構造的暴力に対抗していくために民衆が蜂起する時に身につけるべき建設的な技術を要するとし、自治は自助努力を通して自分自身を解放しなければ成功しないと定義する。
この組織は世界中から24の諸国に散在している民主主義活動家を支援し、訓練を提供してきたものである。Zoomでノルウェイのオスロからポポヴィック氏は議論した非暴力運動の効果を生む戦略とは、なぜ、プーチン氏が弱体化しているように見えるのか?またなぜ「気候変動運動」が民主主義活動主義の未来を決めるかもしれないのか。
ポポヴィック氏はインタビューに答えている。
[出典:TED TALK] [出典:CANVAS ロゴ]
かつての古いディベートと違って、私は常に「技術」が重要だと考える立場に立ちます。何が重要かと聞かれれば、運動は戦略を練り、需要を明白にし、圧政を維持することができる組織を構築ことができる。この問題は「条件」以上に重要だ。あなたは社会変革のために世界で全ての最良の条件をもたらすことができる。弱体化した政府、経済の失速、国際的孤立、教育を受けた中産階級。しかし未だ運動が失敗したようにしか見られないのは、ジンバブエとベネズエラで見られるような民主化への試みだ。なぜなら、両国共に「(民主化運動の)技術」が欠けていたからでしょう。
―――明白に世論が重要となるのは、独裁者がその政権運営を延命させているとしたら、民主主義の中で同じ役割を担わせないことだ。だからいかなる運動が政府の政治的変化に影響を及ぼすことができ、どのようなメカニズムなのか?かなりの範囲で市民が考えていることに注意を払う必要はないと考えている。
重要なのは、いかなる集団であっても、変化を呼びかけ続けることだ。民主主義の変化か、政府全体か、政策の変化か。いずれの課題を持つ集団であれ、支援の中心的存在を理解しているかどうか、状況が圧力をかけられるべきか、そしてどんな順番なのか?それは彼らが、戦術が闘いの拠点となる場所を持続できるかを理解しているのか否かに関わってくる。
効果的なのはミャンマー軍部と対峙して暴動が起きている「ミャンマー」の一例だろう。
[出典:「朝日新聞デジタル」]
残忍な「ミャンマー政府」が何の公共広場もなく、数十万人の人々を逮捕し、抑留し、殺害してきた。だから、抑圧のレベルが中国と比較してでさえ、本当に高位なのだ。しかしながら同時に彼らが心から望んでいるものを理解する戦力的運動とはそこにある何かだ。だから彼らはストライキやボイコットをする。彼らは軍事政権をよく見ている。軍事政権が突かれて弱いのは資金の面だ。だから彼らは将軍と手を組んでいるビジネスに目を向け始めている。手を組んでいるのはミャンマー最大のビール醸造所…日本企業のKIRINに呼びかけ、この醸造所から利用権利を剥奪するよう説得交渉をしてきた。その後も同国最大のタバコ企業に同様の話を誘いかけている。今や彼らは石油と電気、やはりNo.1の企業にも交渉の幅を広げている。もし彼らがこうした外資系に利用権利から手を引くように合意を得られたら、ミャンマーの軍部には人々に圧政を敷くことはできなくなるだろう。なぜなら、給料が支払えなくなるからだ。
私は常に関心を抱いている。「ミャンマー」のような強いと感じる諸国にいる「民主主義」運動を率いる人々と共に働けることを。私が思うに、「ミャンマー」の活動家がいかに軍事政権と闘っているのか、ずっと学ぶものが世界にはある。変革のための現実の潜在性のある別の場所は「スーダン」だ。そしてそれはいまだに軍事クーデターと闘っているが、かつての再現でスーダンの女性たちによる主に人民の力による運動が主導されている。
しかしグローバルに私が関心を持っているのは、「環境保護主義者」が民主主義を守る必要性があるとして列に並ぶ人々を多く見れるかどうかだ。なぜなら「気候変動運動」は実際に世界の中で最も有望な動きだからだ。それは幅広く普及し世界を追い越すだろう世代の時代が目前まで来ているということだ。
唯一、問題なのは時間だ。環境変化との葛藤と化石燃料に上限を設けるまでの時。そして我々は既に、欧州の「未来の(気候ストライキの)ための金曜日(Fridays For Future: FFF)」のような組織を見てきた。それは西洋の政府の会合の席に着いていうだろう。「O K。それはあなたがたはヘロインを使うだけでなくー石油とガスーもあなたがたは非常に悪い取引相手から買い付けているということね。(イランの最高指導者アヤトラ)ハメネイ師や(ベネズエラの大統領ニコラス)マドゥロとあと残りのそれ以外。」それは長いリストになる。ロシアと共にそれができるなら、次の部分動員はベネズエラかイラン、ないしは次の石油利権依存している独裁政権の周辺から当たりがちになろう。だからあなたは次々と他に影響を及ぼしていく「カスケード効果」だと分かるだろう。
若い世代が「民主化運動」とつながりを持つことができるのは、我々が化石燃料を買い付けている誰かとの売却に関する疑問ではないか。この問題は「ミャンマーの軍事政権を変えていく」と。
[出典:「Grid News」What would success look like for the protests in China and Iran?(January 5, 2023)]
【2】「1991民衆の放棄(インティファーダ)」の記憶は「人民動員機構(PMU)」の存在を「祖国防衛組織」として正当化
[出典:「イラクにおける1991年インティファーダの記憶と祖国防衛」酒井啓子著(2018年3月31日)]
1991年時、「国連平和維持活動(PKO)」に強制的な権限が国連憲章7章下で付与され派遣された最初の「7章型PKO」として、勃発していた「湾岸戦争」後にイラク派遣された「国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM 1991〜2003年)」がある。UNIKOM派遣は安保理決議687において「湾岸戦争」の条件の一つとして正式な「停戦条件」を定められていた。イラクが同意を撤回してもPKO活動は継続された。その1991年2月28日、湾岸戦争の停戦直後にイラク「民衆の蜂起(インティファーダ)」がバスラ県で始まる。イラク南部、北部へと広範囲で発生した共和政政権成立(1958年)以来、初の大規模な反政府蜂起である。「Daily Telegraph」(イラク南部)の報道によれば、湾岸戦争停戦によりクウェートから撤退したイラク将校が、その戦車でバスラ市中心にある巨大なフセイン大統領肖像画を砲撃した。それにより、イラク人の「恐怖の壁が壊され、一斉に反政府蜂起がイラク全土に拡大した」と言われている。バスラに端を発し、翌日には近隣のディーカール県、マイサン県、ムサンナ県に波及。3日後、4日後にはシーア派聖地ナジャフ、カルバラまで普及した。蜂起から約1週間でイラク政府は反政府勢力への本格的な軍事鎮圧行動を開始。3月16日には「平定宣言」を発令した。
当時の「インティファーダ」の争点となるのは旧政権派に対する「戦争犯罪」を問う裁判においても同様、「戦争犯罪事由」として「インティファーダ」鎮圧に加担したことがしばしば取り上げられている点だ。さらには「インティファーダ」鎮圧時に殺害され、大量に遺棄された遺体が埋められた集団墓地を発掘することも国策として繰り返し進められていた。
その後、2005年1月に「イラク統一地方議会選挙」において「インティファーダ」は主に4政党と化し、
1)「イラクにおける1991年シャアバーン・インティファーダ・ブロック(通称・ブロック)」
2)「シャバーン・インティファーダ革命派運動(通称・革命派)」
3)「イラク・インティファーダ集団」
4)「シャアバーン月15日イスラーム運動」
この他、バスラ県のみで「インティファーダ革命派のための民主運動」とバービル県での「インティファーダ殉教者のための希望協会」が政界進出を図ろうとした。
しかし、これら4政党+2は後に「ブロック」に統合され、それ以外は自然消滅した。
2015年になると、「人民動員機構(PMU: Popular Mobilisation Units)」の組織が表舞台に現れる。対「イスラーム国」軍事作戦に参加するために多くの義勇兵がPMUの元に集まった。
実はPMUの「祖国防衛」の役割こそが「1991年インティファーダの記憶の再生」と連続性を持って関連しているのだ。PMUは超宗派的で一国ナショナリズムのシンボル1920年暴動をも、PMUに続く連続性の中に位置づけている。「インティファーダ」とPMUは1920年暴動との結節点とされるのが「部族社会」である部族の犠牲を高く評価されている。PMUの役割増大は、「イランの地域覇権拡大」の議論につなげて「イラン脅威論」を声高に喧伝しがちだ。イラク周辺のアラブ諸国、トルコなどで展開される宗派主義化、宗派の安全保障化傾向に対してイラク国内社会の宗派主義は連動するのか否かが問われることになってくる。PMUの役割強調を「インティファーダ政党」が中心となって行っているのだ。
