安井金比羅宮 「京都に祟りをもたらす」ことと「良縁を結ぶ」ことになんの関係が?

  by 飯島麻夫  Tags :  

< 安井金比羅宮のキャッチコピー これが間違いのはじまり?(京都、東山 著者撮影/iPhone)>

< 安井金比羅宮の由来 当然嘘はひとつも書いてない(京都、東山 著者撮影/iPhone)>

安井金比羅宮に祀られているのは崇徳(すとく)天皇。
この方は5歳で天皇に即位後、後白河上皇と権力を争って(保元の乱、1156年)敗北。流刑先の讃岐で非業の最期(ということになっている)を迎えた。
死後10年ほど経った頃京都に大火災、後白河側の人たちの急死等の不幸が続くと当時の貴族の間で「これは崇徳天皇の祟りではないか?」との噂が広がった。天皇が流刑にされることなど歴史上珍しいので貴族たちの負い目もあったのだろう。

実際に執念深い人だったかどうかは知らない…が、とにかくそういう噂が実しやかに広がった結果、後世の物語などでも「大怨霊」として描かれるようになり、魂が京都に舞い戻って祟りをなす…という「大怨霊」のイメージがすっかり定着してしまった。

この厄介な大怨霊を鎮めるために建てられたのが安井金比羅宮の前身の寺とのことで、この話だと「縁切り」とはなんの関係もなさそうだ。実は後の江戸時代になってから「崇徳天皇が讃岐へ去る前に諸々一切を絶って祈願された」という故事に習って縁切り祈願所というコンセプトが後付けで生まれた…とのこと。

なんというか、何もかもがトンチンカンじゃないか?そもそも崇徳天皇を「大怨霊」にのし上げてしまった事情も???だし、「縁切り」祈願所になった経緯も、「縁切り」から「縁結び」に展開してそれに結婚したい女性が群がるというのも???。多分神社側に全く悪意はないが、成り行きでそうなってしまったものはすでにコントロール不能ということだろうか?

大怨霊である崇徳天皇がお暴れにならぬよう、なんとか穏便に抑えていただくための神社である。大勢で押しかけてトンチンカンな願い事ばかりかけていると、そのうち大怨霊としても堪忍袋の緒がキレるのでは?

良い神様ばかりじゃない…ということを忘れちゃいけない。

「人の10倍考える」を信条に色々とやってます。 元銀行員で現在も金融系のIT開発等に携わるフリーランス。JICA国際協力ボランティア(パプアニューギニア)

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