新元号「令和」の時代を迎える皇室を巡る 商業メディアの報道被害とジャーナリズムの未来

  by tomokihidachi  Tags :  

©️「朝日新聞デジタル」(2019年4月17日)
2019年4月1日に発表された新元号「令和」をもって間も無く退位される、平成天皇陛下の明仁さま、皇后陛下の美智子さまが御即位から今日に至るまで、どれほどの戦後責任を負われ、痛切極まりない思いで戦争犠牲者ら、被災地の鎮魂と慰霊の行脚を国内外で続けてこられたことであろうか。今年4月17日から天皇皇后両陛下の最後の地方訪問が始まるが、あろうことか関係の冷え込む韓国メディアから異例の皇室バッシングの声が聞こえていた。

冷え込む韓国メディアから聞こえた「天皇謝罪」を求める侮辱発言

韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長は韓国紙「ハンギョレ」(27日付)の取材に対し「慰安婦問題の解決には天皇の謝罪が必要」とした自身の発言について、「真意が歪曲されたのか」との質問に「歪曲というよりも、真意が伝わっていない」と答えた。

文氏は「誠意ある謝罪が最も重要だ、安倍(晋三)首相、あるいは安倍首相に準じた日本を象徴する国王(天皇)が元慰安婦に『ごめんなさい』とひと言、言えば根本的な問題が解決されるという話だ」と従来の主張を繰り返した。
また、「歴史の法廷で、戦争犯罪や人倫に関する罪には時効がない。ドイツが敗戦国でも欧州のリーダーになった理由は、全ての問題について謝罪し、現在も続けているからだ」と強調し、日本の謝罪の必要性をあらためて訴えた。
文氏は2月、米ブルームバーグとのインタビューで天皇陛下に元慰安婦への謝罪を求め、天皇を「戦犯主犯の息子」と呼んだ。発言に日本が強く反発した後も、韓国メディアに対し「戦時の日本国王(天皇陛下)の息子という意味だ」「日本側は数十回謝罪したと言うが、そんなことはない」などと主張した。

©️「産経新聞」(2019年3月27日)が報じた。
文氏は現在の天皇皇后両陛下の戦後責任を果たすべく鎮魂と慰霊の国内外の行脚に駆け回る職責を実践されてこられたことを単に知らないだけではないのか?

昭和天皇は戦後、批判を持ってわが身に戦争責任を引き受け続けた

昭和天皇(1901〜1989年)は、第日本国帝国憲法第4条「元首にして統治権を総攬し」また、第11条「天皇は陸海空軍を統制す」と規定されていることから、国家の最高責任者であるとする憲法学者の穂積八束氏の「天皇親政」説を定説と見做す傾向と否定説の双方があった。しかし昭和天皇に憲法学を授けた清水澄氏により、昭和天皇が定説に近しい教えを受けていた認識は、国務大臣の助言を鵜呑みにせず、自ら判断すべきというものだったという。昭和天皇は太平洋戦争終局に近づき、「神風特攻隊」という尊い若者の生存権を剥奪し、「米国による原爆投下」というおびただしい人民の命を奪う致命的な大罪を犯したことは確かだ。これは「愈々最後の決意をなすに就してはなお一度広く重臣の意見を徴し」(「木戸幸一日記」)たいと述べていた。昭和天皇が政府・軍部の意見に従うだけで良いのであればこのような措置は必要なく、自らに国家の意思決定最終権限があり、政治的責任を重責と感じていたことが窺われる発言だ。
米エノラゲイ機の広島、長崎の二度にわたる原爆投下により、1945年8月15日をもって終戦し、政治・軍部がまとまらず昭和天皇が聖断し、終戦の詔勅の中で戦死者や戦災の犠牲者を思うと「五内(ごだい)為に裂く」、つまり体が張り裂けそうに辛く苦しい面持ちであると国民に絶対的神聖化された存在として教え込まれていた天皇が、最大限の表現として、国民に対し事実上、「謝罪の意」を表明したのである。
GHQ最高司令官マッカーサー統帥と昭和天皇による初の記者会見で、「自分は日本国民の責任者であり、したがって、日本国民の行動には責任がある」「資料日本占領 第1巻」と日本の戦争責任に明確に言及した。自身に戦争責任があると認識しながらも皇室廃止を避けるべき絶対の存在であったが故に「退位」も考えられたが、叶わず、極東裁判でも「戦犯」には問われなかった。
在位を続けるには「実質責任なし」と判断すべきだと日米両政府の間で見解を同じくしたために、昭和天皇自らが戦後、公式の場でその戦争責任を問われることはなかった。
しかし国民的批判は昭和天皇崩御の89年まで止むことはなく、「朝日新聞」や日教組は米国の作った「戦後レジーム」に便乗して論陣を張っていた。
GHQの作った「日本国憲法」に対し、日本共産党は思いも寄らぬ持論を展開した。
 