「PMU=インティファーダ」との認識が常套化している。PMUこそが「インティファーダ」の延長である。というロジックを組み、「インティファーダ」の全国的な反政府蜂起というナショナルなシンボルとPMUの活動を重ね合わせようとしているのだ。「PMU=インティファーダ」との認識が「上/国家」から「下/地方社会」へと操作されるだけでなく、宗教界、「インティファーダ」関係者、PMU。そして中央政権党が交差する「上/国家」と「下/路上」の相互作用を通じて日常社会に浸透しつつある。
「インティファーダ」という歴史的シンボルが持つ政治性が大きく変化してきた。PMUの出現とともに「インティファーダ政党」はPMUの背景にある国政政党と連携しつつ、宗教施設などを舞台に地方社会での日常行事に関与することで上下の垂直方向のみならず、社会の水平的な接続点としても機能することになった。
社会に根ざした「インティファーダ」の記憶はPMUの祖国防衛組織としての存在を正当化し、その社会的評価の高さを説明するために参照することは最適だった。イラク全土に渡る「反政府蜂起」だった「インティファーダ」とPMUの対「イスラム国」軍事作戦が同じ「祖国防衛活動」であると位置付けることでPMUに「祖国性」を付与することを一般化したのである。
「祖国防衛」のシンボルとして援用されたはずの「インティファーダ」の記憶自体が「上」=政権与党のスタンスに呼応して改めて解釈され直していることに着目すれば、「インティファーダ」直後のナラティブ(論調)においては「民衆の蜂起」発生地域は主として北部のクルディスタンと南部シーア派地域ではあるが、スンニ派住民の一部もそれに加わったとされ、宗派限定的な蜂起ではないことの「根拠」とされていた。2014年以降、シーア派地域に限定された発生だったとの認識は「『インティファーダ』はラマディ、モスル、ティクリート以外の地で発生したと論じられている。」
いわば、「友好関係:インティファーダ参加者・南部シーア派地域居住のシーア派・反フセイン政権」対「敵対関係:インティファーダ不参加者・フセイン政権支持派・ラマディ/モスル/ティクリート・イスラム国制裁下地域」に2分類される。
ロンドン、クルディスタン自治区に活動拠点を持つイラク共産党は、「インティファーダ」がフセイン政権に反対する広範な民衆蜂起として捉え、その中心となったシーア派や「クルド民族(クルディスタン自治政府)」における「PUK(クルディスタン愛国同盟)」および「KDP(クルディスタン民主党)」「ペシュメルガ(軍事部門)」などのみの行動ではなく、イラク国民の一体性を維持する性格の蜂起と看做した。元共産党の活動家でもあった社会学者(Abd al-Jabar)は「湾岸戦争以降、イラクでは政府の公的ナショナリズムである『アラブ・ナショナリズム』とは別に一国ナショナリズムが発展してきた。だが、『インティファーダ』はイラク社会がこの二種類のナショナリズムを明確に分けて考える良い機会を与えていた。」と述べている。
共通認識としてあるのは、「民衆蜂起後の徹底的な政府による弾圧の記憶」だった。すでに「インティファーダ参加者=フセイン政権の犠牲者」という認識の確立がなされており、反フセイン蜂起として「下から」の運動として記憶された「インティファーダ」が戦後は「上」=戦後政権によって狙われる公的記憶に転換された。与党諸勢力はシーア派もクルド民族も、旧政権下で反政府活動を展開したことにより、旧政権の「最大の犠牲者」であったことを戦後支配の「正当性」とするため、「インティファーダを利用した」からである。「インティファーダ」は「戦前の下」からの運動だったが故に「戦後上」になり得るものであった。
[出典:「イラクにおける1991年インティファーダの記憶と祖国防衛」酒井啓子著(2018年3月31日)]
【3】銃乱射でデモ隊一気に死亡 泣きながら丸腰で金曜デモ続けるも政府軍集中空爆し部族長がついに武器を手に
[出典:ヒューマン・ライツ・ナウ]
2004年の「ファルージャ総攻撃」の後、ファルージャはガザのように外部世界から完全に遮断された青空刑務所のようになってしまった。有刺鉄線で囲まれ、完全に他の街から遮断されてしまい、検問所も設けられた。人々は狭い空間に閉じ込められ、門限があり、常に監視下に置かれた暮らしを余儀なくされていた。その中では雪だるま式に増える生死に関わる病気や奇形児、がんの発症率が非常に高いものになっていった。
2011年に米軍がイラクから撤収した後もイラクのヌーリ・マリキ首相(当時)がこれを継承した腐敗統治を行い、2012年11月から2013年12月末まで長期に及ぶ「イラクの春」と呼ばれるイラク全土の「民衆蜂起(インティファーダ)」のデモが沸き起こった。
これらの抗議活動は主にスンニ派が多い州で行われ、それをシーア派がサポートするという形で続けられてきた。しかしその後一年を通じてマリキ政権は抗議者の声を無視し、繰り返して軍隊を派遣してイラク市民抗議運動を鎮圧した。しかしながらその黒幕こそが米国であり、イランの支援だったのだ。米軍は軍事資材、空軍、海軍の資材を提供し、イラクの新しい軍隊を訓練するために米国の指揮官(指導者)を派遣していた。印象深いのは2013年、政府軍が乱射した銃で撃たれ病院に運ばれてくるデモ隊の何十人という人々が一気に死んだ。それでも泣きながら丸腰になって毎週金曜日にデモ行進するイラク市民の姿が鮮明に思い出される。ところが2013年12月28日、政府軍が地上部隊だけでなく、ヘリを飛ばしてデモ隊の組織化された本部支部テントに集中的に空爆した。その時点で部族長が革命軍を結成してついに武器を手にしてしまった。その後、数週間で一気にISへの危機に入っていくーーー
少数民族のヤジディー教徒がシンジャル山で3000人も孤立化していた。何を差し置いても最優先救済対象であった。
ISの戦闘員らは、イラク軍のみならず多国籍軍にも掃討作戦でほぼ虐殺された。米国のバラック・オバマ大統領(当時)は一旦撤退したが、2014年8月にイラクのヤジディー教徒、キリスト教徒らがISに襲撃されたとの一報に基づき米軍をモスルに戻して空爆を開始した。そこから2017年まで最長3年間の空爆で地ならしという経緯を経てから地上戦でイラク軍が入っていった。
2013年12月30日、マリキ政権は軍隊を動員し、ラマディ市とファルージャ市に侵攻した。実はこれは「抗議者の中にイスラム国(I S)の戦闘員が侵入したため」だという口実を作ったマリキ政権がISの名を語り、利用していただけだった。実際にはISは全く関係がなく、マリキ政権のイラク軍侵攻から丸2日間が経過してから初めてISはファルージャに侵攻してきたのだという。
ファルージャの中に部族軍という地元武装勢力がいて、ISと激しく抗争。ISはこのままなら市内に入らないという決断をしていた。
同年1月2日にイラクの内務省がISによってファルージャの半分以上が征圧されているというデマを発表をしていた。その発表報道の「デマ」がそのまま垂れ流しにされ、真実が闇に葬られた。この報道を受けて、米軍がイラク政府へ軍事支援に踏み切ることとなり、新型ミサイル、アパッチ攻撃ヘリなどをイラクに提供したのである。
特筆すべきは「第3次ファルージャ総攻撃の標的とされたのはISではなく、部族軍だった」ということだ。
政府軍がやってくるバグダッドとアンバール県。例えるなら東京都と神奈川県の県境のようなところで政府軍と反政府革命軍が闘争を続けていた背後のシリアでISが力をつけ、イラクに戻ってきた。そしてガラ空きになったファルージャの警察署に黒いISの旗を立てて入り込んでしまった。政府軍の空爆の最中、イラクの未亡人や子供を失った人などに見舞金と称してバラマキ、人心掌握を図り一気にサポーターを増やした。デモが失敗し、人口200万人の都市モスルを2014年に約6ヶ月でほぼ無血で抑えISが建国宣言してしまう。
2019年10月「ティシュリーン革命」が起きた。イラクのシーア派がイランに汚職されたイラクのシーア派に反旗を翻している反政府抗議デモだ。汚職ランキング180カ国中、12位のイラク政治制度のイラン腐敗にイラク市民はバグダッド市のタハリール広場から反対デモを続けてきた。イラクの中を米国がイランとの戦場に使うという感触をずっと持っている。
「国が生き残るために、私たちが殺されるなんて、もうたくさんだ」
2020年2月と4ヶ月しか経っていないイラクからの報告時、すでに死者は500名を超えていたという。
[出典:「ガジェット通信連載JP」【米イラン危機2020①】「戦争特需で大国化する中国経済に喰いものにされる中東の民衆の蜂起」(登壇者の命が狙われていたため未公開)飛立知希著]
【4】「多国籍軍航空作戦指揮所(CAOC)」下にあった陸上自衛隊が「諜報工作員」としてスパイ敵視
[出典:布施祐仁Twitter]
国際法違反のイラク戦争を開戦し先制攻撃を行った米国のジョージ・W・ブッシュ大統領。そのイラク戦争をどこよりも先駆けて支持した日本の小泉純一郎首相は米国に飛び、「イラクの復興支援のために自衛隊派遣を検討する」と表明した。「日米安保条約」の「極東」よりも一歩踏み込んだ「世界の中の日米同盟」すなわち「グローバルな同盟関係」を構築。民主的なプロセス抜きのあくまで「イラク人道復興支援のため」と銘打った2004年から2009年まで日本の航空自衛隊はC-130輸送機を派遣していた。
