小山田圭吾が活躍していた時には私は既にニューヨークにいた。当時はYouTubeなどなく日本の情報は職場で読む衛星版の日経新聞か、時事通信の速報がファクスで毎朝送られてくるものしかなかった。
そしてYouTube到来で、かつては日本から録画されて送られてくる『探偵!ナイトスクープ』のビデオを待つ必要もなくYouTubeで、過去の放送分も見ることが出来た。
それは小沢健二の歌に関する『お母さんが誰のなんという曲だか思い出せない歌がある』の依頼で、答えは「それはちょっと」だったが、あまりにも愛らしいその歌の虜になり、オザケンを一気に検索し始めて愕然としたことがあった。それがフリッパーズ・ギター当時のメンバー、小山田圭吾のこのいじめ問題を知ったからだ。
オザケンがこんな人と組んでいたのは、オザケンもこの要素があったのだろうか?とオザケンまで非人格者?と訝しく思った。小山田圭吾をクリエイティブ・ディレクターに選んだ方々、ニューヨーク住まいの私ですら小山田圭吾の音楽は知らねども、この吐き気をもよおす鬼畜の所業は知っていたのですぞ!身体検査の脇が甘すぎたことを大いに反省していただきたい。
さて、長々しい前置きはここまでにして、私の好きな藤原正彦先生のベストセラー『国家の品格』で学んだことに『什の掟』というのがある。これは会津藩の白虎隊を教えていた日新館という藩校で教えられていたことだ。
1つ、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
2つ、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
3つ、虚言を言うことはなりませぬ
4つ、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
5つ、弱いものをいじめてはなりませぬ
6つ、戸外で物を食べてはなりませぬ
7つ、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬならぬことはならぬものです。
最後の『戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ』は現代では無視していいが、4つ、5つの『卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ、弱いものをいじめてはなりませぬ』は日本国民が徹底すれば、確実に住みよい国になるはずだ。
いじめは子供の世界だけでなく、年をとっても残念ながらあるものだ。職場でのいじめ、介護施設内でも行われている。恥ずかしいことだ、いじめる側。
小山田圭吾は辞任前にいじめた同級生をさがして謝りたいと言った。オリンピックの名誉を手放したくないあがきだったのだろうが、いじめられた当人は今さらそんなことしてもらっても….の気持ちが強かったはず。
因果応報で、世間からバッチリ制裁を受けた元いじめっ子、イヤ、場合によっては少年院に行く程の卑劣ないじめの当事者だった小山田圭吾は、世界の主要メディアで取り上げられることにより、いじめを受けた元同級生は胸がすく思いだっただろう。
小山田圭吾殿、『什の掟』をお読みになるとしたら、どんな感想をお持ちになるのだろう?