24年間も共産党議長を務めた野坂参三という有名な人が「9条は一個の空文に過ぎない」「わが国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある」と言って反対したのは憲法制定議会、1946年8月の衆議院本会議においてです。こんなものは日本の生存を危うくするだけだという点を強調した。

©️「マスメディアの罪と罰」高山正之・阿比留瑠比共著<ワニブックス>

日本共産党が一番の改憲派だったにも拘らず「憲法を守れ」と言って、初めから護憲派だったような顔をしている。

ところが、1978年10月、昭和天皇は中国の鄧小平副首相の来日時に、鄧氏に非公式に戦争責任を認めて謝罪していることが日本大学文理学部の古川隆久 教授(日本近代史)著の「昭和天皇」で明らかになっている。
戦争責任を自覚しながら公式の場で謝罪することができず、批判の雨嵐にさらされ続けた苦悩が滲み出る思いも吐露することができなかったことであろう。昭和天皇は戦後、この批判を持ってわが身に戦争責任を引き受け続けられたのではないか。

それに比べ、現在の皇室を巡る一連の小室圭さんと眞子さまの雑誌メディアとワイドショーのスキャンダル報道は何事か?!

雑誌メディアとワイドショーの功罪

「小室圭さん27留学中断危機に「謎の1000万円」奨学金生活の嘘」
©️「女性セブン」小学館(2019年4月25日)

この記事は小室さんが留学する大学関係者筋の情報源のみでほぼ全て構成されているようだが、フォーダム大学ロースクールのLLMコースを修了した後、2年間のJD(法務博士)コースへの進学を希望していると書かれている。
留学費用は一体どこから捻出しているのかという猜疑の目が向けられ、どこを叩けば埃が出るのかという商業誌特有の「売れればいい」という大衆迎合的な「利潤追求第一主義」の報じられ方をされている。
世間の低劣な感情を煽り立てることしか出来ない誰も幸せにできない売り方をしている商業誌に、ジャーナリストの御旗を掲げられる使命も命運を担う責任もあるはずがない。せめてもの救いは同誌の本号を見る限り、実践介護2大特集「認知症の親が言うことを聞いてくれる言葉かけ術」と「高齢者の便秘ヨーグルトと玄米は×」という一応の少子高齢化する日本の社会貢献を果たす気概があるようだという記事だけだ。

2003年に筆者は「報道二次被害―風評被害と自我加害【エゴ・バイオレンス】(造語)―」を上梓しマガジンハウス「ダ・カーポ」編集部のフリー契約ライターとしてスカウトされた時代もあった。
今振り返ってみると、当時は「取材過程で『スクープを撮りたい』という衝動に駆られても、その後、報じられた当事者の身に何が起きるかわからない。当然の義務として、まず当事者の気持ちを第一に考えるよ」と語る報道関係者との出会いがあり「マスコミ不信」が解消されたが故にマスコミ側に寄った甘い結論になってしまった。その方との出会いがなければ、筆者は「報道」の世界に踏み込まなかったはずだ。
この際、あまり着手しなかったのは、特に「商業ジャーナリズム誌」すなわち雑誌の課題だ。当時から16年も経とうとしているのに、一向に報道による人権侵害の問題解決に進展が見られない。日本雑誌協会は「雑誌人権ボックス」を設けて久しいが、これは単にFAX設置という世間の体裁上の措置に過ぎない。キー局や新聞社、通信社には各自「報道倫理綱領」が冊子として纏められているが、「雑誌編集倫理綱領」はわずかペラ1のお粗末さだ。
この現実を目の当たりにした今の筆者はジャーナリズム業界そのものに対してほぼ幻滅しかけている。

小室圭さん巨額「奨学金」と「300万円」を新たに獲得! 皇室利用との批判の声も
©️「論壇net」(2019年4月12日)

ワイドショーは概ね社会情報局や芸能局が制作し、芸能記事とニュース記事は報道局が撮った映像を回すだけ。あとはちょっと知られた顔を並べて出演料を払えばいい。人気俳優を並べ、ロケしてスタジオで特撮して2時間のドラマを作るのに比べれば実に低コストで済む。