自衛隊任務遂行中から最後まで、名目上は「人道支援物資を運んでいる」と政府は説明していたが、イラク派遣任務が全て終了してから、それまで秘密保全していた内部文書を情報公開制度を用いて公開したジャーナリストの布施祐仁氏によってその内訳が明らかになった。
内部文書によって、米軍関連物資や人員、国連職員や武装した米兵を主に運んでいたことが暴露された。
「(本任務の目的は)突き詰めて言えば本任務を通じて、我が国の安全保障に貢献することにあたり、『日米同盟の緊密化』が最優先される目標である」と「航空自衛隊内部文書」に記述されている。
あまり明らかにされていないが、実はイラク戦争当時、航空自衛隊のイラクミッション拠点はクウェートではなく、カタールのアル・ウディド米軍基地内に置かれた。
「多国籍軍航空作戦指揮所(CAOC:Combined Air Operation. Center)」に「空輸計画部」を置き、事実上、米軍の指揮下で活動。すなわち「戦闘地域」で米軍の作戦に日本の自衛隊が完全に組み込まれて活動していたことになる。事実上の「米軍との武力行使の一体化」が大手を振ってまかり通っていたということだ。
2007年には防衛庁が防衛省に昇格する。海外派遣が自衛隊の「付随任務(余力があればする)」から「本来任務」に格上げ。2014年に「集団的自衛権」閣議決定によって、「兵站 (後方支援)」のみならず、米軍との「武力行使の一体化」が進む。2015年には安保法制が施行。平時から「日米共同運用調整所(BOCC: Bilateral Operations Coordination Center)」を設置。事実上の統合司令部を意味する。
戦争において「情報」というものは戦略的戦術に大きく影響する。攻撃する際の「情報収集能力」で有用なものは今の日本の自衛隊・防衛省にはない。それを補うように衛星やGPSなどでこの分野に強い米国に依頼心を以って事を起こすには、米軍の懐に入り込んでそこから情報戦を戦うようになりがちだ。米軍の情報に基づいて非常に危うい綱渡りをデマから始まったイラク戦争から20年で加速度的に進めてきた。2022年12月に施行された「安保関連3文書」、そして野党が質疑し続ける「敵基地攻撃能力」の議論。イラク戦争は米軍と自衛隊が初めて同じ「戦闘地域」で任務に携わった現場だった。だが、今後の情報戦は宇宙・サイバー領域まで見据えて「本来任務」を「作戦計画」から米国と「武力行使の一体化」で共に突っ走る戦争しか待ち受けていない道だ。
戦場ジャーナリストの志葉怜氏は2018年4月に公開された「自衛隊活動日報」を精読して(現地で活動していた自衛隊の日々の活動のはずが)「サドル週報ではないか?」と思ったほどシーア派指導者ムクタダ・サドル師率いる政党連合「改革への行進」の動向を詳細に調査している印象を受けたという。オランダ、英国軍も激しい戦闘を展開し、当然、自衛隊にも批判的な記述が見られた。自衛隊の宿地の公益にも関与したのではないか?黒塗りになっていたため全ては把握できないが、米英豪ともおそらく情報共有しているのだろう。
[出典:ジャーナリスト 志葉玲氏]
また、志葉氏はサドル派に独占インタビューする機会があり「自衛隊は我々をスパイしているのだ」と聞いた当初、半信半疑だった。自衛隊の車が村の郊外に来てサドル派について聞いて回っていると小耳に挟んだ。その詳細や真偽の程は定かではなかったが、「日報」を読んで初めて確信したという。航空自衛隊のミッションに隠された陸上自衛隊の「シークレット・ミッション」だ。表向きは配水、橋修繕、学校再建などが任務だが、サドル派に関する米軍に敵対する現地勢力について「情報調査=(正しいスパイ行為)」を行い、米・英・多国籍軍と情報共有していた。自衛隊が提供した情報をもとに米・英がイラク軍に攻撃しているという構図になる。
布施氏は自民党政権では「死者・ゼロ・カジュアリティー(Zero Casualty)」を掲げ、一人も死者が出ないように安全な管理のもとで行うこと。今後20年、自衛隊の任務も広がっているし、「一体化」も進んでいるので、戦死者を一人も出さないではなくて、最も重要なのは活動地域を米軍と同じにしては何よりも危ないということ。米軍とリスクを負って活動するという方向性を定め、ポイントとして一番重大なのはバグダッドの多国籍軍司令部の中に潜り込んでいたケースを引く。その「情報戦」についても当時、日本政府がいかなる説明をしたか?「サマワで活動するには情報が必要。自衛隊の安全を確保するにも米軍の持つ情報がバグダッドの多国籍軍の本部にも『連絡員』を派遣して情報をもらうのだ」と説明していた。
しかし実際には多国籍軍司令部情報部の幕僚の一部に入って情報分析していた。その「日報」に書いてあるのは、その司令部を視察した米軍の司令官が「情報は我が国において重要なものである。いくら巡航ミサイルがあっても、『情報』がなければ戦争はできない。この多くの将兵たちが衛生情報、ヒューミット情報などを各分野で収集分析しインテリジェンスするからこそ我々は戦闘できる」と述べている。まさに自衛隊の入っている部署を訓示していると言える。自衛隊が司令部の中枢に入って情報分析などを行い、それに基づいて米軍がミサイルを撃ち込んだりした。「日報」には市民もスパイに運用する「バグダッド・モスキート」と呼ばれる人たちがバグダッド中心部の「インターナショナル・ゾーン」に集って情報共有していた。
司令部に入って既に実践していたが、一切、表に出てこなかった。「日報」が公開されたのが2018年だから10年以上も時を要した。国民に何が問題かを知らせないで政府が隠れてやっていた「武力行使の一体化」。これがやはり大きな問題を孕んでいる。
米軍の情報任せで、政府も市民も本当のことを知らない。そんな最中、やれ「台湾有事」だ「敵基地攻撃能力」だと。現状リスク認識が違っていたら誰がどう責任を取るのか?
[出典:「イラク戦争検証を求めるネットワーク」主催「イラク戦争20年を振り返る上映とシンポジウム」(2023年3月18日)]
【5】20年前の「いつか来た道(=イラク戦争)」を繰り返さないように…ウクライナ戦争、台湾海峡有事
前出の柳澤氏は「ウクライナ戦争が突きつけた問題は核保有国ロシアとの戦争が世界大戦に発展する恐れがあるという単純な事実だった。米国が慎重にならざるを得なかった論理は中国、台湾にも当てはまる構図だ。その延長線上に「台湾海峡有事」がある。ウクライナと台湾有事の共通問題は、米国の「防衛意思」の有無にある。ウクライナはNATO加盟しておらず、台湾は米国と同盟関係にない。そればかりか米国は台湾について軍事介入を否定しない「曖昧戦略」をとっている。「介入の意思」を明らかにすれば中国との関係を決定的に悪化させ、抑止力を破綻させる恐れがあり、判断の自由が奪われるからだ。」と分析する。
天主教輔仁大学の何思慎教授の提供した、台湾の世論調査の結果、約43%は「台湾海峡で戦争が発生すれば、日本は派兵して台湾防衛に協力する」、35%が「日本が米軍に協力する」。すなわち台湾人は安全保障の面で言えば、「日本の自衛隊に米軍よりも高い期待を一方的に寄せている」ことがわかるという。
また2022年7月に米国で行われた世論調査では62%が「海上封鎖が起きた時に中国の台湾封鎖を阻止すべく米海軍を派遣すべきだ」、40%が「台湾防衛のために米軍を派兵すべきだ」という結果が出た。これを受けて琉球大学の山本章子准教授は「今の日本では「全面戦争」を想定した「台湾有事」の話ばかり議論しているのに本当に戦争が勃発したら、国民がそれに耐え得る状況にない。詰まるところ、日米世論が不支持の「台湾海峡有事」のために米国は台湾と共に中国と戦う意思も覚悟もないのである」という。その上でウクライナの教訓として、「非対称戦争」へ大国と小国が戦う時に重要になるのは「民衆が犠牲を厭わずに戦う『意思』があるか否か」「(大国と)戦う政府を支持するか否か」に関わってくるという。その上で山本氏は「のべつ幕無しどこでも訓練するということで抑止力を上げる米軍が、沖縄でその場の人々の生活を害するような形で訓練を行う。民間施設や一般の航空や公安を使って訓練を行ったとしても、米国の世論が支持しなければ、米軍が実際に中国とは戦うことはしない。実際には戦えないのに訓練して沖縄県民の日常が脅かされているというものを、今の『安保関連3文書』というものは有している」と十分な議論を尽くさなかった岸田政権の『国家安全保障政策』を批判した。
[出典:「ガジェット通信連載JP」【つくられた「安保法制関連3文書」の口実】沖縄を「台湾海峡有事」に利用させるな!むしろ台湾との対話から賢く戦争回避せよ(2023年2月26日)飛立知希著]
2023年3月16日に沖縄県の石垣島で新たな基地が開設された。民間の港に大きな米軍の輸送機が着いてミサイルを水揚げして駐屯地に運び込まれた。軍縮どころか2021年12月には沖縄県から南沙諸島などに自衛隊の拠点を分散させて軍拡に走っている。前出の布施氏によれば「約3年前から沖縄県での自衛隊の動向など取材して回っているが、本当に台湾に近い沖縄県の先島諸島(何西部)の宮古島と八重山諸島で暮らす沖縄の住民の方々が不安な日々を送っている」。
