【Noreen Ayres Self-portrait and author books©️Amazon.com & Noreen Ayres】
「ノリーン・エアズ」という作家。
A writer cannot choose when or if success will come.
You can only do your best and be prepared for your moment of opportunity by writing, writing, writing and then writing some more.
By Noreen Ayres
(©️「だから、あなたも負けないで」シンシア・カーシー/リチャード・H・モリタ[イーハトーヴフロンティア]より)
「お前が物書きになるって?なれるわけないじゃないか!」
「そんなに行きたいんだったら、自分の力だけでお行き。今すぐこの家を出て、勝手にするがいい」
両親に反対された17歳の少女は家を出てアルバイトをしながら大学に進学し、「いつかは小説家になる」という夢を抱きながら教授のもとで文学的な才能を開花させようとひたむきに頑張っていた。
ノリーン・エアズ。
大学一年でできちゃった婚をし、一児の母となる。
母親、主婦、学生の三役をこなし、八年をかけて大学を卒業。
ノリーンは小説家になるという夢を捨てたわけではなかったが、子育てに追われ、しばらくは専業主婦として毎日を送っていた。
子供の成長とともに主婦業のかたわら、教員免許を活かして臨時の教員を勤めたり、秘書の仕事も経験した。
ノリーンの小説家になりたいという夢は日増しに情熱が膨らんでいき、少しでも夢に近づこうと給料や労働条件を無視して出版の仕事に就き、校正や医療関係専門のテクニカルライターとして仕事をする。
仕事が終わり、家事を済ませたあと、ノリーンは小説を書き続けた。
そして書いた小説をコンテストに出したり、出版社に送り続けた。
その間、短編小説がコンテストで優勝したこともある。編集者から激励の手紙が何度となく届いたこともあった。
しかしノリーンの努力とは裏腹に、ノリーンの小説を売り出そうという出版社は一社もなかった。
あっという間に六年の歳月が流れ、ノリーンは39歳になっていた。
毎日のように送られてくる不採用通知。その不採用の文面は上辺だけの言葉で綴られた言葉でかえってストレスになった。
不採用通知の山は、21年間続けてきた結婚生活のピリオドを打つ原因にもなった。
ノリーンには家庭を取るか、小説を取るかという選択肢はなかった。
どんなに不採用通知の山があっても、一度として小説を書くのをやめようとあきらめたことはなかった。
ついに彼女は夫と離婚し、再び一人になった。
あの17歳のときと同じように、小説家への夢の実現に向けて孤独な闘いを始める。
出しても出しても返送されてくる原稿。郵便受けからあふれ出すいんぎん無礼な不採用通知。受話器の向こうから聞こえてくる丁寧とは言い難い不採用の声。ファックスからは音もなく「NG」の通知が流れ出る。
小説家を目指すほとんどの人は、この不採用通知の山に降参して書くのをやめてしまう。
しかし彼女は自分の夢をかなえるために大きな決断をした。ノリーンの夢は決して色あせることはなく、それどころか日に日に増していった。
そんなとき、ノリーンはある男性と出会う。トム・グラゴア。自分と同じ小説家になるという夢を持っている人だった。
ノリーンは力強いパートナーを得て再婚する。
二人は小説を書くことに専念した。仕事以外の使える時間のすべてを小説につぎ込んだのだ。
その後、六年の努力の日々が過ぎる。
ノリーンもトムも40半ばを過ぎ、もうすぐ50歳。時間は限られていた。
ある日の夜のこと。
「ノリーン、最後の賭けに出ないか?」とトムは言った。
「仕事をやめてフルタイムで小説を書こう。家を抵当に入れて銀行からお金を借りよう。そのお金が続く限り、小説を書いて書いて書きまくるんだ。それでたとえ僕たちの小説が売れなくても、自分たちがもっと歳をとった時に『ベストを尽くした。やれるだけのことはすべてやった。これで悔いはない』って思えたらそれだけでもいいじゃないか。今のままでは、いつまで書いても同じだ。100パーセント小説に取り組んで、何かを見つけよう」