©️「マスメディアの罪と罰」高山正之・阿比留瑠比共著<ワニブックス>

フジテレビの番組表を見ると、午前9:50からワイドショーが始まる。「ノンストップ!」に始まり、11:55には「謝罪ブーメラン」や「失言降板」騒ぎのあったタレントの坂上忍がMCを務める「バイキング」をやって、午後13:45のニュース番組風ワイドショーの「直撃ライブグッディ」につなぎ、同風の「ライブN it!」と続く。その後は怒涛のバラエティ、ドラマラッシュでニュースと呼べる番組は深夜枠にならないと放送されない。

これはもう極限の経費削減、広告料稼ぎと言っていい。
テレビ局にとって報道の部署は、取材経費や諸経費が嵩むだけで利潤を産まない部署だと見なされている。一方、芸能関係をやれば視聴率が取れて金が稼げる。だから報道局というのは全く力がないと言っても過言ではない。

©️「マスメディアの罪と罰」高山正之・阿比留瑠比共著<ワニブックス>

ワイドショー風報道番組にも出演していたある著名なノンフィクション作家も、こうした報道の餌食になった被害者を「ピエロ」と呼び、自身は「報道被害問題にも熱心である」と言う御旗を掲げているから堪らない。

かつては同じテレビでも「報道」は「バラエティー」を馬鹿にし、「バラエティー」は「報道」を馬鹿にするという悪しき企業文化があったが、現状では少しずつ変化が見られてきた。それでも筆者が某テレビ制作会社で報道番組のプロデューサーに初対面で挨拶した時の言葉は今でも頭に残っている。
「基本は市民をバカにして撮る。障がい者だったら、奴らがどれだけ社会に迷惑をかけているのか、その恥を晒させて、晒しまくっているところを俺はカメラで撮る」と障がい者への差別意識の塊のような報道人だった。この会社全体のイメージや受けた恩義を差っ引いても、他の方はほぼ、たとえ良心的な人でも、この類の人種が確かにマスメディアに存在しているのだと知り、許し難かった筆者は制作室勤務日初日にディベートした。
「誰も幸せにならない言葉を言う人だね」と後に共に3.11の際、ボランティアに行った友人も呆れていた。

刑法第230条「名誉毀損」第1項に違反する「風評」においては、

噂であっても人の名誉を害すべき事実である以上、公然これを摘示した時は名誉毀損罪が成立する。(大判昭5・8・25新聞三一九二・一五)

©️「判例六法Professional」平成28年版01<有斐閣>

および、同条第2項「公共の利害に関する場合の特例」における「証明の程度」では、

ニュースソース秘匿の倫理慣行があるからといって、言論、出版の業に携わる者に限って特に事実の証明が不十分であっても名誉毀損の成立が阻却されるわけではない。(最判昭30・12・9刑集九・一三・二六三三)

©️「判例六法Professional」平成28年版01<有斐閣>
としている。

謝罪が法的にも一つの救済手段になり得るか?

いずれにおいても争点となるのは憲法第21条「表現の自由」が抵触するか否かの是非だ。日本国憲法第11条「基本的人権の享有」と第21条「表現の自由」「集会・結社の自由・通信の自由」規定は、報道機関の市民の知る権利に応えるものとする。表現の自由は日本国憲法第21条第1項で保障され、米国でも合衆国憲法修正第1条は、言論及び報道の自由を保障し、表現の自由を広範に渡り手厚く保障している。(*注1)
またカナダの1982年の権利と自由の憲章も、その第2項(b)で表現の自由を保障。(*注2)欧州諸国でもフランス人権宣言(「1789年の人間と市民の権利の宣言」)第11条で認められ、(*注3)ドイツ連邦共和国基本法第5条 (1)でも、意見表明の自由と情報の自由、報道の自由を保障している。(*注4)
さらに国際社会に視座を移せば、表現の自由は世界人権宣言第19条でも認められ、(*注5)市民的及び政治的権利に関する国際規約第19条第2項かつ、(*注6)欧州人権規約第10条においても認められている。(*注7)
表現の自由は民主主義に不可欠な権利であることから、その制約を国民の代表者とみなされる政治家に委ねることはできない。
 「表現の自由」は、マスメディアが独占しているものではなく、何のメディアも持っていない個人である「普通の人」こそ、まず「表現の自由」を持っていることがグローバル・コモンセンスであることを強調しておく。
 故に憲法第11条は経済的自由権を保障するものでもある。具体的には憲法第22条1項「職業選択の自由」が「営業の自由」を保障している。筆者のような市民ライターもその権利を主張し、正々堂々と労働に資するべきだというスタンスだ。

