滝沢秀明ジャニーズ事務所への ”決別” を紐解くには、ウクライナ民話の『小さい白いにわとり🐔』を知るとよい

  by あおぞら  Tags :  

滝沢秀明ジャニーズ事務所副社長兼ジャニーズアイランド社長の辞任は衝撃的だったが、ある程度納得できるものだった。

この企業経営は上場企業も芸能界のマネージメント会社も本質は同じであると思う。

特に同族経営はカリスマ社長が退任、または死去により後継者がファミリーから出る際、その後継者が相当優秀かつ人間的器の大きな人物でないと会社をまとめていくのはかなり難しいと思う。

ジャニーズ事務所の社長は藤島ジュリー景子社長、56歳。創立者ジャニー喜多川の姪にあたり、ジャニー喜多川は母親の弟であった。

藤島ジュリー景子社長の経歴を調べると上智大学を卒業後、フジテレビに入社し秘書室勤務となっていた。ここでわかったのは、ジャニー喜多川の姪であることで、フジテレビの秘書室に勤務出来たのは所謂、忖度であろう。

この方の人生はわからないが、一般市民の経験する苦労はあまりされていないだろうし、サラリーマン、サラリーウーマンが体験する冷や飯を食わされたり、煮え湯を飲まされた経験は圧倒的に少ないと思う。だから苦労をしてこなかったゆえ、他人の痛みが慮れないのではないだろうか。

あの苦労人で、真面目なタッキーがジャニーズ事務所を、しかも副社長でありながら辞職すること自体がどう考えてもおかしいし、マスメディアは辞任理由を探っているようだが、海外住まいの筆者はこう考察してみる。

まず、↑ の『小さい白いにわとり』というウクライナ民話をご存じだろうか? これは働きもののにわとりが種を蒔き、小麦を育て、収穫し、パンに仕上げ食卓に出すまでの工程で仲間のぶた、ねこ、いぬは何ひとついっさい手伝わなかった。しかし、焼き上がったパンは食べると言い放つ、身につまされるお話しである。

タッキー辞任のニュースを知り、いち早くこの『小さい白いにわとり』がひらめいた。

そして、ニュース記事を読んでみると接点はあった。

『Snow Man』や『SixTONES』をデビューさせ人気者に仕上げたら、滝沢秀明副社長は手塩に掛けたSnow Manのマネージメントから外されていたと。

タッキーが人情味のある人物だとわかったのは、ジャニーズWESTデビューの際にひと悶着あり、デビューを期待していた濵田崇裕のことを気にかけていたことだ。濵ちゃんはいい子。でも、デビューするほどキラキラ輝くアイドルでは正直なく、ジャニーズWESTデビュー予定から外されたのも、エンタメビジネスから見ればジャニー喜多川の冷血な目は正しかったと思う。しかし、苦労人男・滝沢秀明は濵田崇裕をキチンと気にかけ後押ししていたのである。この辺りから立派な経営者になれる要素が垣間見れる。

ジャニー喜多川健在の時代は、氏は”圧倒的スター性”を重視したので、並のアイドルはデビューさせていなかったはずだ。だから今もジャニー喜多川が社長であれば、他意はないがSnow Manがデビューできたかどうかは疑わしいと見ている。

当時の滝沢副社長の手腕と強行突破でデビューさせたと思われる『Snow Man』や『SixTONES』に対し、藤島社長はあまり乗り気でなかったと邪推する。しかし、蓋を開ければ紅白歌合戦にも出場し化けたわけだ。そうすると自分の配下に置いて、それこそウクライナ民話の『小さい白いにわとり』のぶた、ねこ、いぬのように、何も手伝わなかったものが利益だけは享受しようとするような、姑息な態度を見せられてタッキーは心底嫌気が差したのだと思う。

このようなことは一般社会、企業でもよくある話だ。部下の手柄を横取りすると言う情けない上司に呆れて辞表を出す社員も少なくはない。

タッキーは副社長就任後、何度もこのように冷や飯を食わされたのだろ。そして、これ以上は容認できずと反旗を翻したと見る。

だからね、ぼんぼん社長や、嬢ちゃん社長になると内部分裂が起きがちで、社長の器じゃない人は縁故者だけで社長の椅子に座らせるというのは愚の骨頂と言うものなのだよ。

ちょっと、言葉、厳しかったかしらん?

ニューヨークから発信しています