今こそ 水木しげる先生の『幸福の七カ条』を心に留めてほしい

  by あおぞら  Tags :  


            (水木しげる先生、3歳当時のお姿)

 子供の頃、テレビで『ゲゲゲの鬼太郎』を見る時楽しみだったのは、🎵たのしいな~ たのしいな~ おばけにゃ学校も~ しけんもなんにもな~い の主題歌を聞くことでした。ただただ、羨ましかった….

 しかしですね、大人になった現実は、学校はなくても労働があり、試験だってあるし、もっともっと大変なことが一杯なんです。くじけそうになりますね、負けそうになりますね、凹みますね(ところで、この漢字、秀逸❣)。

 そういう時は哲学者より、歴史上の人物より、ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる先生の『幸福の七カ条』を知って欲しいです。

 水木先生は子供の頃から落ちこぼれでした。言葉を話すのが遅く、両親は心配されたそうです。小学校に入っても寝坊ばかりで毎朝遅刻。青年時代もパッとせず、軍隊時代は1943年に南方でオーストラリア軍やアメリカ軍、ニュージーランド軍との前線で、激戦区のニューブリテン島ラバウル行きが決定。入隊前に郷里の境港へ帰省するも、両親とは何も会話が出来なかったそうです。

 軍隊に入れば軍隊生活に馴染めず、もともと集団行動など出来なかったため、上官から目を付けられ殴られっぱなしの日々、これはキツかったですね。そして左腕を負傷し、麻酔のない状態で左腕切断手術を受け、壮絶な生死の境を生き延びたわけです。

 後年、漫画家となり大成功を収めた水木しげる先生は、紫綬褒章、旭日小綬章、文化功労者、東京都名誉都民、調布市名誉市、授与されます。

 落ちこぼれ少年が、戦争で左腕を失っても、これだけの功績を残したのです。それに水木先生は愛されキャラで、妖怪と同様お金も大好きで、ご自身の金満ぶりを時に自慢されたようでしたが、それを誰も『イヤミ』とか『自慢している』などと、否定的な感情でなく、微笑ましく笑えるエピソードと受け取るようでした。

 普通、左腕を失くしたら、そのまま希望も見失いそうになりますが、人生、前へ前へ突き進んだのです。水木しげる先生の本を読む機会があれば是非読んでみてください。ほんわか、じんわり、ゆっくりと勇気が湧いてきます。

 もし、本を読む時間がなかったり、買えなかったり、はたまた図書館になかったりした場合は、特効薬とし水木しげる先生の『幸福の七カ条』を読んでみてください。

 決して大上段に構えることなく、淡々と語る成功者の言葉に耳を傾けたくなるはずです。

           ●●● 幸福の七カ条 ●●●
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまでも自分の楽しさを追求すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 なまけ者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

 水木しげる先生の幼少期の写真の三輪車に乗る姿は愛らしいですね。両親の愛情を一杯受けて育ちました。この写真の可愛い小さい左腕が、後に戦地のラバウルで失うことなどこの時、誰が予想できたでしょうか?

 苦境に立たされても前を向く強さ、信じる力、これらを貫いたのが水木しげる先生でした。人知れぬご苦労を人以上にされたことでしょう。しかし、そんなこと何も愚痴らず人を笑顔にしていらっしゃいました。

 水木しげる先生の『幸福の七カ条』を心に留めて、年末・年始、そして素晴らしい2022年をお迎えになるようお祈りいたします。

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