だが、「人権と報道連絡会」の山際永三 事務局長は「雑誌メディアの多くは『公人と何らかの関わりを持った私人は公人』との勝手な解釈で暴露記事を掲載する。だが、小室さんがたとえ「公人」だと見られたとしても、「『公人』にもプライバシーはある」という理屈が必要になってくる。たとえば政治家のスキャンダルの範囲は、相当に広いと解釈されるが、家族関係とか趣味とかについてはプライバシーの範囲だと言える場合もある」と指摘する。
小室さんの場合の雑誌メディアの悪意報道への反駁として、たとえ、刑法第230条の2項が「真実性の抗弁」を限定的にではあっても認めているとしても、民法第709条「不法行為による損害賠償」により、現在の「自己情報コントロール権」という積極的権利に発展した「プライバシー権」は、予てから

プライバシー権、つまり私生活をみだりに公開されない権利の侵害に対しては、侵害行為の差止め及び精神的苦痛による損害賠償請求権が認められ得る。(東京地判昭39・9・28下民一五・九・二三一七「宴のあと」事件)

©️「判例六法Professional」平成28年版02<有斐閣>
の判例を根拠として商業ジャーナリズム誌に対し、民法第723条「名誉毀損における原状回復」を求めることができると法的解釈されてきた。とりわけ謝罪広告は損害賠償に代えて不法行為の非金銭的救済手段として、東アジアの日本・台湾地区・韓国において広く使われている。欧米ではカナダのブリティッシュ・コロンビア州が「Apology Act of 2006 British Columbia」を可決。立法者が統一謝罪法案の制定に向かっている。(*注8)
しかし日本法では「プライバシー侵害」の明文規定がないため、上述の民法第723条を準用ないしは類推適用した「謝罪広告を命ずる判決の合憲性」については、

謝罪広告を新聞紙等に掲載すべきことを命ずる判決は、その広告の内容が単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものである限り、憲法第19条「思想及び良心の自由」に反するものではなく、民事執行法第171条による「代替執行」をすることができる。(最大判昭31・7・4民集一〇・七・七八五、憲百選1[六版]三六)

©️「判例六法Professional」平成28年版02<有斐閣>
とされてきたのである。
これに対し、中国では1986年民法通則と2010年権利侵害責任法(不法行為法)のいずれにも、「責任方式」の中に謝罪[賠礼道歉]が規定されている。中国法学界でも、謝罪が1つの救済手段として妥当かどうかの議論がなされているが、主に①一つの責任方式として合理的であるか否か②内心面を強制し、良心の自由への侵害になるかどうか、である。(*注9)しかし詳細な議論はなされていないという。人権侵害を受ける者に何らの「正当防衛」手段も求められず、もの言えぬ皇族に向けられた商業ジャーナリズム誌の刃が、その公人と関わったが故に一般人の小室圭さんが「公人」と看做され「反論権」も剥奪される状態に置かれているという現状は異常である。差止請求権が機能する範囲が「北方ジャーナル事件」(最大判昭61・6・11民集四〇・四・八七二)や「『石に泳ぐ魚』事件」(最判平14・9・24判時一八〇二・六〇)という旧態依然とした判例しか現代の訴訟でも見当たらないという事態は極めて範囲が限られ報道被害者は圧倒的不利な状況下に置かれている。