その決断から一年六か月が経った。
二人は今までの実力をすべて出し切った小説を書いて出版社に送った。
結果は・・・
「不採用」
二人は愕然とした。しかしノリーンは言った。
「まだお金は少しだけ残っているわ。」
ノリーンとトムは再び闘うことを決めた。
二人は新たな作戦を練った。不思議なことにやれるところまでやった自信作が不採用になったことで何かが吹っ切れたのだった。
二人は50歳を目の前にして小説家を目指す若い人たちが集うグループに参加するようになった。グループのメンバーから勇気と知恵という燃料をもらい、再び情熱を燃やし、今度は作風を変えてミステリーを書き始めたのだ。
最初に書いたミステリー小説を33のエージェントに送った結果、すべて不採用。
二人は不採用理由に耳を傾けた。
「文体はとてもいいが、ストーリーそのものが的を得ていない。」
今まで採用結果だけ気にして自分の才能を信じるあまり、アドバイスに耳を傾けなくなっていたことに気づいた。
「どうせ、あなたたちには、この小説のよさなんてわからないんだわ。」
といった強気な態度だったのだ。
しかしノリーンは作風を変え、同じ小説家を目指す若いグループに参加したことによってとても積極的かつ謙虚になっていた。
ノリーンは不採用の評価を学習のチャンスと捉えることができたのだ。
「私、犯罪捜査と法科学を学びに大学に行こうと思うの。根本からやり直しよ」
さらに雑誌などから、犯罪論文を集め、また専門家にインタビューもした。そしてある日のこと。偶然目にした小さな事件がノリーンの直感にびびっときたのである。
それは、とても真面目なコンビニエンスストアの店員が無残にも強盗に襲われ、惨殺されるという事件だった。
好奇心をそそられ、ノリーンはこの事件をさらに詳しく調べた。
「事実は小説よりも奇なり」
この事件の真相はとても奥が深くミステリーなものだった。
ノリーンはこの事件を題材に小説を書き始めた。
最初の100ページを書き終えたところで多数のエージェントが出席するミーティングにその原稿を持っていった。
ノリーンの今回のアプローチは今までのやり方とは違っていた。
ただ出版社やエージェントに原稿を送るのではなく、ミーティングに出る前に出席するエージェントの背景や評価基準などを綿密に調べ上げたのだ。
通知はすぐにあった。
「原稿料として前金でいくらほしいですか?」
採用だった!
通常、初めて出版する小説家に支払われる金額は5000ドルから7000ドルだったが、ノリーンは相場を知らなかった。
このお金であと二年間、また小説を書くことだけに専念するには?
「15万ドル、15万ドル必要です」
数日後、まだその条件を満たす出版社がないと前置きしながらもエージェントから電話がかかってくる。
「あなたの本を当社はどうしても扱いたいのです。ほかのエージェントには売らないでください。そのかわりにその本については12万ドルをお支払いします。そしてそのほか二冊の本の契約をしていただけませんか?」
それは新人作家にとっては前代未聞の取引条件だった。
ノリーンは処女作が出版されたとき、すでに52歳になっていた。
ノリーンは小説家になるまで実に35年を要した。
処女作「ア・ワールド・ザ・カラー・オブ・ソルト」は1992年に発表され、大ベストセラーとなり、高い評価を受けた。
そして彼女の名前は一躍世間に知れ渡ったのだ。
1994年には「カーケス・トレイド」を、三作目の「ザ・ファン・ドゥー・マーダーズ」を発表した。
ノリーン・エアズは言う。
「小説家は自分でいつ売れるのか、いつ成功するのかということを勝手に決めることはできません。その時々で最善を尽くすだけなのです。小説家になろうとする人間にできることは『書いて書いて、書きまくる』ことだけです。そうやって、チャンスを自らつかむしかないのです。」
(©️「だから、あなたも負けないで」シンシア・カーシー/リチャード・H・モリタ[イーハトーヴフロンティア]より)