「ニート」という言葉が流行してから、もう何年になるだろうか。今ではすっかり、日常語となっている。
働かない、あるいは働けない若者たちが、増え続けている。
彼らを雇用へと導くため、各種団体や支援者が、様々な取り組みを行なっている。
「中間的就労」も、その一つだ。
働く気がなくて怠けていたり、わがままで仕事の選り好みをしていたり。ニートに対してはそういったイメージもあるかもしれないが、それは誤解だ。
病気を抱えていたり、対人関係に強い苦手意識を持っていたり、過去の就労体験のトラウマのせいで、働くことに対してネガティブなイメージを持っていたり……。
何らかの事情で、働きたくても働けない状態になってしまっている若者は多い。
そんな若者たちのために、本格的に働く(一般就労)までの準備段階として、就労の場を提供する。それが中間的就労だ。
NPOなどが仲介して、食堂や作業所、リサイクルショップなど、様々な職場が、働けない事情を抱えた若者たちを受け入れる。
無給のケースもあれば、賃金が出るケースもあり、様々な形態が混在している。
どのケースにも共通しているのは、受け入れる側の職場が、若者のそれぞれの事情に理解を持って接しているということだ。
中間的就労の場で働くことで、若者たちは多くのものを得られるだろう。
働いていく上でのルールやマナーなど、働くための能力も得られるが、それだけではない。
まず、職場に通うことで、人間関係を得ることが出来る。働けない若者たちには、家族以外の人間関係が断絶している者も、少なくない。人間関係が存在しないだけでなく、自宅から出ることなく暮らしていることも多い。中間的就労には、社会参加のキッカケという役割もある。
そして、理解と助け合いのある人間関係のなかで働き、社会参加していくことで、失っていた自信や社会性を取り戻してゆく。
今後、中間的就労という考え方や取り組みが広がっていけば、苦しんでいる多くの若者たちに、働く場を提供することが出来る。
しかし、まだまだ課題が多いのも事実だ。
中間的就労の場では配慮がなされているとはいえ、働くこと自体に強い恐怖心や拒否感を抱いている若者もいるだろう。人と人との関係性である以上、職場と相性が合わずに上手くいかないケースも、出てくるはずだ。中間的就労が「貧困ビジネス」に利用されてしまうことも、考えられる。
だが最大の課題は、中間的就労から一般就労に移行する際のハードルが、あまりにも高すぎることだ。
過酷な業務内容、長時間労働、顧客からのプレッシャー、理不尽なことも多い人間関係……。
中間的就労という階段を登って行き、徐々にステップアップして、一般就労にたどり着く。それが理想なのだが、現実は、いきなり断崖絶壁がそびえ立ってしまっているのだ。
働けない若者たちにとって、利益優先、効率優先の企業社会は、あまりにも過酷なものだ。
しかしこの問題の原因は、中間的就労や若者たちの側に、あるのだろうか?
そうは思えない。
企業が強いる非人間的な働き方こそが、問題の本質なのだ。
今の多くの職場は、誰にとっても働きにくいものになってしまっている。
ここ数年、大学生の低い就職率や若手社員の早期離職が、問題になっている。
そしてその原因は、「若者の甘え」などではなく、「労働環境が悪化し、まともな雇用が激減している」という、きわめてシンプルなものだ。
これを解決しない限り、いくら中間的就労等の就労支援に力を入れても、若者たちを救うことは難しいだろう。
そしてそのために、むしろ一般就労、つまり企業こそが、中間的就労の考え方を参考にし取り入れていくべきなのだ。
健康やプライベートを大事にすること、それぞれの個性や適性を考えること、お互いの事情に配慮しフォローしあうこと。中間的就労の場で行われているこれらの工夫は、すべての職場において必要なことのはずだ。
誰にとっても働きやすい、人間的な職場環境をつくり上げていく。それこそが、確実で、そして唯一の、解決策なのではないだろうか。
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