現行の「雑誌人権BOX」が仮に機能していたとしても、懸念される課題となるのが、被害者の持ち寄った相談内容の守秘義務ではと考える。公表の認可は被害者に委ねられることが信頼性と安全性を高める必須条件ではないだろうか。また、相談によって情報が漏洩し、記者の「棲み分け」によって被害拡大の恐れがある。被害者を二次三次被害から守り、なおかつ持ち寄られた相談内容からいかに現場の後学とするか、課題となるのではないか。
風評被害から起こり得る、被害者の生活を左右する経営低迷や職場喪失など、社会的抹殺という直接被害対策として、一定期間の生活補助金支給制度を求めたい。報道が負うべき責任の範疇はどこまでか、議論が分かれることと思う。
風評被害は報道されるために起こるのが定説となっている。周囲の人間の作り出す社会風土こそが問題であり、周囲の人間個人個人の問題だという声が聞こえてきそうだが、報道が起爆装置となっていることは疑いの余地がなく、風評被害を予測した抑止力のある報道が求められると思う。
個人的には報道被害も、二次被害である風評被害も、完全に防ぐことは不可能だと考えている。しかし、物事を決め付けたように解釈できる内容であったり、善悪が分かりやすい図式の報道が、風評被害を生む社会的土壌を生み出すのに一役買っていると筆者は思う。
国内の報道被害の訴訟問題においても、弁護士費用を負担するのは報道機関に求めてもいい役割だと考えている。
報道機関側が訴訟で敗訴した際に金銭を支払うのは、その先に考えられるイメージダウンからの全体的な経常利益低迷を恐れてのことだろう。大規模な損害に比べれば照明器具代程度の百万単価でけりをつければいいと考えているのかもしれない。
だが、もし報道二次被害が報道機関側の負うべき責任の範疇ではないため、生活補助金など支給できないと言われるとすれば、報道機関側の経常利益に打撃となる提訴ならば取り合うが、報道被害者という一個人の生活を破綻させるだけにすぎない報道被害問題などに払う金は、期限付きであっても惜しいというのだろうか。被害者は家庭崩壊し、果ては心理的被害から人格崩壊の危険性まで負い、さらには生活が傾くという状況に陥る絶壁に立たされているのに、そんなことは取るに足らない瑣末な問題だとでもいうのだろうか。
さらに考えられる二次被害、三次被害というのは各媒体による後追い報道や一年経ってから振り返る特集で何度も心の傷が蒸し返されることである。
筆者がここで強調したいのは、報道関係者による言葉の暴力や「意趣返し」という悪意に満ちた報道などの二次被害である。報道関係者による言葉の暴力は、自分は絶対に間違っていないという過剰な自己過信から引き起こされていると筆者は確信している。言葉の暴力によって、報道で傷つけられた被害者は、無防備な状態でさらなる心理的被害を被っているのである。プライドが引き起こしている被害という自覚が報道関係者の方に求められているように思う。

EU諸国の判例から雑誌メディアとの法廷闘争を参照に

この際、欧州の判例を参照してみたい。「ドミニク・ストラス・カーン氏に対するマルセル・カンピオン氏の名誉毀損見解」カンピオンVSフランス判決(application no.35255/17)から紐解いてみよう。

1988年、フランスのヴァルドワーズ県から選出された「DSK」として知られる社会党所属のドミニク・ストラス・カーン氏は下院国民議会財務委員長に就任。1995年から1997年までサルセル市長を務めた。当時、ヴァルドワーズ地区のアミューズメントパーク買収の議論があった。そのカーン氏を巡る2011年の目立つ訴訟事件として、フランスのセレブやレジャーをテーマとする「週刊VSDマガジン」のジャーナリストによるニューヨークでの実業家のマルセル・カンピオン氏のインタビュー記事で、「DSKとカネ。全てを暴露する。DSKは私に500万フランの賄賂を求めてきた」とし、サブタイトルで「マルセル・カンピオンは政治家にアミューズメントパークの買収を手伝えと求めてきた:だが、不発に終わった…」と打ち出した。
2012年2月9日にカーン氏は雑誌社の社長とジャーナリスト、カンピオン氏を相手取り、名誉毀損の刑事訴訟を起こした。
2014年3月21日の判決で、裁判所は3つの名誉毀損罪を言い渡したが、控訴裁判所は、彼の申し立てのあらゆる証拠を申し出てこなかった出廷人によるコメントの名誉毀損の性質は論争にならなかった。それは証言してきた目撃者が稀にカンピオン氏によって寄せられたコメントを、証明することなく、確認していたからだ。
フランス司法最高裁判所にあたる「破毀院」は、そのコメントは事実無根だと判示した。

これに対し、その妥当性を争う構えで欧州人権裁判所に2017年5月13日に申し立てられた。欧州人権条約第10条「表現の自由」に照らし、出廷人はその権利を行使するに不釣り合いな不法妨害だとして不服申し立てを行なった。特に彼の誠意の擁護を認めることを国内の裁判所が拒んできたことについてだ。

欧州人権裁判所はカーン氏がアミューズメントパークを買収することの見返りに妥当な額の金銭を要求していたということを批判する犯罪に関係するコメントが含まれていたことを明示した。真実を証明されねばならないという事実の申し立てだった内容という見解を採択したのである。欧州人権裁判所はより厳しい申し立てや、より強い、事実に基づくものであらねばならないということを何度も繰り返し言ってきた。国内裁判所のように欧州人権裁判所は収賄罪の詳細を付与し、それをカンピオン氏という個人名に帰するよう監視していたのだ。そのことは彼の申し立てを物理的に確認するように尋ねられることを期待していくべきものだったはずだ。フランス国内の裁判所は、出廷人がメディアのプロではなかったという事実を考慮している間、彼が彼の名誉毀損的見解を実証している物理的能力を生み損なったものと判断していた。
欧州人権裁判所は、出廷人に彼の申し立ての物理的な確認を提供し得るもので、そしてそれは特に深刻なものだったーフランス国内の裁判所はその真価の許容範囲の度を越すものではなかったのである。