[出典:[出典:「東京新聞」自衛隊宮古島駐屯地に弾薬庫] [出典:「gooブログ」自衛隊に破壊措置命令]]
前出の布施氏が取材した、石垣島川原地区で近隣のパイナップル農家を営む、具志堅 正さんの談話。「ここは地理的にも中国と近く、もし戦争が起きたら巻き添えを喰う。基地は真っ先に狙われる。住民は避難させると政府は言っているが、現実的には不可能だと思う。最近は台湾有事の話がよく出てくるようになったのがこわい。自分たちは『捨て石』にされるのではないか?」
「『捨て石』という言葉は取材中に宮古島や与那国島でも何度も聞いてきた。元々この基地は『島を守るため』に造った。それがいつの間にか台湾有事の時に地理的に有利な沖縄県に分散させて作った自衛隊の基地と米軍が一体化して、そこからミサイルを撃つという名目に様変わりしている。当然、島からミサイルを撃つから真っ先に狙われる。」
「人道復興支援のために」と建前では言いながら、イラク戦争時と重なる「台湾」を「防衛するため」に「自由民主主義のため」にと大義を掲げているが、実のところ一体「何を守ろうとしているのか?」本来独立国であれば「国民の命を守る」ことが最優先に来なければならないのではないか?これでは日米同盟の顔色伺いばかりで「20年前のいつかきた道(=イラク戦争)ではないか」
布施氏は積極的に自衛隊の国防を中心に取材活動をしてきた切れ者のジャーナリストである。イラク戦争の際、米国はトルコにある在トルコ米軍基地を使ってスカッド・ミサイルなどで空爆しようとしていた。米議会はOKを出したがトルコはNGで使用できなかった。なぜなら容認したら、トルコが戦場になるかもしれないと見越していたからだ。しかして米国トルコの同盟関係は崩れていない。同盟国なら無論のことで、まず、自国民を守る。自国を戦場にしない。それが常識なのに日本では当然になっていない。
イラク戦争から20年が経った。しかし残念ながら日本がイラク戦争開戦の日米同盟に追従し「最後に依るべき砦」のように米軍の言いなりになっている「外交無策」の政治的姿勢は全く変わっていない。果たして今の日米同盟をデフォルト、つまるところ初期設定をするのではなく、本当にリスクも含めて直視する見方というものを考え直していかなければならない。さもなければ本当に「台湾海峡有事」や「北朝鮮の核ミサイル」などの国防リスクを「火種」として戦争が誘発されてしまうかもしれない。
[出典:「イラク戦争検証を求めるネットワーク」主催「イラク戦争20年を振り返る上映とシンポジウム」(2023年3月18日)]
【6】戦争の煽りで問われる国防の「本質」と自衛隊「軍拡」の危険性
第211回国会衆議院予算委員会第3号<令和5年1月31日(火曜日)>で日本共産党の志位和夫党委員長が代表質疑した。「安保関連3文書」で導入予定の主なスタンドミサイルの中にある米国製トマホークがある。これはアフガニスタン戦争、イラク戦争などで先制攻撃に使われた長射程の巡航ミサイルだ。
志位氏が問うた、各ミサイル射程距離の具体的な数値は回答しなかった岸田文雄首相。ところが報道ではトマホークの射程は1600kmとされ、中国や北朝鮮の主要都市がすっぽり射程内に入ることが既に明らかにされている。続いて志位氏は米空軍が発行している航空宇宙作戦レビュー「ASOR」という機関誌(2022年夏号)を掲示し、米インド太平洋軍が進めている「IAMD構想2028」についての公式解説を紐解く。これまでの米国と同盟国との協力は「サイド・バイ・サイド」=「隣に並んでの統合」だった。「ノルマンディー上陸作戦ではそれぞれの同盟国がそれぞれに上陸する海岸を受け持った。イラク戦争やアフガニスタン戦争の際にも、多国籍軍は各国の責任地域に分かれて戦った。しかしここでは米国と同盟国とが『シームレス』=『切れ目のない融合』をしていく必要がある。これが米軍の統合防空ミサイル防衛の方針だ」。とした上で「岸田総理。あなたがどう信じようと米軍はこういう方針を持っている。自衛隊が単独で行動することなどあり得ない。そしてそれがもたらす結果は何か。報復攻撃による日本の国土の焦土化だ」と志位氏は岸田氏を糾弾した。
岸田氏は「我が国の国民の命を守るために必要とする『統合防空ミサイル防衛』と『米国のIAMD』は全く別物である。」と半ば反論したが、日本弁護士連合会の意見書では「専守防衛」について「近隣諸国に対する『攻め込まれない』という『安心の供与』となって、平和的外交関係の形成・維持に大きく寄与してきた」と評価している。だが岸田政権において「安心供与外交」よりも「敵基地攻撃能力」保有に比重を置きがちな安全保障政策は他国からすれば、日本が「専守防衛」を投げ捨てる行為に等しく、近隣諸国に脅威と不信を呼び起こし、限りない軍拡競争に陥ることになりかねない」旨、有害極まりないと強く警告している。
イラク戦争の現場を経験した元内閣官房副長官補の柳澤協二氏は「よく日本の政治家が『国民の命を守るため』『このような防衛政策が必要なんだ』との言い方をされる。しかし『国防の本質』というのは、国民の命を守ってあげるものではなく、『国民が命を捨てても国家を守る』。それこそが防衛である」と説く。
[出典:集英社新書・著者インタビュー柳澤協二氏第4回 抑止・専守防衛・国防の本質が本格的に問われている]
日本人がプーチンのウクライナ戦争から学ぶべきことは多々あったはずだ。どうやって戦争の一番の原因になっているポイントのところで「相互の安心供与」外交が作れるか?ウクライナ戦争から得られる最大の教訓と言える。もう一つは軍拡であくまで抑止を掲げるミサイルの撃ち合いの戦争になる場合、岸田政権は「被害想定」を事前協議しているか否か。「敵基地攻撃能力」と言おうが、中国の沿岸部にあるミサイル軍事施設を幾つか潰すこと自体は可能だと思う。だが全てではない。つまり、残ったミサイルは中国や北朝鮮からの日本への報復本土攻撃になる。そこまで見越して初めて防衛政策ができる」という。平和憲法を至宝とする日本の市民が正しく「防衛の本質」を理解していないと、ある日突如として日本政府が「台湾防衛のために犠牲を負ってください」と国民に犠牲を求めてくる潜在性も捨てきれないということだ。
北朝鮮や中国から仮に日本の本土が焦土化するような弾道ミサイルが連射された場合、「存立危機事態法」を発動させ合憲である「個別的自衛権」に基づき自衛隊は日本海側にいるイージス艦が第一弾のスタンダードミサイルを撃ち、PAC3が第二発を撃つと。そうしたBMDアセットも迎撃の事態には現状では至っていない。しかし、もし撃ち漏らしてしまったとしたら?岸田政権は「被害想定」をしているのか?が当然問われてくる。
第211回国会衆議院安全保障委員会第9号<令和5年4月18日(土曜日)>で、立憲民主党の渡辺周委員が、4月13日の北朝鮮による弾道ミサイル発射に基づく日本領域落下可能性時の対応について質疑した。「発射直後に、初の我が国への、EEZ内どころか、我が国の領土に初めて着弾する恐れがあった。恐れがあるから避難してください。それは5分だと。(Jアラートを)出した以上はやはり当然何らかの可能性があったから出したんじゃないか。結果的に、電車が止まったり、交通機関に影響があったり、あるいは学校の始業時間が遅れたり、様々、飛行機が千歳空港で離陸を見合わせたりとか、色々なことがあった。社会不安を引き起こしたわけなんです。」その上で渡辺氏は「ミサイルの破壊措置(筆者注:自衛隊法第82条3項「弾道ミサイル等に対する破壊措置」)について言えば、これは今回、総理に時間がないのは今までも言われている。当初、北朝鮮から弾道ミサイルが飛んできたら最速7分で来るんじゃないか、その間に何ができるんだという議論も散々した。やはり総理の承認を得た『緊急対処要領』というものがある。『緊急対処要領』に従って防衛大臣が命令できるということが当然ある。そんな手続きを踏んでいられませんから、7分で飛んでくるものに」と疑義を呈した。さらに「今回のような、もう22分に飛んだら、早ければもうその直後には着弾するということが考えられたとすれば、最悪の事態を考えて最善のそして最短の判断をすることは『ミサイル破壊措置命令』は出されたままになっていて、いつでも大臣の命令で対応できるだけの態勢がもう既にできていたという風に考えるのは当然なのです」と問題提起した。
「(武力行使の)一体化論」は「集団的自衛権の不行使」と並び、「自衛隊の海外活動における合憲性の基準」としての役割を果たしてきた一面がある。2014年「集団的自衛権」の閣議決定と2015年「安保法制」の強行採決、施行によって後者の唯一の新規立法である「国際平和支援法」の立法により、実態的にも論理的にも明確な「歯止め」機能を持ち得なくなった。
「国際平和支援法」は武力行使を行う「多国籍軍」への支援(後方支援・兵站)の法的根拠であるが、自衛隊の海外派遣枠組みの時限法からの恒久化が図られた。特筆すべきは国連安保理が「武力行使」を明示的に容認していない場合でも、諸外国がこれに対処するための活動として武力行使を行う場合を除外していないという点である。(筆者注:「諸外国の軍隊等の定義」第1条「目的」/第3条「定義」)
