< 弘前城天守閣 1810年完成の比較的小規模な天守閣(青森、弘前 著者撮影/iPhone>
< 弘前城から見る岩木山(青森、弘前 著者撮影/iPhone)>
日本の天守閣で江戸時代以前のまま残されているものは12だけとのことで、何とこの弘前城はその一つに入っている。それでも各地で天守閣の再建に熱心なのは日本の城が美しく、ランドマークとして愛されてきた証なのだろう。
とはいえ、城壁や堀なら少しの時間稼ぎにはなろうが、天守閣自体が籠城戦において役に立つことなどなさそうに思える。一方、攻める側は総力を上げて天守閣を燃やそうとする。天守閣が燃えれば籠城する側に与える精神的ダメージが大きいからだ。そういう意味では天守閣というのはそもそも燃やされるためにあるようなもので、我が国にわずか12しか残っていないというのも納得がいこうというもの。
現代に置き換えて考えてみると空母というのは天守閣みたいなものじゃないだろうか?…と思う。いざ戦争になれば対艦ミサイルのいい攻撃目標を作ってやるだけ…という気がしないでもない。で、いざ空母を失ったときの精神的ショックはとてつもなく大きい。
空母にせよ天守閣にせよ、あと戦艦大和にせよ、人間というのはどうしてそう象徴的なものにこだわってしまうんだろうか?
了