最後に、欧州人権裁判所はその刑が過剰なものか、あるいは悪影響を及ぼすほどのものではなかったと判断する。出廷者は2000ユーロの罰金を含む執行猶予付きの科刑とし、出版社の社長とジャーナリストも共犯として損害賠償1500ユーロの支払い命令を下す。
カンピオン氏の表現の自由権への不法妨害は、それ故、他者の評判の保護のために民主主義社会に必須なものと判示する。その妥当性はこのように明白に根拠がないものとして認められないものとする。
EUDOC Press Release Decision Campion v. France – Marcel Campion’s defamatory comments against Dominique Strauss-Kahn Published On 14/03 /2019

「反論権」を我が手に「ネット炎上保険」で報道被害対策を

一方で新たな時代の流れとして登場したのがSNSである。「ファクトチェック」機能をもつインターネットはマスメディアの監視機関として従来以上に訴訟が急増するのではないかと見られている。現在の刑事訴訟法や刑事裁判のあり方であれば、民事も含めて名誉毀損での告訴のハードルが非常に低い。なぜなら、「挙証責任」(証拠を用意して無罪を証明する責任)を全て押し付ける形となり、Twitterの呟きで訴訟沙汰になっている事案が急増し、訴えた者勝ちになってしまう現実がある。
刑法第230条2項「公共の利害に関する場合の特例」における「挙証責任の転換」では、

本条によると、事実の真否が確定されなかったときは、被告人は不利益な判断を受けるという意味において、被告人は事実の証明に関して「挙証責任」を負うということができる。(東京高判昭28・2・21高刑六・四・三六七)

©️「判例六法Professional」平成28年版01<有斐閣>
とされている。
スマホやGAFA(Google, Amazon.com, Facebook, Apple)、LINE、Twitterの爆発的普及によってSNSユーザーが一般読者・視聴者に便乗する形でいわゆるネットリンチを行うケースも山積されてきている。

ソーシャル・ネットワーキング・サイトのフェイスブックの個人情報保護に関しては、2009年の報告の中で、カナダの副プライバシーコミッショナーのエリザベス・デンナム氏が、カナダの個人情報および電子的文書法(Personal Information Protection and Electronic Document Act)に照らし、幾らかの問題点を指摘していた。だが、2012年に連邦取引委員会とプライバシーの保護についてフェイスブックはこの点について改善し、和解に至っている。

一方のグーグルはサーチエンジンの検索に関して、2014年5月にヨーロッパ司法裁判所がスペインの市民からの申し立てに基づき、特定個人名で検索した時に、古い破産に関する新聞記事の検索結果が表示されることを、ヨーロッパ個人情報指令に反すると判断した。
「“Google Spain SL,Google Inc. v. Agencia Español de Protección de Datos (AEPD).Mario Costeja González,EUCJ “」(May 13,2014)

これは、個人情報保護指令の反対する権利(第14条)および削除を求める権利(第12条(b))を根拠とした判例だ。

また、シリア難民の流入と共に激しくなったフェイスブック、ユーチューブ、ツイッターなどのSNSにおけるヘイトスピーチ問題を背景としたドイツ連邦議会では、2017年6月30日にドイツ連邦政府SNS対策法全6条の成立とともに、改正されたテレメディア法によってテレメディア事業者が発信者情報を開示できるようになった。
SNS事業者が削除しなければならない表現規制を個々に見ると、刑法第185条「侮辱罪」、同法第186条「悪評の流布罪」、同法第187条「不実の誹謗罪」で名誉毀損を取り締まることを規定している。

日本の報道被害者に救済機関を設置する以前に、まず日頃から感じられるマスコミの高い敷居を下げ、紙面上や番組内に読者・一般視聴者との双方向性の議論の場を生むためにパブリックアクセスの確立が必要だと思う。しかしインターネットやソーシャルメディアが普及し、多メディア時代となった今だからこそ、大手メディアが逆にこうした市民メディアからの発信に対し、取材申請するなど時代は変わった。現在ではそれが常識として各民放キー局にTwitterランキングなどのコーナーが常設されるようになっている。
紙面から聞こえてくる報道被害者の声は、今後の報道機関にとって改善となるような切り取り方で発信されている場合も感じる。「反論権」と「ネットリンチという誹謗中傷」の諸刃の剣を併せ持つのが「もの言う市民」社会へと成熟させた「今」の時代なのだろう。マスコミ対策に「ネット炎上保険」という新たな試みを打ち出しているリスクマネジメント・サービスを提供する民間の保険会社も登場した。
従来のマスメディアには報道被害経験は報道被害者の人生にとっていかなる意義をもったのか、なにを支えに乗り切ったのか、報道被害を受けた側の視点に立った切り取られ方が欠けているのではないだろうか。