日本独自の「改正・国際平和協力法(PKO法)」の本質は、PKOで直接の治安維持に関わる業務を行うことがなかった自衛隊が改正法によって武器使用(ROE)を前提とした業務にあたることになるものである。PKO以外の国連が統括しない「国際連携平和安全活動」という名の多国籍軍の占領統治においてもかかる業務を可能にすることになる。すなわち、1992年以来、積み重ねられてきた「武器を使わない海外派遣」は「武器使用(ROE)を前提とする『海外派遣』」に大きく変貌を遂げさせたのである。
[出典:「国際法【第3版】」浅田正彦編著/「検証・安保法案 どこが憲法違反か」長谷部恭男編・大森政輔・柳澤協二・青井未帆・木村草太共著/「国際条約集」(2015年版)]
【7】イラク戦争から20年かかった「観光地」として復興の兆し
近年のイラク情勢はかなり良好になったり、悪化したりしている。2021年10月中旬に総選挙が行われ新首相が決まった。最終的には一院制で定数329のイラク議会でイスラーム・シーア派の指導者ムクタダ・サドル師の政党連合「改革への行進」が73議席を獲得し第1党の地位を維持した。2018年の前回選挙より3割以上も議席を増やした。一方で48議席を占めていた親イラン派の「征服連合」は17議席と6割以上減少し、37議席を得たスンニ派政党連合が第2勢力となった。隣国イランの政治的干渉に反発し、イラク人として主体的に政権運営ができるとのサドル師への期待を反映した結果と見られた。
投票率はイラク戦争後サッダーム・フセイン政権崩壊後に始まった政治体制下では最低の43%。選挙で不正があったとの抗議の声が親イラン派などから噴出したという。スンニ派や少数民族クルド人政党との連立協議が2022年春を過ぎても纏まらない異例の事態の中で、サドル氏は6月末、当選した配下の議員に辞職を求めた。73議員全員が辞表を提出。これを受けて実施された繰上げ選挙ではサドル師と対立する親イラン派が多勢となり首相候補も決めた。ところが、納得のいかないサドル派支持者らが7月に議会内に乱入。サドル師は8月、混乱の責任をとって辞任したが、支持者は首相府に押し入るなど不穏な情勢が続いていた。
新しい政府が樹立できなかったことで、各勢力が意思統率できない間、イラクの包摂する大きな問題としてずっとあった懸念。それをイラクも安定化の道を歩んでいると見做していいものかどうかが問われている。
イラク・エイドワーカーの高遠菜穂子氏はイラク戦争から20年で変わりゆく「治安」について報告する。
20年経ってやっとイラクで観光旅行ができるという希望が芽吹き始めた。急にイラク国内旅行が非常に流行って、欧米の人たちのバックパッカーが入国してきた。一時期から比べるとまだ少ない印象を受ける。「モスル」の治安は街中では比較的良くなった。住民も盛んに「Instagram」で「モスルにいらっしゃい」と世界に呼び込みをかけている。それでも外国人旅行者や医療支援で出会うイラク人医師にも大手を振って「大丈夫ですよ!きてください」とは言い切れない。ただ、モスルのあるニナワ県は非常に広く、端っこの国境地帯ではいまだに「IS掃討作戦」が継続している。アンバールでもシリア国境に近い地域には2023年2月だけでも何十人という戦闘員を殺害した、などローカルではまだよく聞く話だから。
私個人の気持ちとしては観光が発展してほしいし、外国の方にも復興期にあるイラクを見てほしい。「観光地イラク」への期待と「治安の不安定さ」がないまぜになっている実感がある。
けれども世界に個人個人がイラクと繋がって伝えられるようになったことが一番大きいイラクの変化だ。今までイラクの若い人たちが負わされていたペナルティーのようなものが消えて、なんか頑張ろうとしているような感じがした。共通して感じるのはインターネットを皆持っていて、「What’s APP」アプリとかですぐに繋がれる。バスラの貧しい家庭の人たちや若者たちと情報支援できる。
加えて先日、イランで女性の「ヒジャーブ(被り物)」を巡る社会運動があった。イラクのサダム・フセイン政権期の方が「女性の権利」は進んでいたとも言われていた。
子供・女性の権利が後退したと言われた当時、女性たちが抗議デモをしたりするのだけれど、すぐに「潰される」と言う事態だった。紆余曲折あって、今もInstagramでインフルエンサーになっている女性なども、ここ数年で殺害されたという報告や、「LGBTQ I」の流れ、女性の権利「#ME TOO」なども、勿論イラクにタイムラグなく流入してきて広がっている。
今、イラクのバスラには完成したスタジアムがあり、市民にとっては誇りである。従来、スポーツの「国際戦」と言ったら、イラク人にしてみればイラクの外部に出て行うものだった。それが今や外国の人を自らの国内に招致して、地元で国際親善試合をやれるということがどんなに嬉しいことか。
この20年間でイラク人から向けられる街ゆく日本人への視線というものが本当に変わった。10年前時点では街を歩いていると「日本人ですか?」と声をかけられることは、ほぼなかった。
今や中国人のビジネスマンや韓国人、日本人が仕事の出張や観光で訪れるようになった。街の看板もLGやサムソンなどの韓国企業のプロモーションが立ち並び、エンタメといえばK-POPや韓流ドラマ。日本発のアニメは「ONE PIECE」も勿論のこと、中国や韓国の存在感が強くなった。
【8】民間でありながらイラク現地の人たちを助ける活動をしてきたNGO・エイドワーカー・市民活動家
―――自衛隊が国際貢献を鵜呑みにして紛争地の活動を正当化するという流れはある。しかしその一方で、民間でありながらイラク現地の人たちを助ける活動をしてきた人々にも「光」を当てるべきではないか。
「セイブ・イラク・チルドレン名古屋」の小野万里子 理事は2003年2月とイラク戦争勃発の一年前からイラクの医師を日本の名古屋の病院に招致し研修する医療支援ミッションを始めた。
[出典:「セイブ・イラク・チルドレン名古屋」]
この20年の間にバスラで50人近くのイラク人医師らを名古屋に呼びよせ研修を受けていただいている。一例としてイラク人の医療従事者は一年のうち三分の一か半分くらいは名古屋に在住している。節目節目で「自衛隊派遣反対!」の声が出た時もあった。当時、名古屋にいたイラク人が2人いて一人はスンニ派、もう一人はシーア派だった。前者は非常に怒って「米国の助太刀をしながら自衛隊が自分たちを攻めてくるのか?なんとか止められないのか?」と反対したが後者は「自分たちを迎えてくれた日本政府や日本人には感謝している。母国ではイラク人だというだけで入国さえできない。私たちが口出しすべきことではない」と受け止め方に違いが出たという。
イラク戦争が勃発し、全国紙の「イラク戦争」報道を疑問視する中、「中日新聞」の市民読者7〜8割が独自の発信の仕方をしていた。そのアンチテーゼとして、民間でもこういうイラクとの関わり方ができるのではないか。思ってみたものの小野氏のような小さな活動でも想定以上に報じられ、今の活動を立ち上げて資金が要るということになる。ニュースレターを独自に作成し義援金振込表(+通信欄:イラク戦争に反対しイラク市民を応援する声)を同封することで支持者との繋がりができた。小野氏らが考えるびっしりと書き込まれた「イラク応援の市民の声」。
「武力には反対。でも寄付をしたい」そんな活動の礎を創れた。だからこそ初期の薬剤を送る支援だけでなく、イラクの医師らを名古屋で研修できないだろうか?という支援の輪の広がりが。ある程度ちゃんとした団体だと信頼が得られれば、初め大学病院や大きな総合病院など大口の医療機関だと相手にもしてもらえなかった。それでも報道やそれを視聴した市民の反応の連鎖は、自分が名古屋で活動してきた原点からも頑張っていれば、報道されて私たち自身助けられる側の流れに乗った実感がある。それこそイラクからの話で「今度がん病院ができるから、日本でイラク人医師の研修をやってくれないか?」など、まずは安心してもらった上で一つ一つ実績を積んできたNPOの認可も受けた。資金は私たちではなく市民の皆さんが出資してくれる。研修で手伝ってくれるのも専門家の医師たちなので、人々の協力の上で成り立っていて日本を知ってもらう呼び水にもなっている。
国際協力アドバイザーの佐藤真紀氏は、NGOの草分けと言われる「日本国際ボランティアセンター(JVC)」に長年所属し紛争地や災害地で緊急援助を行ってきた。
[出典:国際協力アドバイザー佐藤真紀氏]
「社会を変えなければならない」という意識がとても強かった。団体としてもモットーがこの団体をいずれ必要としなくなることが大きな目標だった。パレスチナを経てイラク戦争開戦から「(特活)JIM-NET」を介してずっと関わってきた。ところがNGOも大きくなって緊急援助自体が非常に大きな規模でやらざるを得なくなってきた。それだけ戦争が続いている現実がある。
