使い捨て感覚が日常的になっている今、長く使えることや丈夫なことや何の変哲もないことはもてはやされはしない。
新しいものに更新される頻度は高く、実用性よりデザイン性、機能的であることよりも個性的であることが注目される。
足し算と掛け算を駆使して追及を極めるグイグイ型は敬遠され、時代は、引き算をしてさらに割りに割りまくり「何をあきらめるか」を実践するオサラバ型になっているのかもしれない。
【面倒なことは避けとことん何もしないポリシーを貫く】
「男性トイレ」という表記では足りない。
それだけ女性に入っていただいては困るのだ。
女性トイレが混んでいるからという理由で「今日だけ男~」と入って来ようものならトラブルの火種になるので、女人禁制を訴える手段として「男性専用トイレ」と書く。
「男だから、ココ。」
という吹き出しをくっつけたらいかがだろうか。
ん?土足厳禁なのか?
うっすら見える「土足厳禁」の文字。
やはり、土足厳禁のようである。
しかしどう見ても、土足で入っていくような雰囲気しかないが。
節電・節水・トイレ美化に、土足厳禁まで。
どれだけのご協力を賜るのか。
エコを極めた最終形態ここにアリ。
なぜに土足を厳禁にしているかその理由はわからないが、キレイを保つためだとしたら、保たれてはいるのだろうけれど、掃除をしないためにどんどん汚くはなっていっている、ということが起こっているように見える。
究極のエコは、何もせずに現状維持を保つことにあるのかもしれない。
剥がれ落ちてしまうのは時間の問題。
剥がれても、作り直さないポリシーを感じる。
4箇所中2箇所しか使わない。
ブレーカーを誰の目にもわかるようテプラで表示するということは、もしかして節電のためにブレーカーを落としてしまうということだろうか。
エコを極めているので、壁が剥がれてきても現状維持。
トイレットペーパーもエコの極み。
気付かない程度に小さくなっている。
お菓子の価格は変わっていないけど、内容量が気付かない程度に減っているのと似てる。
換気扇カバーが真っ二つに割れても、現状維持。
だってエコを極めているのだから。
時の流れに身を任せ、季節の移ろいに逆らわず、ただただ朽ちてゆくのを受け入れ続けるオサラバ型トイレは、守ったり求めたりはしないのだ。
儚さの美学。
神がお造りあそばした人間も、人間が作った公衆便所も、いずれは土に還る。
そうして戻った更地に、足し算と掛け算を駆使して追及を極めたグイグイ型トイレが出来る。
世の中はこんな風に廻り廻っているのである。
あとはこれを『リニューアル』と呼んで世間がもてはやしてくれるのを待てばいいだけ。
※全画像:筆者および助手ハチ撮影