英王室のウィリアム王子とキャサリン妃も乗り越えたパパラッチ試練を教訓に

だからこそ、今、商業ジャーナリズムの餌食になっている小室圭さんには、是非、英王室のウィリアム王子とキャサリン妃がこの種のパパラッチによる試練に遭い、傷つけられても乗り越えゴールインした先例から教訓を得てほしい。

「©️PARADE Magazine」

“Why William and Kate Broke Up in 2007―and Why They Got Back Together”「PARADE Magazine」(September 16,2013)によれば、Marcia Moodyの著作“Kate : A Biography”からウィリアム王子とキャサリン妃の結婚に至るまでの大恋愛中にあった困難の一幕が明かされている。
英王室ダイアナ王妃の元私設秘書パトリック・ジェフソン氏が「次なる民間人『王妃』か」特集記事を書いたことで、英大衆紙のパパラッチによる心無い報道が始まった。
ウィリアム王子は彼の広報官を通じて声明を発表。

「(ウィリアム王子は)これ以上の騒ぎはやめていただきたいと思っている。ミス・ミドルトンさんは私人です。彼女の日々の仕事に立ち入るようなことをせず、この状況が多くの人々の(好奇を煽るような)関心を引くことを生まないように配慮していただきたい」

と求めた。
©️「PARADE Magazine」(September 16,2013)

ウィリアム王子自身も母のダイアナ元王妃が苦しんだ父のチャールズ王とカミラ夫人のようにはなりたくないという遺訓を強く思ってきたことにも言及されている。
しかし、その後も、さもウィリアム王子が夜な夜なナイトクラブの女たちと飲み歩いているかのキャンペーンを貼られ、一般人だったキャサリン妃(以下、ケイトさん)の方が傷ついていた印象が否めない。しかし、ケイトさんはその後、女性アスリートたちのドラゴンボートレースに果敢に挑戦したり、ホスピスの子供たちを救う基金を作る社会慈善活動などに没頭することで立ち直ったという。
ケイトさんは当時を振り返り

「その時は考えてみればあまり幸せではなかったのでしょう。でも、実際この経験が私をより強い人間にしてくれました」「実際、当時はそうは思わなかったけれども、私自身にとってより良い時間を過ごせたことに価値を感じていました。」

と語っている。
©️「PARADE Magazine」(September 16,2013)

イギリスの場合、王室のスキャンダルなどを常に追いかけている大衆紙が多くある。「The Sun」「Daily Mail」「Mirror」「News of the World」「Mail on Sunday」などの大衆紙は、労働者階級のアイデンティティーにも繋がっていて、気位の高い上流階級を揶揄する労働者たちのメディアとして親しまれてきた。「国境なき記者団」が発表する「報道の自由度ランキング」(2019年発表)によれば、イギリスは33位と32位のフランスと僅か1差。それに比して米国は48位、日本は67位だ。

ランキングからすれば、英国のパパラッチほど強引な手段には出ていないと思しき母国の商業誌・ワイドショーバッシングなどに負けず、留学先の米国にいる小室圭さんには是非とも「眞子」さまとお二人でこの難局を乗り切り、お2人の愛を育んでいってほしい。

結びに代えて ジャーナリズムの未来のあるべき姿

©️「LITERA」(2019年3月26日)佳子内親王「姉の一個人の希望がかなって」に批判殺到! でもおかしいのは眞子内親王・小室さん結婚潰しの世論のほうだ

筆者は決して商業ジャーナリズムの雑誌メディアとワイドショーのこれらの「商業メディアが不況と過当競争で淘汰されて無になればいい」などとは思っていない」。クオリティーが例えば芸能人を使った社会問題への関心をうまく引いて啓発しているWEBメディア「LITERA」のように、国民、特に「ネオ・サピエンス」と呼ばれる新世代をボトムアップできれば、日本社会全体のインテリジェンスが活性化されるはずだ、と信じている。
しかしながら、こうした国内のスキャンダル合戦に足元を見られて、冒頭の韓国国会議長の文氏から「天皇謝罪」要求発言などが飛び出した足を引っ張っている感も否めない。文氏の発言にもあったドイツの良例についてだが、国際法の世界では同じ事項を規律する規範間の抵触がある場合は「特別法優位の原則(lex specialis)」を適用して、当該締約国間では条約規範を排除して適用される。自由権規約B第4条「非常事態における例外」1項に基づき、