治安の悪い中で紛争地の現場にいると、大変な疲労と自分の高ぶってくる興奮状態をおして外出し、何かしなくてはならない。ここ約10年間そのような暮らしぶり。ISが襲来した時にも気持ちが落ち着かないまま身体が現場に行ってしまう、ということが僕の中ではあった。イスラム教徒の人の考え方から僕の方も学ばされることがあった。人間として何でこの人を助けるのか?自然に人を助けることで自分が天国に行ける。記者をしなければならない。施しをする。それが彼ら「イスラム教徒」としての生き方だと、逆に僕らには全くない素晴らしい学ぶべきところだと思う。だからこれまでのような大きな枠組みの中で何かを果たすというよりも、皆さん一人一人がどういう風に繋がっていけるのか。これからだったら、ネットとかで知り合いになれるんじゃないか。そういうイラク戦争から20年を振り返りながら、またバグダッドに来てみてイラク人女性のアーティストの展覧会などもあって、これから仲間と共に「文化・芸術」を通して何かできることはないか?と模索しているところだ。
イラク・エイドワーカーの高遠菜穂子氏は「戦争は始まったら終わらないので、『戦争を始めないためのプロジェクト』を始めた。」と常に時代を先読みした行動力で周囲を驚かしてきた高遠氏が「斬新な次の一手」を打ち出している。その名も「(社)ピースセルプロジェクト(PcP)」。海外ボランティア歴22年。紛争地イラク支援活動は19年。3年前にイラク北部ドホークに拠点を移し、日本とイラクの仲間たちと平和教育とエコロジーに特化した本プロジェクトを立ち上げた。幼少児に向けた「絵本読み聞かせ」はほんの一端だが、絵本は「コミュニケーション作りの目的で作られている」。「演劇的手法を使った「ワークショップ(WS)」であり、欧米各国で使われている中、『演劇』という手法で、地域課題、紛争地、矯正教育などでも幅広く用いられている。」という高遠氏。
イラクでは「分断」が進んでいる。クルド人自治区ドホークでも分断が深すぎて今のところ何事もなく活動できているのは、着火点に当たり障りないようにやっているからこそ成り立っていると言える。アラブ人とクルド人がそもそも仲が悪かったりするけれども、そういう場所にいつ何時、ヤジディー教徒とイスラム教徒が衝突したり、あるいはISがイラクに戻ってくるか分からない一抹の不安がある。それこそが紛争地のリアルだと思う。その状況で元々対立を含む少数教徒同士が「深―――いコミュニケーションをするにはどうすればできるのか?その構築を短期的にではなく30年計画構想で研修していく。対するメイン・ターゲットは20・30・40代の大人や青年たち。『シーア派×スンニ派』『ヤジディー教徒×イスラム教徒』など、『宗派対立』を超えた相互理解の深いコミュニケーション構築を目指す。」
さらに日本、イラク間で政治家になれる、いや、なるべき人たちこそが深いコミュニケーションができるように研修していく。演劇という手法を使って、そのP c Pの講師も担えるような人材を研修して育成していくことも視野に入れて活動している。
[出典:高遠菜穂子氏(2023年)]
自民党の小野寺五典・安全保障調査会長が、中国を「話し合いでは言うことを聞く国ではない。台湾侵攻を抑止するには『いざという時は米国も日本も台湾に対して武力も含めしっかり支援する、その構えを作る。私はこの一点に尽きると思う』と現在の北東アジア有事リスクを巡る日本の外交努力を100%否定した。だが、「安心供与外交」でも打ち出すべき万策は取って然りではないのだろうか。それでこそ、高遠氏が目指すところの「イラクに留まらず日本でも世界でも、これから輩出する政治家を含めて深いコミュニケーションができる人材を研修育成していくこと」が求められている未来図ではないだろうか。
そんなイラクという戦場の現場を勇猛果敢に渡り歩いてきた高遠氏だが、かつてイラクで拉致された経験を持つ。
それが2004年4月に起きた「イラク邦人人質事件」だ。東京都赤坂の北海道東京事務所前で高遠氏の拉致被害者家族が一致団結して声明を発表した。
大手メディアの記者らが囲み取材に集い、キー局のENGカメラが周囲から狙っていた。私もその隣に三脚を立ててDVDカメラをセットし、地べたにノートパソコンを置いて原稿を書いていた。
当時、ネット上では「イラク三馬鹿」とまで蔑称された。事件全体の狂言説まで飛び出し、被害者3名は徹底的に攻撃された。さらに彼らは自宅まで特定され、プライバシーが全くない状況に陥った。
[出典:「イラク邦人人質事件」2004年]
だが、これは「メディアの同調圧力」そのものに他ならない。なぜならこのバッシングは、むしろ政府関係者が「バッシング」についての大まかな筋書きを作り、政府寄りのマスコミがこれに乗って大本営発表で演出した「悪意のあるドラマ」であったように思えるからである。
「こんな奴らの救出に税金が使われることは、とんでもない」という見方にマスコミは世論をミスリードした。
だが、事実はかなり違っていた。3人の1人である郡山総一郎氏は、経験は浅かったとはいえ、いわゆる戦場カメラマンで「週刊朝日」の契約社員。過去にイラクでの取材経験もあった。3人の中の紅一点である高遠氏はボランティア活動家で、インドやタイなどの貧困地域において恵まれない子供達に対する事前活動に当時から従事しており、2人は海外経験が豊富だった。
唯一、海外活動経験のない「素人」がまだ10代だったジャーナリスト志望の今井紀明氏だけだった。
しかし徹底的な「自己責任バッシング」に遭ったにも拘らず、高遠氏はその後20年が経つ今でもイラクのエイドワーカーというフリーランスのプロとして支援活動を続けてきた。
高遠氏はイラクの現場で赤ちゃんを取り上げる助産活動の経験もあるが、「私は結婚も出産もしないと思う」と自著の中で語り、これほど奉仕してきたにも拘らず「私が生きている間は戦争は終わらないだろうと思っています」とも講演会で吐露していた。イラク戦争から20年が経過しても、一時的なバッシングなどに潰されることもなく、信念を貫き通し続ける高遠氏のイラクにかける想いは「本物」と言えるだろう。
[出典:高遠菜穂子氏]
【9】ウクライナ停戦合意の「導」となるか?武力不行使「国際共同体」
話を現在に戻そう。連日報じられるウクライナ戦況。「広島G7サミット」を約1か月後に控えていた2023年4月5日、「今こそ停戦を!」と東京大学の和田春樹名誉教授(ロシア研究者)を筆頭に東京外国語大学の伊勢崎賢治名誉教授(平和構築学)、青山学院大学の羽場久美子名誉教授(国際政治学)らがウクライナ反戦アクションの一環として「声明」を発表し記者会見を開いていた。
[出典:2023年4月24日ウクライナに今こそ停戦を呼びかける記者会見(画像は4月5日の会見)]
筆頭呼びかけ人の東京大学の和田春樹名誉教授は「我々がずっと主張してきたのは中国とインドに『停戦の仲介』をしてほしいということ。最近になってようやく中国が『停戦』の働きかけの意思を示し始めた。15項目の提案を出しているが、ウクライナ側がそれを蹴落としている状況だ。対するロシアは全面的に受け入れるとは言っていないが、好意を寄せていることは明らか。広島G7サミットというウクライナを助けてロシアと事実上戦争しているような国々の首脳らが来るというチャンスを捉えて『停戦』を訴えることを始めようとした。我々が提起する以上に良いチャンスが巡ってきたということで、日本政府は全く異なることをしているわけだが、日本の国民としては『停戦』を望む。我々のアジア地域において戦争がないように訴えようという趣旨だ」と共同声明の意義と提言を語った。
青山学院大学の羽場久美子名誉教授(国際政治学)は「『停戦宣言』と共に『国連中立軍』を入れることだ。ウクライナ、ロシアの両者を分けることで、ウクライナが犠牲になったり、ロシアが残虐を尽くすということは避けることができる。これも国連の中で東ティモールやスーダンなどで経験されてきたことだ。国連中立軍を入れても戦争を継続しようとする国々を処罰することが重要だ。2014年と2015年に当時のドイツのアンゲラ・メルケル首相(当時)とフランスのフランソワ・オランド大統領(当時)に締結された非常に高いレベルの合意であった。」
とした上で、羽場氏は「これを破ったのはウクライナの側だ。戦争が維持し、ミンスク合意ができなったのは『欧州安全保障機構(OSCE)』が機能しなかったから。国連中立軍を入れていれば、その後のウクライナーロシア戦争につながるような戦争は起きなかったのではないかと思っている。今回、中国が『停戦交渉』を開始した。中立軍として停戦交渉をしている中国。そして平和の維持を検討しているインドおよびASEANなど、アジア諸国が共同の中立軍を作って国連中立軍として二者の間に緩衝地帯を設け、そこに入っていくことで戦争は停止できるのではないか」と提言した。
東京外国語大学の伊勢崎賢治名誉教は「停戦と終戦を混同する人たちがいる。この2つは明確に違う。『停戦』とはむしろ悲劇的な終戦を回避するための政治工作のこと。愛国主義もしくは現代では自由と民主主義のためだという『正義』の大義。侵略者に対する憎悪の感情。それらを一時的に抑えて人命の損失と破壊を最小限に抑えるために行われる政治工作を『停戦』と言う。」とした上で、「一番卑近な一例が僕が経験した『アフガン戦争』。1949年創設以来、『NATO(北大西洋条約機構)』が『NATO憲章』第5章を発動して総出で戦った最初で唯一の戦争。
しばしば戦争犯罪の訴追を反故にするという風に目され、かつ喧伝される。一番悪いのは不処罰の文化だ。いわゆる糾弾を人権派が行ってきた。」と述べた。
