ロシアがウクライナに侵攻し、民間人が殺されている戦争が起こってしまっている。こちらニューヨークは公立学校で生徒のマスク着用が解除されたり、コロナ下なれど徐々に普通の生活に戻りつつ兆しはある。
しかし、街全体は重く感じる。ニューヨークは移民の街なのでウクライナ系アメリカ人の多いイーストビレッジでは、相当の緊張感があるだろう。
一度、ウクライナ系アメリカ人の女性と仕事をしたことがある。彼女は過去、日本の企業で働いたこともあり、一緒に仕事をした時は出版社に勤め、子供向けの本を担当していた。
特にアメリカでは、何系のアメリカ人であるのを聞いてはいけない暗黙のルールがある。面接では当然ご法度だが、初対面の人にも当てはまる。ただ、自分から言うのは問題ない。”因みにルーツはどこ?”の意味合いは英語ではエスニック・バックグラウンドと言う。
ウクライナ系女性との会話は弾んだ、ランチ迄ご馳走になる程だった。アメリカ人と会話する時は話題豊富に限る。私が知る限りのウクライナの知識を述べてみた。
・国旗の色は水色と黄色の二色で、建国の際、青空の下に豊かな小麦がある食料に困らない願いがある。
・首都キエフは芸術の街で、メトロポリタンオペラにキエフのオペラが招聘されたことがあった。
・アンディー・ウォーホールはウクライナ系でもある。
日本に住んでいたら、これらのウクライナ情報は知る由もなかったが、ニューヨークには領事館が国連近くに集中しており、知らない国旗を見つけると、その国を調べるようになったため、国旗の意味合いは知っていた。
オペラも身近にあり、キエフのオペラが招聘されたスケジュールを見て聞きなれないキエフの存在を20年以上前に知った。
そして、ウクライナ系アメリカ人の多いイーストビレッジに、小さい規模だがウクライナ美術館がある。こちらには年に数回足を運ぶ。そこでアンディー・ウォーホールはウクライナ系であることを、ウクライナ系アメリカ人紹介のパネルで知った。
3年前に知り合ったウクライナ系の女性の名刺も既に失くしてしまっていて、名前も覚えていないが肌の白い、目の青い美しい女性だった。仕事に真面目で大きなバッグに自社の児童書を沢山詰め込んで持ち歩いていた。あんなアメリカ人、いままで見たことなかった。
ウクライナ民話に『小さい白いにわとり』という勤勉なにわとりの話があるが、彼女は小さくはなかったが、勤勉なにわとりそのものだった。成人したお嬢さんがいらっしゃると聞いた。きっとウクライナ美女なのだろう。
日本人の私が初めて接したウクライナ人は、美しく勤勉な女性だった。それに何より優しかった。そんな彼女の祖国で戦争が起こっている事実は辛い。
平和っていったい何なのだろう? 我々は何も助ける手立てはないが、戦争反対には声を上げたいし、国連前でのウクライナ系アメリカ人の悲壮感溢れるデモも静かに見守るだけだが、戦争が早く集結することを祈るしかない。