この規約の締約国は事態の緊急性が真に必要とされる限度において、この規約に基づく義務に違反する措置を取ることができる

により、五大戦勝国が冠する国際法では敗戦国が圧倒的不利な立場に置かれる。
「ノルマンディー上陸作戦から70年」「TBS」(2014年6月6日)によると、

原爆投下の映像が流れた際に米国のオバマ大統領は拍手したが、メルケル独首相とプーチン露大統領は拍手をしていなかった。しかも、プーチン氏は胸で十字を切っていた絵がとらえられていた。ウクライナのクリミア併合を巡り、G8から外れ、米露対立の状況から考えてこれをプーチン氏のパフォーマンスだと穿った見方もできるが、真実は分からない。欧州では、同じ敗戦国でも憎むべきはナチスドイツであって、今のメルケル独政権は志を共にする仲間だと見られており、隣国の中国や韓国と折り合いの悪い日本人の私は少し羨ましく思えた。

と報道されていた。
世界は「SDGs(持続可能な開発目標)」の流れにあっても、日本人の国民性として閉塞したネガティブな「イジメ文化」の根付いた日本社会を子ども時代から大人まで併せて構成しているのだから今後はポジティブキャンペーンを打ち出すような批判ではない良質な提案型のジャーナリズムを目指す一石を投じることになれば幸いである。

(*注1)The Constitution of the United States : Amendment 1 Freedom of Region, Press, Expression, Ratified 12/15/1791. [p.12]
http://democrats.armedservices.house.gov/index…/files/serve…
(*注2)Constitution ACTS 1867 to 1982 : PartⅠCANADIAN CHARTER OF RIGHTS AND FREEDOMS{FUNDAMENTAL FREEDOMS 2.(b) p.69}
http://laws-lois.justice.gc.ca/PDF/CONST_E.pdf
(*注3)Claude-Albert Colliard, La déclaration des droits de l’homme et du citoyen de 1789, La documentation française, Paris, 1990 (ISBN 2-11-002329-5)
【Article 11】La libre communication des pensées et des opinions est un des droits les plus précieux de l’homme ; tout citoyen peut donc parler, écrire, imprimer librement, sauf à répondre de l’abus de cette liberté dans les cas déterminés par la loi.
(*注4)Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland :Artikel 5 (1){p.16} 
http://www.europarl.europa.eu/…/Deutsch…/Pdf/Grundgesetz.pdf
(*注5)The Universal Declaration of Human Rights : Article 19
http://www.un.org/en/documents/udhr/index.shtml#a19
(*注6)International Covenant on Civil and Political Rights :Article 19 (2){p.4}
http://www.ohchr.org/en/professionalinterest/pages/ccpr.aspx
(*注7)European Convention on Human Rights : Article 10{p.11}
http://www.echr.coe.int/Documents/Convention_ENG.pdf
(*注8) APOLOGY ACT OF 2006 BRITISH COLUMBIA[SBC 2006] CHAPTER 19
http://www.bclaws.ca/Recon/document/ID/freeside/00_06019_01
(*注9)現代中国民法におけるプライバシー権の保護ー裁判例分析を中心としてー 早稲田大学大学院法学研究科 李 碩

2003年、日芸文芸学科卒業。マガジンハウス「ダ・カーポ」編集部フリー契約ライター。編プロで書籍の編集職にも関わり、Devex.Japan、「国際開発ジャーナル」で記事を発表。本に関するWEBニュースサイト「ビーカイブ」から本格的にジャーナリズムの実績を積む。この他、TBS報道局CGルーム提携企業や(株)共同テレビジョン映像取材部に勤務。個人で新潟中越大震災取材や3.11の2週間後にボランティアとして福島に現地入り。現在は市民ライターとして(株)「ログミー」編集部やクラウドソーシングでも執筆しながら16年目の闘病中。NPO地域精神保健機構COMHBOで「コンボライター」の実績もあるが、目下プログラミングの研修中。時代を鋭く抉る社会派作家志望!無数の不採用通知に負けず職業を選ばず様々な仕事をこなしながら書き続け、35年かけプロの作家になったノリーンエアズを敬愛。

ウェブサイト: http://b-chive.com/society/law/one-month-passed-since-the-malaysian-airplane-mh17-was-shot-down-the-obstacle-of-judging-the-case-in-the-hague-court.html

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