また、「国連が機能不全に陥っている」とする世論の見解についても、伊勢崎氏は「2023年4月から国連安保理の議長国がロシアになる。ローテーションで変わるのが議長国のポストであり、すでに国際的に侵略行為と定義されている『イラク戦争』が真っ只中だった侵略者の米国が議長国になった。『ロシアを国連から除名せよ』と言っていたウクライナ側は反対しているが、
被侵略国にされた紛争当事者にしてみれば当然の反応。こういう過去から続く安保理の機能不全を以って国連には意味がないという意見も一部にはある。」と指摘。
続けて「初めて原子力施設が通常戦場になったのがウクライナだ。ザポリージャ原発の周辺付近における『原発停戦』を提案した。地球規模の影響が及ぶ点で他の戦争にはない直接的被害を受けるのは全世界。」と精力的な交渉を展開していることを明かした。さらに伊勢崎氏は専門家やメディア関係者だけではなく、市民の目線に降りてきて次のように訴えた。
「ウクライナ市民のために。そして地球市民のために『即時停戦を!』そしてアジア、特に北東アジアを代理戦争の戦場にするな!特に平時から平和主義を掲げている市民団体の皆さんに一言だけ。『ロシアは侵略を止めよ!』『米国は代理戦争を止めよ!』この2つを同時に同じ強さで訴えるのが憲法9条の心だと僕は思う。」前者だけでは露中が怖いから『もっと自衛隊の軍備増強を』と『日米同盟の強化を!』という勢力に元気を与えてしまう」と「自衛隊の軍拡化」を危惧し、市民運動の闘い方を伝授した。
[出典:2023年4月24日ウクライナに今こそ停戦を呼びかける記者会見(画像は4月5日の会見)]
人生の大先輩方であり、一流の教育者と称される専門家の方の持論による政策提言に引け目を感じて「思考停止」してしまう方がよほど、「国際平和貢献」に資するようなものは出てこないだろう。
愚かしいと批判されるようなことがあったとしても、私は最初にスカウトされた時、「原稿は書いて、発表して、批判されて然るべきものです」と僅かながら習った書き手としての教えを教訓にしている。
筆者は前稿で「広島G7サミットは果たして成功裏に終わったと言えるのか?」と自問し、カナダ在住の被爆者サーロー節子さんがその答えを手厳しく述べてくださった言質にその答えを見出した。
広島でのビジネスの大部分はロシアのウラジミール・プーチン大統領の選択肢した戦争という道をモスクワから3600マイル東に位置する中国の北京市が自己主張を強めていくことに焦点を当ててこなかった。英国のリシ・スナク首相はそんな中国をグローバル安全保障と繁栄のための「我々の時代に大いなる挑戦をしている」とし、特筆すべきは中国の習近平国家主席の支配する政権は本国並びに海外でも独裁主義者の様相を増している」と考える。
2つに分けられた声明の中で、世界の指導者は最も富裕層の民主主義が、中国が懸念する領土統治の一方的に支配している島としての台湾を支援することは繰り返し念を押しておく。
そして語るべきことは、彼らが「厳粛な懸念事項だ」と見做している北京のインド・太平洋への進出だ。同月22日に米国のアントニー・ブリケン国務長官は新たな安全保障協定として首都ポートモレスビーのあるパプアニューギニアとの署名を締結した。これにより、中国の地域的影響力の伸び代が相殺されていくことを明白に想定して見られるものがあるだろう。
しばらくの間、インド・太平洋圏のリーダーシップの信任状を以って幅広く展開していくために、インドや韓国、オーストラリア、そしてクック諸島が、共にゼレンスキー氏やG7のお馴染みのメンバーに加わって、米国、英国、イタリア、カナダ、フランス、ドイツ、そして日本がこの広島に集い、平和記念公園の原爆戦没者慰霊碑に献花した。
G7首脳らは中国に「干渉妨害活動を指揮するな」と緊急声明を発布すると共に、中国の遥か西側諸国の地域にあるチベットと新疆ウイグル自治区で行われている非道な人権侵害の申し立てについて懸念していることを表明することで一致した。
実はこのG7で鍵となる焦点を当てられていたのはサプライチェーンにおける中国依存の削減に関する事項と、北京が闘っている「経済的弾圧」の中でも指摘された「経済的脆弱性の兵器化」における「妨害行動の高まり」である。近年、中国は侮辱を受け入れることで回答する貿易を使うことについての内気さのようなものはなく、オーストラリアからの輸入もカットして、そのパンデミックの起源の中に独立した調査を呼びかけることを超えて、米国のミサイルシステムを保持するその決定権を超えたところで韓国が、またバルト三国が台湾が事実上の大使館を確立することを容認した後のリトアニアの動向。この弾圧が声明の中で言及されている圏内国が「世界中の同胞と同様に国内外の政策とG7の一員の立ち位置を決めることを模索している」
その回答として中国外務省はG7の共同声明に「強い不快感」を表明した。「G7は、中国は自分たちに関連する政治的課題をうまく誤魔化して世論調査しており、中国を中傷および攻撃している」と外務省広報官が発表した。加えて中国は北京の在中日本大使を呼び出し叱責した。
北京中国人民大学国際情勢研究所の王芸為所長が「Time」誌に語ったところによれば、「米国は経済的」から「イデオロギー的」な集まりに配役を変えようと決意している。それは「グローバル・バリュー・チェーン(GVC)」と呼ばれる生産工程の付加価値の連鎖のことで、米国と共に取り上げることから中国を規制することに関して位置付けられる。
同年21日には記者会見が行われ、米国のジョー・バイデン大統領が「G7の目標は中国からの『分離』ではなく、リスクを取り除くことと我々の関係性の多様化を図ることだ」と述べた。
技術セクターは世界2トップの経済力を誇る鍵を握る戦場だ。米国は既に24の中国系技術会社をブラックリスト化し、哲学的コンピューター処理装置の流れを遅らせ、中国に半導体のような敏感な企業開発の援助を受けることを、そうした市民らに禁止した。24日には中国は鍵を握るインフラを米国系企業のマイクロン社によって生産されたマイクロチップを使うことをオペレーターに禁止したことで対抗してきた。その言い分としては「相対的に深刻」なサイバーセキュリティーのリスクがあると分かったからだとされている。
それは西側諸国の中国の技術開発を邪魔する努力が効果的か否か不明確だということだ。ロンドン経済大学の助教で「新しい中国 Playbook」の著者、ケユ・ジン氏は「TIME」誌の取材に応じた。中国のサプライ・チェーンを搾取することは短期的には恩恵があるかもしれない。それが長期間に及ぶと逆効果になり得るものだ。中国は巨大で世間との関わりを絶った革新エコシステムは数千もの国内技術企業と共に国家研究所にリンクするものだ。そしてそれは西側の輸出制御によって、今やずっと多くの需要や数少ない海外の競合相手しかいない。「飛び跳ねることはこの種の環境で起こり得るものなのだ」とジン氏は答えた。
中国の技術開発を妨害するための努力と同様に、米国は同盟国との協力をも増してきた。21日のG7の側面に関して、IBMは東京大学とシカゴ大学とでずっと世界で最も力強い量子コンピューターの中央部スーパーコンピューターによる開発を行う10年単位で1億ドルの主導権を握ることになるであろう。
近年の中国もまた、量子コンピューターに重点的に投資してきた。そしてそれは潜在的な軍事力と暗号解読法のアプリに変わりつつある。
だが、何人かの分析官たちは技術分離のリスクに向かう行進を恐れている。発展途上国を股にかけて経済的引き締めを確固たるものにすること、そしてそれは政府のポピュリストや独裁主義的姿勢を後押しすることを育む期間で逆効果になり得るものだ。問題はパキスタンからチュニジアまでの範囲に及ぶ各国で政治的不満や民主主義的な約束不履行という火に油を注ぐようなものであるということだ、と国連国際危機グループのリチャード・ゴーワン所長が述べている。グローバル・サウスの葛藤する国々のためにもG7からより経済的援助を求めたい考えだ。
「経済的引き締めは世界中で政情不安を引き起こしている」のだと。
[出典:「TIME」“Zelensky Was the Undisputed Star of the G7―but the Focus Remained Firmly on China”(May 22, 2023)]
ここまで対中国の立ち位置を主に経済面から考察してきた。
それではもう一つの大国インドの存在感を見ていく。アンガス・マディソンの経済統計を引き合いに西暦0年から1800年まで中国とインドが世界経済の半分までを占めていた。欧米の時期に急速に転落したのは「植民地主義(コロニアリズム)」があったからだと言われている。
[出典:AFPBB News]
なぜ、G7にはインドが必要なのか?第1に「国際通貨基金(IMF)」によれば、インド経済はG7のメンバーの3か国―フランス、イタリア、カナダよりも巨大である。GDPは2兆6600億円であり、世界で最速の経済成長力を持つと2023年から2024年までは成長率5.9%成長することが期待されている。世界銀行もまた、7大新興市場と発展途上経済の中でインドの成長率は最も高いと定評がある。
