衰退し続けるニューヨークですが、今現在は日本の本屋は紀伊国屋書店やブックオフしか思い浮かびませんが、かつてはグランド・セントラル近くに旭屋書店もデ~ンと構えていました。
その旭屋書店があった20年近く前、五木寛之さんの『他力』の英語版のポスターがガラスに張り出され、通り過ぎる人たちが注目するようでした。何せ、若き日の五木寛之さんがカッコよく、ニューヨークというスタイリッシュな街にもそのポスターは馴染んでいました。
コロンビア大学で五木寛之さんの講演会が開催され、しかも無料で、更に講演会が終わった後にこの『TARIKI』の英語版の本を頂けるというのですから太っ腹。コロンビア大学での五木寛之さんはお年を召されていても、とても素敵で、ありきたりな言葉ですがとてもダンディーでいらっしゃいました。
さて、その五木寛之さんの『他力』について年末考えてみました。理由は『M-1グランプリ アナザーストーリー』を見ていたら、この世の中は自力でどうにかなることもあるけれど、基本、他人に委ねられることも半分くらいあるのだろう…と思ったことでした。
例えば自分では面白いと思っていても、それは他人が評価すること。お笑いの頂点のM-1グランプリは7人の審査員によって決められるもの。それに出演順にかんしても笑神籤により決まり、その出演順によって勝敗が大きく左右されること。
自分の努力も当然必要ですが、他人により生き方が決まっていくのは、この地球上の文明社会に生きている人たちの殆どに当てはまると思うのです。
就職試験に関して、特に難関はアナウンサー試験でしょう。これは話し方以前に特に女性アナウンサーでは容姿が重視されます。しかし、容姿以上に決め手があるとしたら、親の力が大きければそれで採用が決まるケースがあります。本来であれば採用される方が、いきなりの親のパワーゲームで採用されたアナウンサー登場で、涙を呑んだ不採用の方もあったことと思います。
オリンピックで短距離走や、マラソン、水泳などの時間で勝敗が決まるものは自力ですが、フィギュアスケートなどは審査員の好みも反映されます。フランスのフィギュアスケート選手でダイナミックな演技をされる黒人女性が良い評価を得られなかったのは人種差別によるものだと物議を醸しだしたこともありましたが、その選手が白人選手だったら結果が違っていたかもしれません。
人生でうまくいく、いかないは運・不運によるものもありますし、自力も勿論大切ですが、それと同時に他力の支配も知っておくと、少し生き方が楽になるかもしれません。
コロナ鬱という新語が生まれた2020年。現代社会に於いて心の病を患う方も多い中、さらにコロナ禍により鬱状態を体験する方も多かった今年。もし、生き方にキツさを感じている方がいらっしゃれば、そんなに深刻にならずに、頑張り過ぎないで、他力という風穴を知って欲しいと思います。
自分で生きる人生ですが、自分の力ではどうにもならないことも半分くらいあるのが世の中のしくみのようです。
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