第2に米国と共に日本、欧州連合(EU)ともよりインド・太平洋地域で関与を強める政策に練り上げてきた。過去数年後には英国、フランス、ドイツといった欧州からのG7メンバーも彼ら自身のインド太平洋戦略を練り直さなければならなくなるだろう。イタリアも多分に最近のインド・太平洋地域との関与への意向を示してきた。
グローバル地政学と地経学的中心地はインド太平洋へと移行していく。欧州諸国は熱心にその地域が申し出て経済的機会から恩恵を得ようとしている。しかしながら、インド・太平洋はそれ自体が戦略的経済的足跡を拡大している好戦的な中国への挑戦の意味合いをもつ。西側諸国のためインドは中国を含む主要な戦略パートナーとして現れた。特にインド洋をインド太平洋地域を構成しているものの中にG7メンバーの中でインドが戦略的パートナーシップを米国、英国、フランス、ドイツ、そして日本と築く。インドとイタリアとの関係性は迅速に戦略的領地へと拡大していっている。
第3にインドは、ロシアーウクライナ戦争が引き起こした、予測していなかった欧州のエネルギー危機を解決するための輸送経路を持つ国である。この戦争が始まる前、欧州はその原油とガスの供給をロシアから40%弱確保していた。欧州諸国がエネルギー危機に落ち込んだのは、ロシアからのエネルギーの購買力が過去1年間に渡り減少してしまったからだ。
ロシアから欧州諸国が原油輸入を減らしていることに派生した損失分の賠償のための値下げした価格でロシアはインドにその原油取引を持ちかけた。結果としてエネルギー供給は値下げ価格で確保でき、インドはロシアからの原油購買を増やした。ロシアはインドの原油トップサプライヤーになった。
第4にインドはロシアと西側諸国双方と真心を持って結びつきのある世界の中でも少ない諸国の一つだ。ウクライナでの戦争は視界に入ってくるものの範囲では終わりの見えない一年以上ダラダラと長引いている戦争である。その戦況は現在も行き詰まる方向へ向かっていると言い得て最も相応しい記述がなされている。
西側諸国はウクライナへの武器供与を継続している。一方ロシアはまたキイウへの空爆を激化させてきた。その戦争は既に多くの西側諸国のための経済とサプライ・チェーンを崩壊させてきた。インドができたこととは、直接、間接を問わぬ調停を通じて近しい未来において戦争中の双方のメンツを保つ選択肢を申し出ることだ。ロシアと西側諸国とを結ぶバランス感覚にアプローチできるインドはあらゆる可能な対話と外交の場合において重要な想定ができ、結果として戦争は終戦に持ち込めるだろう。
G7の拡大か、それともG8を再構築するのか否かはインドをもてなすこの時にまだ見られていない。しかしながらインドのG7への関与はG7メンバー国が直面している挑戦に断固として取り組まなければならないことは避けられないであろう。
[出典:「THE DIPLOMAT」”Why Does the G7 Need India?” (May 20, 2023)]
<1>「国連・NATOコソボ紛争」への「国際共同体による『介入』の指針枠組み6原則」が膠着したウクライナの最小限介入の参考になるのではないか?
英国のロビン・クック外務大臣が2000年の米国弁護士協会昼食会での演説で下記のように述べた。
[出典:英国ロビン・クック外務大臣 wiki]
⑴あらゆる介入は定義上、予防の失敗を承認すること。紛争予防の文化を強化する必要がある。小火器取引、しばしば紛争を増幅させるダイヤモンドの不法取引を阻止する必要がある。紛争原因、何よりも貧困を削減するように開発政策を利用する必要がある。
⑵軍事力は最後の手段として使用するという原則を維持すべきだ。
⑶暴力をやめさせる直接の責任は、その暴力が生じている国にある。時として国家にその意思があっても、その能力がないという場合があり得る。その場合要請があれば国際共同体は助けるべきだ。
⑷圧倒的な人道的惨事で、政府が抑止する意思または能力がないあるいは積極的に促進していることが明らかな事態に直面した場合、国際共同体が慎重を期して介入すべきである。大規模で緊急援助を必要とする極端な人道的苦痛である確かな証拠が必要だ。人命救出のために武力行使以外の実際的代替案がないことが明白で諸国の主権的権利とコソボ介入のように「国際共同体」の人道的権利を正しく均衡させなければならない。
⑸武力行使も人道目的の達成に比例しなければならず、また国際法に合致して実施されるべきである。実際の人間の苦痛の規模が軍事行動の危険性を正当化してしまう。目的を達成する確率が高くなければならない。
⑹武力行使は集団的でなければならない。コソボへの介入は19のNATO加盟国の支持と1999年4月のワシントンNATOサミットに参加した42のヨーロッパ諸国による「全会一致」の支持に裏付けられた「集団的決定」だった。
クック氏は「国際法は諸政府の主権と越境的な不干渉義務を中心に据えており限界がある。」と付加し、「当時の(過去数十年の)うちに紛争で数百万人が亡くなっている。戦闘員よりも市民の犠牲者数が圧倒的に多い。国際的な戦争ではなく、国内的な闘争による犠牲者だった。国家間であれば許容されないような一国内の死傷を食い止めるためにいつ、介入すべきか?ということに関する新たな規則が必要だ」と提起した。英国はコソボ介入したNATO連盟国のどの国とも違うスタンスを持っていた。人道目的の武力行使という「国際共同体の人道的権利」を一般的に認める新たな規則の必要性を主張した。
[出典:<論説>「武力不行使原則における人道目的の武力行使の位置付け(一)―『違法だが正当』という言説を手がかりに―」掛江朋子著]
また、<2>「東アジアNVC(Non Violence Community)武力不行使共同体」
筑波学院大学の三石善吉名誉教授が「武器なき国防―その理論と行程表―」の中で政策提言されている「東アジアNVC武力不行使共同体」が「非戦の究極の理想図」になるのではないか?
[出典:筑波大学基金 筑波学院大学学長・名誉教授]
2007年11月20日に行われた「ASEAN10」首脳会議は(1)「ASEAN憲章」(2)「ASEAN経済共同体ブループリント(AECBp)」宣言の2項目を採択した。
このうち(1)の「ASEAN憲章」14原則の中の法的根拠とは、第2条「原則」第2項(c)によって「武力の使用や脅威や侵略を放棄する」ことが規定され、ここにいう「東アジア共同体」が「武力不行使の共同体」であることを高らかに宣言した。
また同時にこれまで2020年に完成予定だった計画を5年に前倒しし、2015年までに「単一市場」の「ASEAN経済共同体(AEC)」を創設すると宣言。これを併せて「武力不行使共同体」であることを宣言したのである。「国際不戦共同体」であることを目指す、三石氏が「アジア不戦共同体」の樹立の提言は…
(1)国連憲章第2条「原則」第3項により、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
(2)同条第4項、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものもまた、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」
(3)国連憲章第6章「紛争の平和的解決」
(4)国連憲章第7章「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」
また、(5)日本国憲法第9条「戦争の放棄、戦力及び交戦権の全面放棄」(通説)
(6)「ASEAN」2文書:「バンコク宣言(1967年)」「東南アジア友好協力条約(1976年)」
さらに新たに提起に加えられた「国家元首不戦宣言」
(7)各国憲法の平和条項の有無(筆者略)である。
(7)の「国家元首不戦宣言」の提起は、英国の「権利章典(1689年)」と「王位継承法(1701年)」に倣ったもので、本権利章典(6)には「カトリック教徒が法に反して武装され登用されているその時に、プロテスタントである善良なる臣下の『武装解除』をさせ」とある。また同章典第9章の立法趣旨は、カトリック教徒と関わる者はすべて永遠に王位継承者たり得ないことがわかる。
これにより、「無法者元首」の出現を予防すべく、下記のように規定する。
「東アジアの平和主義を否定するものによって、東アジアの各国が統治されることは東アジア諸国の安全と福祉に反することが経験によって明らかにされたので、前述列挙した国連憲章及び、日本国憲法第9条1項、ASEAN2文書、東アジア諸国憲法の平和規定の平和主義を否定するものは、一人残らず全部、国家元首としての権力を行使することから排除され、かつ永遠にその能力なき者とする。」
三石論文の表題通り、「武器なき国防」実現への一種のアイデアの「投擲」である。
[出典:「『武器なき国防』―その理論と行程表」三石善吉著]
イラク戦争、アフガン戦争は中東であり、ウクライナは欧州・ NATOであり、東アジアは文字通り日中韓台湾を含むASEANの領域と各自バラバラに立論すべきカテゴライズだとは思うが、明示的な紛争解決策のヒントとして平和・不戦を希求する「国際共同体」などから模索する「叩き台」になることができれば甚幸である。